2019年5月16日木曜日

友が・・・

RCの友が・・・朝、電話・・・ソレックスのキャブが欲しいとの事・・・
中古でないか???・・・知り合いに、持っている人が居ないかとの問い合わせ・・・

私の周りにも、居ない様だ・・・

旧車を弄って、楽しんでいる。

私も、色々楽しみたいことが多々あるが・・・・今は、出来そうにもない・・・

RCドリフトだけでも手一杯だし・・・発展途上で、行うこと全てが異端児、扱いを受ける様なレベルだし・・・エキスパートには程遠い・・・・

今は、テックコンバTB03ケツカキ・・・教習車だと勝手に言っているが・・・出来るだけ、実車に近い、操作感を求めて・・車作り、操作の練習を行っているが、長年のRC独特の操作の癖が・・・それを難しく感じさせる。

操作感の違い、難しい事は書かないが・・・仮に100kmで実車が走っていてアクセルOFF・・・・当然、誰しも出来る操作に成る・・・車はどうなるか???・・・・大きく挙動を乱さず、徐々に減速して行く・・最後は止まらない・・・止まる為にはブレーキ操作が必要に成る。
ブレーキを使わなければ・・・・4速のポジションだとどの程度、転がるか????100m????当然、それ以上、転がると私は思うし、その様な実車しか経験がない・・・

RCカーは????・・・実車のスケールスピードに合わせると10km程のスピードでアクセルOFF・・・どの程度転がるか?????・・・この程度のスピードなら直ぐに止まるのがRCカーの特徴に成る。
実車だと,フルブレーキに近い操作に成る。

勿論、GPカーだと遠心クラッチが切れて・・転がる距離は多くなるが・・・電動しか経験が無い人は、この特徴が普通だと感じる事に成る。

しかし、実車とは大きく違う・・・・

基本、実車だと、止める減速操作はブレーキと言う事に成る・・・・しかし、電動RCカーはアクセルがブレーキの役目もしている事に成る。

クラッチ操作を必要とする、車やバイク・・・走り出す瞬間、アクセルを緩める方向に無意識にしている。タイヤが確りと路面と捉えた感覚が有って、初めてアクセルを入れる方向に操作する。
勿論、車の場合、大パワーの経験は無いが・・・・・バイクだと少しは経験が有るので・・・暴れさくない場合は、タイヤと路面の関係性を感じながらアクセルを入れる操作をしなければ、一気に破綻の危険性が出て来る。
意識して滑らせるを超えた・・・破綻と言う事に成る。

車の挙動を感じるという事も盛んに言われているが、先に書いた路面とタイヤの関係性を感じるこの部分が基本に成ると私は考えている。

勿論、異端人の私の考えに成る。
粗、全て否定されて来たが・・・拘りとして、続けている。



世代交代・・・・

私達、年代は・・・そろそろ、引退する時期に成っている。

勿論、引退が出来る・・・現代では幸せだという事に繋がっていると私は思っている。
後継者を確り、育成できたから・・・バトンを渡せる人が居る・・これさえ最近は難しくなっている感じが私はします。
昔は、当然と言われた部分・・・しかし、個人主義の台頭なのか???・・・この循環が出来ない・・・全て自己完結・・・死ぬまで、現役・・・之を求められる社会に成って来ている。

高齢者に成る、これを誉と考える人も減っているし・・・尊重する意識も減って来ている。

私も還暦に成る・・・本来、お祝いに成るが・・・今は祝いと言うより・・通過点・・
お祝いと言うより、悔いの方が多い・・・・

我家の事だが・・・母の日・・・嫁は里の母親にプレゼント・・・・しかし、兄夫婦に解らない様に、隠れるようにして渡しに行った。

素直にお祝いと言う思いしかないが・・・・この行動を、変化方向から見る人も居る。
その様な目が、嫁は気に成るので、隠す行動に成る。

最近思うのが、この部分・・・・真心から発する行動が、何故か逆に取られる環境が有る。
長男が諸学校の時に命に係わる大怪我をしたが・・・その際、死んでも天命と私は思っているので、関係者が色々、頭を下げに来られる・・・之が、嫌で・・・断っていたが・・・どんどん立場の高い人が来られる・・・

以前書いているが・・・子育て・・当然、怪我もするし、病気もする・・・最悪死ぬ場合も有る。大人に成るまで育てるには色々あるという事が、普通だし当然と私は考えている。
その為に、色んな年齢でお祝いが有る・・・生きて来られたこの奇跡に感謝するおちう意味も有ると私は考えている。

ある人が死は不幸と言われていたが・・・私は死は当然、普通の事だと考えている。
誰しも、必ず死ぬ・・当たり前と言われる・・・仏と言う事に成る。
如何死ぬか????この部分の差が色々あるだけに成る。
この死に方が、最近は論議に成っている・・・各々の死に方が有るし・・・違いが有るのは当然と思うが・・・この部分まで基準を作っている感じがする。

死に方まで、基準や標準化が進めば・・・それ以外の死は不幸と成る・・それなら不幸の反対、幸せな死に方は、この基準に即した死に方と言う事に成る。

当然、大多数の人は基準に当てはまらないと思う・・・結果、死が不幸と言う事に成る。

当事者でなく、周りが色々思うのは勝手だが・・・当事者迄、この価値観を持てば、この世に幸せは存在しないと私は思う。

この価値観の基準化も、結局は、個人主義の台頭を加速させている事に成る。

生物として、人間を考えた場合・・・一番、油が乗った時に、好き勝手な事が出来る。この部分に注視しだす。一生の時間の有る一点にだけと限定する事に成る。
結果、注視していない部分は、生きる屍でも仕方が無いという考えより、何も考えていないと言った方がよい。

この命と死・・・之も確りと、考える必要が有るし当然、若い時に成る。
私は・・・五人の生を受けた息子が居る・・・生まれる前に死んだ子も一人居る。
成人を過ぎが子が。三人・・・生き残った確率としては五割に成る・・・当然、感謝に成る。
成人まで生き残った・・・昔ならお祝い・・・これが成人式・・・・

又、過去のブログにも書いているが・・・現代の法律等々では・・・矛盾が多い・・・・
子供が生き残る・・・・しかし、親より早く死ぬ場合が有る。
若し、嫁が居て子供が居る・・・この状況下でも息子が死ぬ事も有る。
親は当然、その後、死ぬ・・・親の財産や負債の法的相続人は・・・一緒に住んでいた嫁???孫に行くか????

要は、世代交代も基準化されている。