地域のハザードマップ等で、記載されている避難場所等を・・・嫁と話し合っている。
この土地に長く住んで居ると、どの地域が土地が低い等が解る。
しかし、避難場所は、頑丈な建物の公共移設に成るが・・・何故か、土地が低い場所に有る。
形、箱を求める、要求が有る・・・それを建てる場所が必要に成る。
土地の借用で、簡単で安い場所に選定される方向性が有る。
国道、線路の、整備でも・・・昔に成るが・・・人が居ない、場所を選んで通す、方向性が有った。
人が住まない場所に駅が出来・・・それを中心に町と成って行く・・・・
この人達が、避難場所等の施設を要求する・・・之が現代の流れに成る。
我家では、大風の場合、豪雨の場合と、色々な状況で、非難場所を変えている。
若し、我家の床下まで水が来たら・・・少しでも高い、場所へ安全に向える、道を使って、最終的にはお宮に境内に有る、公民館としている。
私が住む、市で一番海抜が高いし、先人たちの話では、漬かったと言う話を聞いたことが無い。
しかし、小学校に避難すれば、運動場は直ぐに冠水する為に、車は、水没・・・・人は、二階等に、逃げる事が出来るので良いと思うが、復旧作業には車は必需品に成る為に、我家では、小学校へとは有りえないと成っている。
特に水害の場合、その場所に行くまでに、冠水している場所を避けながらの、進行に成る。
マサカを想定して、日頃から考えている事が大事だと言う事だと私は、考えている。
之も、三流だからだと思うし・・・毎日が、波乱万丈の為に・・・必然的に考える事に成る。
平時が稀な、私の場合に成るが・・・・
2019年10月14日月曜日
冠水被害が続いている。
テレビでは冠水被害の、状況が、映し出されている。
大変だと思う・・・又、経験値等々の関係も有るように思う。
我が地域は、干拓地・・・簡単に言えば、海の満潮時は、海面下に成る可能性が有ると言う、土地柄に成る。
冠水が、当然起きると言う前提での治水計画・・・・掘割も多いが・・・干潮時で無ければ、排水が出来ない・・・しかし、干潮に成れば、一気に水嵩を減らす事が出来る、治水に成っている。
又、現在では、水門等に、大型の排水ポンプが設置されているので・・・排水能力が高まっていると思う。
特に我が地域は、土地に必ずと言ってよいように・・・堀が有る。
溜まる理由には、排水能力の関係性も有る。
又、流れも微妙と言うほど、無い・・・水嵩が上がるのも・・・堀から流れ出すと言うより、溢れ出す感じに成る。
結果、上水が田畑に広がり出す。広大な田畑、水嵩が50cm程、嵩んで、初めて、道に溢れる・・・その後、家の床下等々に成って行く・・・
田畑が、治水で、大きく役に立っている事に成る。
本来、田畑の横には、堀を造る・・・水が必要だから、大事な部分に成る・・・しかし、田畑の土地が、宅地へと変われる、堀の必要性も無くなって行く・・・数十センチの排水管んで足りると成る。
土地の有効利用と言う事で、堀も無くなって行く・・・・
何百年もかけて、出来た地域が、人の欲で、一瞬に形が変わって来ている。
平時が普通と成り・・・普通は有りえないと、昔の知恵を潰していく方向に成っている。
私は、人のこの様な傲慢な、欲から出て来る、理屈で・・・環境を変えた、報いが自然災害と言う形で、来ていると思っている。
共存と言う単語を最近よく使うが・・・自然との共存を考えて、積み上げた知恵での形を・・・・自然に勝、又、人間だから勝てると、人の欲の追及を進めた結果・・・が今と成るし、その被害も想定外と言うなら・・・人がそれだけ傲慢に成っていると言う事にも繋がる。
仮に、低い土地が有る、高い土地が有る・・・海抜の上下に成るが・・・・低い土地が有るから、高い土地が冠水しない・・・低い土地を冠水させないと、高める処置を続ければ・・・・当然、寒水地域が広がる事に成る。
現代は、この流れに成る・・・この場所は直ぐに冠水すると、指摘が出れば、土地を高める方向に成る・・・この事は、底に溜まっていた水が、他所に行く事に成る。
私は、何度も書くが、土地も目的・個性が、違う・・・之を、平等にする等々、ありえないと考えている。
先人が、考えて、敢えて低くしている場合も有る。
それを、知る人も現代は居ないので、不満の処理と、先人の知恵を崩壊させている。
昔の人は、能力が低い、頭が悪いと思っている人も居る。
私は、自然に対しての対応力は、現代人より優れていたと思う。
その人達が、何世代もかかって、積み上げて来た知恵を、最近は無視している。
大変だと思う・・・又、経験値等々の関係も有るように思う。
我が地域は、干拓地・・・簡単に言えば、海の満潮時は、海面下に成る可能性が有ると言う、土地柄に成る。
冠水が、当然起きると言う前提での治水計画・・・・掘割も多いが・・・干潮時で無ければ、排水が出来ない・・・しかし、干潮に成れば、一気に水嵩を減らす事が出来る、治水に成っている。
又、現在では、水門等に、大型の排水ポンプが設置されているので・・・排水能力が高まっていると思う。
特に我が地域は、土地に必ずと言ってよいように・・・堀が有る。
溜まる理由には、排水能力の関係性も有る。
又、流れも微妙と言うほど、無い・・・水嵩が上がるのも・・・堀から流れ出すと言うより、溢れ出す感じに成る。
結果、上水が田畑に広がり出す。広大な田畑、水嵩が50cm程、嵩んで、初めて、道に溢れる・・・その後、家の床下等々に成って行く・・・
田畑が、治水で、大きく役に立っている事に成る。
本来、田畑の横には、堀を造る・・・水が必要だから、大事な部分に成る・・・しかし、田畑の土地が、宅地へと変われる、堀の必要性も無くなって行く・・・数十センチの排水管んで足りると成る。
土地の有効利用と言う事で、堀も無くなって行く・・・・
何百年もかけて、出来た地域が、人の欲で、一瞬に形が変わって来ている。
平時が普通と成り・・・普通は有りえないと、昔の知恵を潰していく方向に成っている。
私は、人のこの様な傲慢な、欲から出て来る、理屈で・・・環境を変えた、報いが自然災害と言う形で、来ていると思っている。
共存と言う単語を最近よく使うが・・・自然との共存を考えて、積み上げた知恵での形を・・・・自然に勝、又、人間だから勝てると、人の欲の追及を進めた結果・・・が今と成るし、その被害も想定外と言うなら・・・人がそれだけ傲慢に成っていると言う事にも繋がる。
仮に、低い土地が有る、高い土地が有る・・・海抜の上下に成るが・・・・低い土地が有るから、高い土地が冠水しない・・・低い土地を冠水させないと、高める処置を続ければ・・・・当然、寒水地域が広がる事に成る。
現代は、この流れに成る・・・この場所は直ぐに冠水すると、指摘が出れば、土地を高める方向に成る・・・この事は、底に溜まっていた水が、他所に行く事に成る。
私は、何度も書くが、土地も目的・個性が、違う・・・之を、平等にする等々、ありえないと考えている。
先人が、考えて、敢えて低くしている場合も有る。
それを、知る人も現代は居ないので、不満の処理と、先人の知恵を崩壊させている。
昔の人は、能力が低い、頭が悪いと思っている人も居る。
私は、自然に対しての対応力は、現代人より優れていたと思う。
その人達が、何世代もかかって、積み上げて来た知恵を、最近は無視している。
登録:
投稿 (Atom)