2019年7月16日火曜日

三者面談・・・・

初めてに成る・・・・五男の高校の三者面談・・・進路等々の説明だったと、嫁が言うが・・・嫁を高校まで送ったのは私に成る。

駐車場で1時間ほど・・待たされた・・・・その間に、色々考えていた。

考えれば、上の子供達の、高校生活・・・親としては、学校を辞めない為の努力だった・・・・行く意味を息子達は、持って無く・・・勉強が嫌い・・この為に、毎日が学校行くのか????之が、頭から取れなかった。

下、二人の子供は、目的は、学食の食べ物が美味しい、これが目的で、通っていた・・しかし、少しでも親が気を緩めると、直ぐに登校拒否に成る。

之が、私の普通の、息子の高校時代に成る。

しかし、五男は???・・・今までの息子達とは違う・・・・学校に行く、目的感も持っているし・・・将来の展望も有る様だ・・・・
その為に、親として、学校への登校の、心配は無くなった・・・・

この夏、危険物の試験が有る・・・又、小型フォークリフトの講習も有る。
社会人としての、スキルを高める・・この部分の説明が有ったとの事・・・
最終的には、施工管理の資格を取る・・・この部分が、この高校の最終的、目的の様だ・・・・
後は、各自の進路で、挑戦する部分が変るが・・・

上の息子たちは、将来等々、この時代には考えていなかった・・・・今日が楽しければ良いだけで、社会人としてのスキルを高める等々・・・考えてる事も無く、過ごしていた時代に成る。

考えていて、五男の子の姿が、普通の息子なのかもしれないと思う方向に成ってきた・・・しかし、心配の種類が違うが、五男も心配する部分が多々ある。

子育てとは、親は、常時、心配しながら、不安を抱きながら、進めるものだと私は思う。

巣立った、息子達も、親としての心配は続いている。心配の種類が変わるだけに成る。

不安が有るから、心配する・・・之が有る事が、私は幸せだと考えている。
一人でない、孤独でもない・・之が、どれほど幸せか・・・・

関わってくれる、長男は、私の体調が悪いと、サッサ死ねという・・言われる事さえ、有難いと考えている。

最近よく来る、孫も、時々、クソ爺と言うが・・・それでも幸せと思える。

不幸は、孤独と私は考えている。


手を差し伸べる????

人に手を貸す・・・当然、相手が居るし、その人がどうするかにも成る。

以前、この部分を考えていた時が有る。

何故、手を差し伸べるのか????差し伸べる側の思いも有る。

可哀そうだからと思うから・・・レベル差を可哀そうと思ったことに成る。

勿論、色々有る・・・無意識に手を差し出す・・この様な場合も有る。

又は、集団を守る為・・・簡単に書けば、子供に手を差し伸べる・・無意識の時も有るし・・家族全体を守る・維持する為と言う場合も有るし、若しかすると自己保身の為に、手を差し伸べると言う場合も有る。

中には、対価を求めて、差し伸べる場合も有ると思う。

手を差し伸べる側も、色々な思いが有ると言う事に成る・・・相手側も、色々な考えが有るのも当然と成る。

手を差し伸べられて、善意と受け取れるか、悪意と受け取れるかも、相手で変わる事に成る。

一つの振舞いでも、色んな意味が有るし・・・相手の捉え方も多岐にわたると言う事に成る。

この部分の捉え方で、恩を感じたり、悪意を感じたり・・・・・
善意で有っても、相手が悪意を感じるとい場合も有る。


しかし、共通している部分は、手を差し伸べる側が、何かの部分で少しでもレベルが上と言う事は、同じ様だ・・・・

レベルが高い、これが信頼に繋がっていないからに成る。

信頼とは、日頃の振舞いと言う事に成る。

本来、人は無意識に危ない人を見たら、手を差し伸べる・・・この行動なら、相手も不信を持たないが・・・・考えた行動に成る為に保身の命が出て・・・不信につながる可能性が有る。

現代は、手を貸すと手を差し伸べると意味が違う事に成る・・・・