2019年6月2日日曜日

納品終了

今日は、大物の納品が有った。

四男を当てにしていたが・・・・五男が手伝ってくれた。
感謝に成る。

四男、弟に比べて、幼過ぎる・・・・意地が有ると思うが・・・この部分が幼い・・・・

前置きに頼んでいた事に対して・・・友達が???と・・出て行ったらしい・・・

本来、友達が大事なら、庇う筈だが、友達を原因にして、逃げる・・・友達が大事だと言っている事に矛盾が生じる・・・・

友達が原因で、親との約束を守れない・・・この様に、捉えられても仕方ない・・・

単に、口実として、友達と言っているだけと、私は見ているので・・・友達に問題が有るとは思わない。

私も、忙しいと言って、断る事は、簡単・・・しかし、口実と相手様が捉えられても困る。結果、出来るだけ、断らない事に、心がけている。

若し、口実と捉えられたら、逃げる・卑怯者と思われる。


特に、必要とされている、この事は、誉だと思うし、喜ばしい事だと思う。
私事より、他人事の方が、大事だという事に成る。

勿論、力が有り、独りで生きて行けるという立場の人は、私事を中心に考えても良いと思うが・・・力が無い、私の場合、人様が居るから、生かされていると思うので・・大事な事に成る。

何度が書いているが・・・・誉と言う、感覚を知らない人も増えている。

社会の中で、どう役に立つか???思いは有っても・・又は、行動していても、実感として誉と言う感覚を得難い・・・要は、結果に成る、当然、相手からの評価にも成るが・・・分に応じた部分に成る。

子育てを行っていて、人は歩く動物と成れば、ハイハイから歩き出す。この当然の事だが・・・この当然の事さえ、喜びを感じるし、赤子を称えたいと思う。
普通だし、当然だし、何が感謝かと思えるが・・・・レベル次第では、感謝も感じる事に成る。

当然、レベルが低いからと言う人も居る。この理屈が正しければ、レベルが高い人は、感謝の念が無いという事に成る。
私は、全てに感謝できる、この生き方が幸せだと考えている。
若し、先の理屈が正しいなら・・・レベルが低い方が、幸せだと言う事に成る。

「同情するなら金をくれ」

昔のドラマで「同情するなら金をくれ」という言葉が・・・世間で流行った時が有る。

私は、「思いが有るなら行動せろ」と聴こえた。

しかし、人には各々個性が有る。

究極は・・・危険が察した時、動けなくなるタイプ・・・動けて、頭が一気に冷静に成るタイプ・・・色んなタイプが有る。
この部分も個性と考えている。

状況次第と、結果次第で、どのタイプが良いかは変わる・・・一概にどれが正しいとも言えない事に成る。

個性が有るのが、人間と知れば・・・ルール・決まりを決めても、順応できない人が居るのも、人間である。

特に、この決まり事・フールが厳密化すれば、それに順応できない人も増える事になるし、この様な人を、異質・異端と、排除する流れが存在するなら、怖いと私は考えている。

今回、又、無差別殺人事件が・・・・犠牲者や被害者・家族は、大変な思いをされたと思う・・・・何度も書くが、社会で起きる、事は、結局、自分が影響しているかの生が有る。
若し、悪い事が有れば、私にも責任が有るという事に成る。

又、凄い数の献花が行われている・・・・各自何が出来るかでの行動だと思う。
私自身何が出来るか????こう考えれば、行動が必要に成るし、確りした、考えも必要に成る。

終わった事より、今後の事が大事だし・・・今後、同じ様な事が起きらない様に、私が何が出来るかに成る。

成人男性は、何か所も刺し傷が有ったとの事・・・之が意味する事は、最後まで、阻止を行動で、示されたことに成る。犯人も、その行動を止めさせるために、何度も刺し・・最後は、心臓を刺す事に成る。

最後までの努力が、結果として、死に繋がった・・・良いか、悪いかも各自で考えが有ると思う。

パニック時に、行動できる人、固まる人・・・色んな人が居るのが、現実だし、個性に成る。

結果として、後からだと、最善かどうかは批評できるが・・・その時の一瞬の判断、誰も否定できないと思うし、各自の個性でこの部分も否定できない。

状況次第で、個性が事を、大事にする事も有る。
この事を、決まり等で規制を与える・・・方向も有るし、個性の多様化に対して逆方向の流れに成る。

各自、個性が違う・・・その為に、対処方法も変わる・・・

一人で、全て自己完結が出来る人なら、当然、その対処に対して、状況等での違い等々も問題視するが・・・・私は、無力な一人と自分自身を考えているので、集団としての自己完結が、必要と考えている。

