今日は透析空け日・・・・朝一に便意を感じたので,日勤者が来る時間まで待とうと思ったが限界、七時半にナースコール・・・・看護士が来てくれたが,先輩格の看護士も来て,トイレでの排便をリハビリの方から指示を受けてないので出来ないとの事、時間帯に配慮しないで,看護士に依頼したことを詫びて、しかし、私の目の前でその日の担当看護士にリハビリの担当者から確りと依頼されていたし,数日後。現実に看護士の介助で排便が出来たし,夕方は,夜勤の看護士が少ないと言う事で難しいとも聞いている。
リーダー格の看護士は,自立して暫く立てるか???等々の質問をするので,それに答え,現実にベントの横で見せて納得されたのか???トイレに連れて行ってもらった。部屋からトリレヘの送り届ける時間、数分・・・・・病室内で,説明、看護士が来てくれるまでの時間が30分以上、何方が効率が良く,患者に優しいのか????・・・・私は後者だと思う。
水曜日・・・・入浴の日でも有る・・・午前中にサッパリすることが出来た。感謝に成る、
今、生きて居る社会は,四人部屋の病室に成る。この部分が私の地域社会と言うことになる。少し広げてこの病棟・・・もう少し広げてこの病院と言う形になる。この中でどう貢献し,その結果・・・どんな智慧を得るのか????・・・勿論,病人で,病院に居るので,病を治すのは当然・・・それにプラスして,何が出来るかが,人の値打ちだと私は考えている。
昨晩、看護師長が来られ,状況を聞かれた,今、強く感じている,改善点等々を話した。
誰しも,欲求や要望が有る。それを己で消化できる健常者なら問題は無いが,五体不満足の人は,この部分を他人に依存する事に成る、見掛けやスペックで無い,この部分が長けていても他人に依存したり,利用したりする人が居る。この様な人は詐欺師や他人から騙されたと恨まれている、
此が世の中で,病院、五体満足の人が患者で無い・・・五体不満足の人に,合わせるしか,台頭は出来ない。
今の状態だと,このレベルまで到達しないと対応しないという状態・・・・結果、向かいの患者さんの様に,大声で叫び続けられる・・・此を,戯言と捉えて対応しない,結果、叫び声がと終る事は無い、
今日も,2時間ほど,叫び続けられていた。この方法しか,意志表示が出来ない・・・・しかし,看護士が誰も対処しないに,他の同室者が呼んだら来るがその患者の対応で,帰るし,その時は今まで以上に大きな声で「たすけて」と叫ばれるが担当で無いと無視・・・
正直、高齢の為に言葉が聞き取れに悔い・・・色んな世代、特に経験が無い,年上の蓮台の人達との縁を私は大事に考えている。理由は,その道を私も歩くからになる。勿論,限定した道で無いので,多くの道を学ぶ必要が有る。
年下との縁は,模範に,指針を見せる,己の生き様を見せるようにしている。勿論,自の部分だから欠点の方が多いし,後輩から指摘されると,是が非でも治さなければに成る。人の価値観個性は,環境で大きく変わる。環境は,時と場所が大きく影響している。要は色んな環境が有るののだが、何処に生まれるか,運でも無い,偶然でもないと言うのが,仏法の哲学、己が求めて,産まれてくる。当然,その環境を求めたと言う事、仮に一流のプロ野球選手を目差・求めたら,幼い頃から,努力に努力を重ね,時には血が出る思いで取り組んだ結果でも足らせられる。要は、苦労で無い,己の思いを叶えるための当然の振舞生まれると言うことも,己が決めた環境で生き抜くと決意したが為に成るし,プロ野球選手を目指しても大半の人は思いを遂げられない,これと同じで,求めて生まれても対応できない,解決できない事の方が多い、だから己の環境を恨んだりしたら結果的に己の損になる。
今、この病室に来たのも意味が有ると私は考えている。私以外、流動食・・・普通食を食しているのは私だけ・・・テレビ等を視聴できる人は私も含め二人・・・・この中で,一番健常な人は私に成る。強い立場、優秀な立場なら何を????当然,貢献することを考える事に成る。
