2018年11月5日月曜日

内職・・・・一依頼文、終了・・・・

今日は内職を頑張った・・・七日納品分の、一依頼分が終了・・・・後、一つの依頼分が残っているだけに成った。

又、通信費の事で、我家に有る、光回線が二本、意味が無いと思うので、見直しを考えている。

勿論、NTTと交渉を行って、光を一本、アナログを一本で、格安に成る、無い様で契約を考えている・・・

この処理に、機器が付いている、壁がスッキリする・・・この状態に成ったら、auの通信等に変える事も簡単に成る。

今日は、auショップの勤務の後輩に来てもらい・・・・今後、どうすれば安く成るか???之を、話していた。

勿論、安いだけでは、私みたいに三流で、馬鹿だと困る場合が有る。
問い合わせ等々で困る、事が多々ある、

スムーズに対処出来る、之が大事に成るし、当然、人間が対応、勿論、色んな配慮、心使いが出来る、人の対応を望んでいる。

電話を入れて、窺う・・・一言、先ほどの人ですね~~~しばしと言う、言葉を掛けて頂くと、待つのも苦にならない・・・しかし、無言で、待ち続ける、電話を入れた意味が無い・・・

同じ待ち時間でも、対応の少しの違いで、感じ方が大きく変わる・・・

勿論、この様な事を、現代は言えない、対応で差別と成ると問題に成るので、みんな同じ・・・病院の待合室と同じが一番良いと、国民が思っている事に成る。

私は三流なので、何か、対処・配慮が有るならとは思うが・・・それを言うと差別主義者等々言われる危険性が有るので、怖い・・・




比べるから、不満が出る・・・・「こんな家に生まれてきたから」・・・・

幼い頃・・・私は、ご飯には、筋が有ると思っていた・・・・保育園に行くと、ご飯だけは、自宅から持って行く・・・・この環境で、周りと違う事に気付いた・・・田舎、殆んどが農業・お百姓さん・・・当然の様に白米をご飯と言っている。

小学二年まで、頂いていた、ユニセフの脱脂粉乳・・・私はミルク=牛乳と思っていたし、とても美味しいと思っていたが、周りは本物の牛乳の経験が有るのが、こんな物、飲めないと言っていたので、お代わりして、何杯も飲ませて頂いていた。

当然、水もヒネルとジャーでは無い・・・井戸から汲み上げて、使う・・・之が基本・・・
風呂も自宅には無い・・・共同風呂が当り前と思っていた。

終戦後、20年以上経っていたが、この様な生活環境が普通だった。

勿論、現代の環境、考えで行くなら、大変苦労した事に成るが、何故か苦労と言うより、私は懐かしいし、幸せだっとと感じている。

子供も当然、稼ぎ手、農家なら当然、働く・・・私は農家で無かったので、新聞配達をしていた。

之を、虐待と現代なら言う可能性が有る。

親の養育、義務違反等々に成る可能性もある。

学校で、先生に叩かれ、それが親にばれると、今度は親から、先生以上に叩かれる。家の恥さらしが~~~と・・・・

この様な環境で、きつかったか????楽しかったし、幸せと感じる。

解ると思うが、比べる・物が、違えば、感じ方も変わる。その時代の私の地域では之が普通・・・だから、不幸とは思わなかった。

肉を食べる・・・盆・正月・・・・又肉=鶏肉・・・この様な感覚だった。

一度、書いているが・・・昔、捕虜収容所の所長が、戦犯と訴えられた・・・・捕虜が、粗末な食事しかなく、時には、木の根を食べさせられたと言う、主張で、この様に成ったと、聞いた事が有る。

その所長、国から配給を受ける、食材で足らず、当然、戦局が悪く成る方向、物資が無い時に成る。周りの農村を周り、食材をかき集めて、捕虜に食べさせていた・・・お金は???、聞いていないので、若しかしたら自費かもしれない・・・・当然、ゴボウも有る、このゴボウを西欧人は木の根と思ったらしい、勿論、日本人に比べ、体格も違う、この事は、食料も多々いる事に成るが、日本の規格で、配給・・・・西欧人の価値観で考えるなら、粗末な食事で虐待されたと成る。

