2022年10月18日火曜日

過保護・・・・自業自得・・・・

 最近、テレビ等の報道を観ていると・・・人は、無知・無能に向かっている、だから、国等がルールを確り創って保護しなければと言う報道が増えている。

何度も書くが、現代、損得という、二極的考えが蔓延しているし、その価値観の範囲で人は生きるとなっているような、教育がされている。

要は、得するために生きる・・・しかし、得すると言うことは、損する人を必然的に創り出すことになる。

当然、誰も損したくないという価値観のために、損した場合胃は、誰からが騙されたという、被害者という立場を装うことで、同情を得たり、損の穴埋めを考えていることになる。

損したくなければ、損しない振舞をすれば良い、要は自業自得と言うことになる。

この部分も、国や行政等の組織の運営側の問題という流れに現代は成っているように感じる。

この考え、価値観になるのも仕方が無い、要は、人は、家畜・・・家畜のために、与えられた環境の良し・悪しで事を判断している。

私は何度も書くが、日本国の環境は、天国に等しいと思っている、衣食住は国が保証している。飢えて死ぬという事は基本無いと言う事・・・天国の様な環境だと私は思うが、この環境も地獄と捉えている人も居るし、もっと、楽に裕福に暮らせる環境を望んでいる人も居ると思う。

当然、その楽という部分を求めれば、苦労を背負う人を創り出すと言うことにも成る。

この事を理解しているか???・・又、以前も書いたが、命の優先順位・・家畜である、牛や豚は、殺し食べても良いと言う、価値観があるが・・・人間も家畜であるなら、飼い主側の国・組織から観れば、牛・豚等の命の扱い方と同じでも良いと言うことにも成る。

私は、何度も書くように、異端児だ・・・野生児に近いし、野良の人間に成る。しかし、家畜の環境に縁しているから、病等の治療も受けることが出来る。

当然、野良だから、人間としてこれくらいは当然だという普通という感覚が、私には無い・・・勿論、私が勝手に思い込んでいる普通は有るが・・・その普通が、家畜側が言う普通とは違うと言うことになる。

この野良の目で見る。家畜の世界は、過保護だと思うし、何故、自業自得の世界、学ぼうとしないのか、知恵・知識を貪るように求めないのかと思う。要は、生き残るために、必要だからになる。

誰も守ってくれるものが無ければ、当然、己で防衛することになる。

防衛できないからと、人様を頼っても、異端児の変わり者の私に手を差し伸べる人は居ないと思っている。

私は、地域ごと等の事は身銭を使っても行っている。理由は、野良として生きているので、最低限でも家畜側の環境を利用しているので、その感謝の思いで行っている。

本来、野良として、除外されても仕方が無い立場・・・しかし、ギリギリの時には守っていただいている。これに対しての、感謝が当然必要になる。

今、私が危惧しているのは、人は、馬鹿・力が無い、だから、権力側が守る義務が有るという、方向に向かっている。

要は、益々・・力を削ぎ・無能・無知に人を向かわせていることになる。

最初に書いた、人は、楽して得したいと思っているのが、普通となれば・・要は、他人を騙して、富を得たいと言う事にもなる。

他人を騙す事が普通だから、組織等の、権力側が騙された人を守る義務が有るという論調になってきている。

もし、この流れが常態化すれば、権力側に力が集中するし、当然、民衆は、馬鹿で無能が良いとなるし、家畜の食べさせた、生かした、結果、権力側が思う通りに、使える、命さえに成る。

これも、今・起きている、国間の争いを観ると、民衆側が優秀な寄生虫に成ってしまった為に、権力側の暴走を止められない方向に成っている。

本来、己の周りの環境は、己の自業自得で有る。その部分を、他に特に、力がある、権力側の責任という捉え方自体が、己は寄生虫という証拠になる。

私みたいな、跳ねっ返りの異端児が、生きていけること自体が、日本国の良い部分になる。

勿論、出釘は打たれるが、殺されることは無い・・・

自分が信じる、人間らしい生き方を・・求め生き抜きたいと考えている。

親は看取った。残るのは、親の弟妹を看取ること・・・親として、子育ても約40年続けた・・結果、五人の息子を社会人として、世間様に少しでも役立てる立場として育った。

勿論、孫の件もあるが・・・今後も私に与えられた義務と責任が多々有る。

これも、己の勝手で、野良として生きることが出来たことに対してのお礼と言うことにも成る。

要は、最低限の社会への協力・貢献が私の場合、何が出来るかになる。勿論、税金等は納めているが、最低限に近い、これで国からの施しを受けている。感謝になる。この思いが有るから、子も沢山、世に出さなければとなる。

要は、得るものが有るなら、損する部分も当然あるというのが私の価値観・・・・又、現代は、損を認めない、損を避ける傾向が強いので、結果として、損を背負う方が増えると思っている。

私は、後継者・・・担い手と思っている・・・背負える人を創る、これが後継者育成と考えている。

当然、現代の社会の風潮等の価値観から言えば、馬鹿な考えになるし・・誰も、頷かないとなる。

しかし、少なくとも私の近場、周りには、この様な人が居て欲しい・・・今後、老化の進む、病も進行する可能性が有る。人様の手が必要となる可能性が高い・・・これが解っているから、担い手を育て求めている事になる。

人のリーダーは、人として、当たり前の部分を当たり前に出来ている人だと私は考えている。「生老病死」も当然、理解しているし・・親守・子守・家守・親族守・地域守・最後に墓守、これが出来ているからが基本だと思う。当然、現代では格好良い事で無いと思うし、

気が重くなり、面白くない事だと思うが、これを避けているリーダーなら、当然、己以外は抹殺しても最終的には良いと思っている人になる。

よくよく考えて貰いたい・・・誰の為の人生なのか????・・・・人から嫌われないからと、好かれているわけでは無い・・当然、何か有ったら手を差し伸べるか別問題になる。

権力側の誘導・先導に素直に準じる、盲目な人と言うことにもなる。