長けている部分も有るし、劣っている部分も有る・・・この個性で生きられる世界が、集団だし、社会だと考えている。

社会もトカゲの尻尾きりを行うと成れば・・・・当然、人間では不可能と思える、失敗も間違いも起こさない、これを起点で物事を組み立てるなら・・・失敗のたえに、尻尾を求める方向に成るし、尻尾を沢山持つ人を目指す事に成る。

我が地域でも、何度も書いているが、見えない状態で、引きこもりの人が、居る。
知れば、何か、手伝う事が出来ないのかとも、考える。

当然、親族にも居る・・・・人話では無いし・・・現実は身に迫る問題に成る。

今回、献花の数が多いが、その数の人が、どう社会の中で、行動するかが将来に繋がると私は考えている。

最近は問題意識を持つ、これからも避ける風潮が有る。
結果、関係性も、大枠の形が基本に成っている。
人と人との関係性が・・・ある集団の中と言う、大枠に成る。之が無いと、人との関係性も無くなる。特に、負の部分の分担は、この方向性が強い・・・

要は、負を背負いたくない・・・このれが基本にある。人との関係性と成る。
当然、信頼も信用も、本音の部分では出来ない・・・気薄い関係性に成る。

社会の中で、動き・属している人も、この様な価値観・・・閉じこもりと殆ど同じ価値観に成る。

架空の世界で、なんとなく生きている。社会人も同じ事に成る。

この思いを、直接的に表現する、これが閉じこもりかも知れないという事に成る。

我が子は、賭け事のパチンコが好きと言うより、病気である。
勝つ事を、目指し、又、喜ぶ・・・・しかし、厳然と敗者を創っているし・・・結果、自殺者も創っている。凍事に対しての、責任を感じろと言っている。

一極の同じ価値観の土俵で、何をするか???・・・一般には勝負・戦いとなる。本当に良いのか????当然、敗者が生まれる。

若し、一つの価値観しか、存在しないなら・・・敗者はどう振舞うか????

結果は見えていると、私は考えている。

劣等感・恨み・妬み等々が、当然出て来るし、戦いで巻けると自覚が有るなら、当然、他の手段を使う・・・・

日本国が、この状態なら、世界もこの流れが存在する。

勿論、勝ち組が、考える事に成る。負け組は、その価値観から脱し出来難い・・・・

生死を考えれば、当然、生きている人が考える事に成る。

優劣で考えれば、当然、優秀な人が考える事に成る。

この点、日本国は優秀な人が多いと言われているし、自称している人が多いので、安心に成るが・・・





普通・・・少数派・・異端

絶対数が多い・・・之を一般には普通という・・
普通が良いなら・・・

この絶対数が、多いと思える人達の振舞いを見て・・・・良いと見えるか???

私には、優秀な消費者に見える・・・・結果、販売側は、消費者の欲をソソル、事柄を風潮する。
この流れに乗れる、事が、良い事と成っている様に見える。
販売側の風潮に乗れない・・・之を不幸と感じる、価値観も有る様に見える。
結果、買える、財力が、幸不幸の基準と成っている様だ・・・・

この一流の消費者を創る流れが、結果として、国の政策にも影響しだす。自分の欲の赴くままに生きた、結果、孤独・・生きれない・・・国の保護政策の加護に成る。

しかし、人なら、当然、人としての、義務や責任も感じる人が居る。
簡単に書けば、対外的には普通に見せて・・・陰でこの部分を、行う事に成る。

一人の人間が、方向が違う、二つの事を同時にする。それもバランスよく、難しい事に成る。

そうすると、相反する価値観で、判断する事に成る。消費者として、一瞬幸福感を感じたが、直ぐに空しさが襲う・・・

他から見れば、見える部分は、幸せと成る・・・物が増え、立派に成っている。
しかし、同時者は?????・・・・

この部分が、解り出せば・・・・・普通の生き方が、幸せにつながる????・・・疑問が出て来る。

仕事を見ていても・・・必死に額に汗を流し、我武者羅に働く・・・暇で時間を持て余している・・・この二つを見た場合・・・私は体はキツイが、我武者羅に働く、これが幸せに見える。