戦後、二十年以上経った、時が私の幼い事に成る・・・野菜・・・家の周りに有るもの、ゴボウも高級品、お金で買う、之が高級品に成る。

竹輪を一切れ・・・大変なご馳走である、自慢できる事に繋がる。

この様な環境が、普通だった。

勿論、保護政策も、スムーズに機能していない時期・・・・・大黒柱の父親が、病気で倒れる、結果、母親が女一人の稼ぎで、生活を建てる・・・現代の様に、仕事も無い、言えないような事をして、子供達を守っていた人達も多い・・・・之を不幸、国の有り方が間違っていた等々、思う人も居ないと思うが、これを現代の環境・価値観で判断すれば、国の無策、行政の無策と成る。

日本人は、苦労したと言うか、この様な部分は、なかなか言わない・・・・・簡単に書けば、現代なら草と思える物も食していた等々・・・・しかし、今から50年程昔の、田舎では当り前の様に、有った事・・・・

私の親族に、満州からの引き揚げ者が居られるが・・・数年前無くなった、叔母さんがその時の事を詳しくは言われないが、それでも口から洩れる部分だけを聞いても、現代の感覚なら、悲惨以外に言う言葉が無い・・・しかし、当事者はそれが普通だったし、当り前だったから、それを受け入れて生き残られている。

比べるから、普通が悲惨にまでなる・・・・悲惨だと騒いでもどうする事も出来ない・・・現状を受け入れて、それに負けないと進むしかない・・・

人が生きると言う事は、この様な事だと私は考えている・・・・今を受け入れる・・・勿論、問題も有るし、苦しいが、それに負けないで進もうとする、之が生きると考えている。

私は、基準等々が解らないと、ブログに書き続けている、時間軸が違えば、基準も違う、環境が変われば、基準も変わる・・・・この様に考えている、
しかし、現代の基準は動かない、変化しない、之が基準と考える人が増えている。
この部分が、解らない・・・・

話し・・・言葉を出す・・・聞く・・・

人と話す・・・又聞く・・・・この事で、色んな事を学んでいる・・・・

対話が人を成長させると言っても良いと考えている。

しかし、日本人・・・中々、本音は口から言わない・・・又、迷惑に成る。恥に繋がる部分は、出来るだけ出さない様にする・・・・この特性を知っているなら、当然、察する之が必要になる。

洞察力が必要と言う事に成る。

この部分も、人との対話を重ねる、経験で、高めるしかない・・・

文章にすれば、「大丈夫」・・・しかし前後や、顔色、又その人が抱えている環境等々を加味して考えれば、大丈夫でない場合も有る。

人は、配慮や強がりと言う部分も有る・・・・

例として、崖の淵に立っている・・・この後の行動を心配して、大丈夫か??と尋ねて・・・返事が大丈夫・・・・何の処置もしないで、その人が自殺した。

機械的・又ロボットなら、この様に成ると思う・・・・

しかし、人なら、その雰囲気等々も加味して考える・・・しかし、この部分を考えない方向性に現代は進んでいる。

結果、大議事とも話し機械が有るが・・・・声を出さないなら、当然、問題が無いと考える。之が現代では普通に成りつつある・・・本来、声なき声を聞く、この聞く側の器だと私は考えている。

結局は、経験が無い・・・・色んな価値観・環境等の、経験をしていない・・・・有るレベルの環境・価値観に居続けている為に、他のレベル・価値観を創造できない、この様な人を、現代では何故か優秀と言われる、立場のポジションを与える、方向性に成っている。

その人の価値観以外・又環境以外を、配慮して想像する之が出来なければ、当然、教える為に、話す、声を上げる、之が大事に成るが・・・・之をしなければ・・・その人は裸の王様と同じ事に成る。