私も,自力で動けない,話すのも苦労する。しかし、ナースコールくらいは押せる・・必死に説明すれば,看護士も理解してくれる。対処してくれれば,向かいの人も静かになる。要は,健やかに成られる。
私も,老後のことを考えて,五体不満足も考えていたがレベルが違う・・・・・話せなくなる事も想定して,パソコンのブラインドタッチもマスターしたが,手が不自由に成ると、それも難しい・・・又,意識が無いと,本能的に違和感を感じるとその部分を障り取り去ろうとする。勿論,私だけの現象と思うが、医療チューブ等を取り去ろうとする・・・結果、腕の束縛、手の袋詰め・・・・身振りも出来ない,声も出せない,この状態で,己の状態を伝える,残っている部分は,足になる。足で,ベットの柵を叩き、大きな音を立てて,看護士を呼ぶが,思いを伝えられない,もどかしさも有るが、何度か続けていたら,病院の偉い人が来られこれ以上行ったら,問題に成りますし,強制退院と成増までいわれた。しかし、折れず,声にならない声で,必死に伝え続けて,容認して頂き,看護士も,丁寧に例を幾つか挙げて、「うん」「いいえ」の二択で質問してくれるようになり,意志の疎通が取れるように成った。勿論,全ての看護士で無い,一部の看護士で,私の個性に慣れている看護士になる。
病で一番怖いのがこの部分、意思疎通を願って,今有る能力で背一杯,行っている事を,戯言のように捉えて,無視されること・・・この時が,生死を分ける基点だと私は見ている。この時点で,回復方向に向うのか,悪化方向に向うかの状態だし,仮に悪化士、危篤から回復しても,同じ事を繰り返せば当然,士の確立が高い・・・本来、その為に,長く共に生きた後継者等が面倒を看た方が,意思の疎通がよいと私は思って居る。しかし、最近は同じ年代で固まっている・・・結果、年代が違うと考え方が違うで片づけて,学ぼうとしない、この様な人が己が高齢に成り病に陥った場有り,意思の疎通が取れるのか,疑問が有る。
以前も書いているが,中学校の頃に観た映画、殆どが真っ黒・・・字幕だけが流れる。時代は第二次世界大戦中・・・戦場で,爆弾の爆発で意識が無くなり,次に意識が戻ったのが,何時かも解らない,視覚・聴覚・嗅覚・味覚も無くなり,体も全く動かすことが出来ない,口を動かそうとするが,下顎が有る感覚が無い・・・・時間の経過は,窓から差し込む太陽の温かさを感じて,一日を判断、それから,何日経ったと言う映画で有る。色んな部位が痛むと思うが,それも伝える素手が無い・・・・トラウマのように私に影響している。生きると言うことは,地獄図より凄い状態でも,生きると言うこと,それさえ,幸せだと捉えきれるかが,来世への希望になる。
出来れば来世もこの世に生まれたい、又,我家族の中に生まれたい・・・その為には,将来に向っての一家の発展が無ければ不可能で有る。三代後???10代後・・・何時、生まれ変わるか解らない・・・この思いが有るから,先人や先祖の供養も大事だと考えている。この来世が有ると言う哲学と,無いと言う哲学では今世の生き方が大きく変わる。
今は、死んだら終わり、無と捉える人が多い,だから今世で我武者羅に我欲を求めて貪り続ける,その被害者に成る人達は,負け組・弱いからとレッテルを貼って、己の優位性をアピールする。逆の勝ち組と思って居る方は,負け組から搾取して,その結果、優秀な消費者として己の力をアピールしている,要は資本主義の頂点に居る,見えない人達の肥やしに成っていると言うこと・・・我てを汚さず,勝手に利が舞い込んでくる、こんなシステムに成っている。
此を崩壊させるのが,縁が深く繋がった集団、昔は家族・一族・親族だったが,今はそれも崩壊し,人々が弱い孤立化の方に向っている。己が弱い立場に成ったときに気付くが遅すぎる。