しかし、対価の部分を見れば、暇でも多く稼ぐ方が良いとも思えるが・・・・先に書いた、優秀な消費者となるし・・・・この生き方が、幸せだとは思えない。

絶対多数の普通から・・・距離を置く、人達が、少数派と言われる。

普通を目指す、これが幸せの基本と成れば・・・少数派は、不幸を基本と考えているかに成る。
しかし、幸せと求めて進む道が違うという事が、本質だと私は考えている。

同じ、価値観だが、方法が違う・・・之が少数派と私は考えている。

大枠で考えれば、同じ消費者だが・・求めるレベルが違うという事に成る。

考え方を少し、広げると、消費する、これが幸せと思わせている。権力側の人が居れば、その様な、普通や少数派も、私の目からだと奴隷に見える。

この様な、流れに、異議を感じる、人が、異端となる様だ・・・

本当に、この様な流れが、人の宿命なら、人とはアリと変わらない事に成る。

勿論、生きる世界は、この価値観の世界に成る・・この価値観に染まって、生きた結果、死ぬときに、悔いが残ろないのか????

若し、悔いが残ると、思えたら・・・宿命でさえ、変える、努力はしたかに成る。

普通の生き方が、幸せと見え・・・感じるなら、目指す事になるし・・・
違うと成れば、他を模索する事に成る。

各自の勝手に成る。

人は、何の為に生きるのか???・・・・何の為に、生を受けたか???・・・この疑問が私は、続いている。



色んな要望・・・

私は・・・父親として・・子供として・・多々の立場で・・・色んな要望に応える・・この責任が有るが・・・現実にできるか????・・・正直、難しく感じる。

逝った母が言っていたが・・・・子供に、期待・要望をする。之は、親や祖父母・親族等々の色んな人もする部分に成る。

私は、兄妹、二人・・・・当然、男は私一人に成る。
この様な、期待感等々を、感じるし・・・若い時は、この部分が嫌で・・距離を取るために、遠くへの就職を望む・・青年であった。

考え様では、期待される・それが要望に成るし、義務に成る・・・・之が嫌だからと言う、発送・価値観に成るが・・・之で、物事を組み立てる方向に成る。

若し、故郷を捨て、遠くで暮らすなら・・・先ずは自分、この部分を注視すれば良い・・・生活が出来る様に成れば・・・結婚・・・之も、単純に好きだからと成る。
結婚すれば、子供が欲しい、この部分も・・・例とすれば、ペットが欲しい程度の思いが強く手に成る。

しかし、ある年齢に成ると・・・・親として等々の、社会的、責任を気付く・・・又、「生老病死」が有る事も、気付く・・・・

結果、都会に住んでいても、子供に、先に書いた、多々の期待を、持つことに成る。

逝った母が言っていた。子供にも個性が有る。向き・不向きが有る。
又、色んな人からの、期待は当然ある。

之を踏まえて、一人の子供に背負わせる・・・出来るか????
先にも書いたが、私自身は出来ない、逃げたいと感じた・・・・

要は、容貌・期待が大きすぎるからに成る。

母は言っていたが・・・家という単位で・・・家の責任・義務が有る。
当然、人が背負う事に成る。

社会に貢献できる人も居るし、育てる必要が有る。
親族・家に貢献できる人も居る。
地域社会に、貢献できる人も居る。
何度が、書いているが、色んな守を、独りで行う・・・簡単ならよいが、難しく感じるし、その部分を、行って、初めて、人なら・・・・人以下に成る、方向性を親が作るもので無いと、私は考えている。

子供の個性・・・之も、成長しないと解らない。

この様な、不確実性な部分に・・・大きな、期待や要望をする・・・有りえないと考えた。
子供にしてみれば、勝手な期待や要望に成る・・その理屈に道理という部分を使う事に成る。