之も、同じ価値観、同じ年齢、同じ環境の人だけしか、話す相手が居ない、之が現代の為に、仕方が無いと言う部分に成る。

この方向性で、意識が固まれば、他とは壁を作る事に成るし、悪い意識が出れば、敵と言う方向に成って行く・・・

一つに纏まり烏合を組む、グループと言う事に成る・・・・

しかし、人は変化する、予期せぬ病気もする・・・この予期しない事が、人で違い、結果的にグループの維持も難しくなるのが本来に成る。

広い年齢層と付き合う・・・・色んな階層の人と付き合う・・・之が見聞を広げると言う事に繋がる。

又、人間なら解る事だが、先人・先輩が今後の私の姿、この様に考えれば、その人達の話も確り耳を傾ける、之が自分の将来に役に立つ事に成る。


私は、環境が違う、価値観が違う、結果考えたが違う、之が意味する事、自分は如何するか????当然、学ぶ為に、対話が必要になると考えている。

しかし、最近の風潮は、考えが違うこの簡単な言葉で、切る・・・除外する之が、一般的に成って来ている。

この様な部分も、色んな処に属して、感じた部分に成る。

私は、この様な生き方も有ると、人様との話で、思う様にしている・・・・絶対に私は成らないとは確信も無い・・・大変な状況に成られている人達と話す・・・誰しも有りえると考えている。

若し、成らない、絶対に自分は成らないと、その様な人を除外したりする、命が有るなら、若し自分が成ったら、当然、死ぬ事しか後は無い事に成る。

人、一人前に成りたいと考えている、この部分は、逝った母が言っていた、子守・親守・親族守・地域守・・・・・等々有って、最後は、先祖守、之が出来て一人前・・・・この部分は当然の部分なので、している等々、口に言う部分で無い・・・

一人前として、行動・発言をしているなら、この部分を遂行し続けている状態での発言に成る。

優秀や一流と言う部分は、この様な部分を含んでいるという前提が有ると言う事・・・・

之が無ければ、当然、大口を吐いていると言う事に成る。

昔は、この様な部分を遂行していない人を、半人前と言っていた・・・その為に、結婚・子育てを焦る気持ちも有った・・・・・勿論、親守・地域守・親族守・墓守・・・生まれ故郷で生活し、又長男なら、この部分は、当然の行っていると言う前提に成る。

しかし、最近は、この部分は無く成っているし、言う人も居ない、指摘する人も居ない、之が現代に成っている。

勿論、都会等々に就職した場合は、少し、違いが有るし、昔は親元を離れる、これは長男以外に成っていたので・・・指摘部分も減ると思うが・・・・

テレビ等々で、流れている、優秀で一流の人達の言葉に、この様な部分を背負っていると言う雰囲気がまるでしない・・・・昔なら、半人前の、人間が何を言っていると成るが・・・現代は、これを言うと、パワーハラと成る・・・

又、古い、有りえない、常識はずれと思われる人も多いと思うが・・・

現実に民主主義の選挙・・・・選ぶ高齢者には、この様な部分を強く考えておられる人も多い、
中には、自分の親を、粗末に扱って居て、人様の為に頑張ります等々言っても、この様な人は信じない・・・・
高齢者対策を真剣に取り組みますと言っても、親族等の伯父・叔母とも疎遠、この様な人を信じれるか・・・

昔、国会議員に、少子化対策を真剣に考えると言っていた、女の代議士に、同僚代議士が、先ずは、貴方が結婚することと、言ったら、大きな問題に成っているのが、現代である。

要は、選ばれて代議士に成っている・・・・その時が大事だと言う事・・・・

当然の部分は、誰も口に言わない・・・その為に、この部分をしていなくても、見えない事に成るし、第三者の評価に当てはまらない・・・

仮に、代議士のプロフィールに、親は看て居ない、墓守もしていない・・・当然、地域奉仕も行って居ない・・・親族も疎遠である・・・しかし、立候補するので今後は頑張ります、これも大事に成る。

現代はこの様な当然と思われる部分は、していなくても、プロフィールに書かなければ、解らないし、当然、一流だからこの様な処は当然、行っていると思う・・・之も、誘導と同じ・・・

一流・優秀と言う、イメージが、無意識に誘導する事に成る。