多々の要望・期待を、感じる、真面目な子供なら・・・自分の力の無力さに気付くし、処理能力を超え、脳停止状態を択ぶ、人も出て来る。

出来るだけ、子供を持つ・・・・この方向を目指した訳が、この部分を私は感じていた為に成る。
時代と共に、多々の期待・要望が増えている。当然、優秀な子供ならよいが、子供を持つことは、博打に近い・・・・特に、遺伝が有るので、駄馬の親からは、サラブレットは生まれない事も解っているので、多くの期待・要望には、数で対処に成る。

母は、優秀な子は、世間様にくれろと言っていた。
しかし、社会貢献だけでも、片手落ち・・・・親を守する、子も必要・・・

簡単に、書けば、親が、損得勘定で・・・・良い方向は求め過ぎる・・・悪い方向は求めない・・・この様に成れば、子育ては負と考えれば、子供の数は少なく・・・・しかし、子供に対しての、期待感は多く・・この方向に向かう・・・

当然、期待、見栄が表面化する。結局は、親元を離れて、遠くに行く、子供を創っている事に成る。

人の、本音の部分、無理して恩を与えた・・・・その子が・・・去る・・・しかし、親の本音の、思いは言えず・・・・寂しい思いがすることになる・・・
体が強い時は、寂しいでよいが・・・人の手が必要に成ると・・・恨み・妬みの心が出て来る。

勿論、この様な状況が有るから、介護医療等の整備をされたが・・・・運用の際、子供が居れば、当然、育て方の問題、親の責任と、後回しに成る。

親族・家族が居ない、人の方が、国の保護政策に、一番、良い事に成る。

若し、損得勘定の、価値観が、強くなれば・・・この一人の方向が得だと成って行く。

しかし、人としての、責任・義務を放棄できない人も居る。
親族だからと、必死に守る行動をする、世間様に迷惑を掛けない・・・無理するから、問題に成る。

私の、従兄弟にも、困ったチャンが居る・・・しかし、従兄弟が動いて居る。
親は、世間様に・・・この部分が強いし、我が子・・と・・いう部分も強い・・・
しかし、兄妹が処理すれば、立派な弟さんが居られる等々で、行政は動かない・・・

経験上・・・行政は、親等で判断している様だ・・・・親等が四親等を超える位から、他人と言う、判断に成る様だ・・・・

他人が動けば、行政も動かざるおえない。

少子化の為に、子供の数が少ないが・・・期待や要望は増えている。
一人に背負わせる、重さで、潰れる人も出て来る。

お金を例にすれば・・100万で潰れる人も居る・・しかし1億でも潰れない人が居る。
この部分は、人の個性に成る・・・勿論、個性も教育で変わる部分に成る。

重荷を背負う事が出来る、子育てが昨今では必要と思うが・・・私が見える範囲は、逆の個性を創る、教育をしている様に見える。

本来、子育で、この社会的、責任・義務に関する部分は・・・父親が教えると考えている。
しかし、子供を見ると、父親の影が見えない・・・事柄から逃げる、之が特に繋がるという、価値観の子供が多い・・・・

私の子育ては、世間の泳ぎ方・・・当然、底の濁っている、ドブが存在する事も教える。
又、子供の分も、教える・・この関係で、何処を泳ぐかは、子供が解る・・・・
ドブを泳ぐ、宿命と気付いたら・・・当然、上を求める。

基本のポジション・・・宿命が解れば、その状況に成っても、普通だし、当然と成る。

親が親なので、子供も子供・・・しかし、人としての「生老病死」は・・誰しもある・・・この部分を理解させる・・その為に、親族で起きる、色んな部分を見せている。
三流のレベルでも、趣旨する部分が有る。その為に、数が大事に成ると・・・

しかし、結婚すれば、他の価値観との、バランスに成る。
その為に、今度は、若嫁の、教育に成る。

しかし、最近の人は、聞く耳を持たない人が多い様だ・・・・・
その為に、若嫁に耳障りのよい、事柄で話す・・・里の親に等々と・・・里に奉仕する。この部分は、よく聞く・・・・逆に考えれば、私達の家も里に成るが???・・・此処には気付いていない様だ・・・

里の親が喜ぶからと・・色んな、行事を行う・・・百花や節句・・・

一家の財布を握っている、若嫁に・・里をよくせろ・・・喜ぶのは当然と成る。

之も、博打に近い、行動だが、五人も子供が居れば・・・当たる事も有ると思う。