保護主義が、蔓延しだした・・・之が意味する事は・・・先に書いたブログに有る、ババ抜きの始まりを意味する。
過去の歴史を学ぶと・・・負の蓄積が、爆発する・・・当然、その処理が必要に成るが・・・之が、戦争と言う形で行われていた感じが私はします。
要は、ババ向きから、ババの押し付ける為に、誰かを敗者にする・・手段が戦争と言う事にも成る。
己の為と言う、生き方から、国の為と成る流れにも成るし、生産力も一人当たりで見れば、当然上がる・・・又、戦争は消耗戦でも有る・・・物が飛ぶように必要に成る。
お金が大きく回るし、その大部分の思いは、国が勝つ為と、個人の利己部分が減るので、一気に負の清算にも繋がるし、若し、勝者に成れば、当然、敗者からそれ相当の物を得る事が可能に成る。
現代は、直接的に血を流す様な、戦いの戦争には成り難いが・・・・経済戦争と言う、新たな戦いで、之が起きている。
又、その際には、当然、区別が出て来る。敵・味方と言う部分も有るが・・・
白人と、有色人種では、区別されるし、又、価値観の違い等々も区別材料に成る・・・
仮に、全く同じという場合、分が10有って・・10の富を得た・・・当然と思われる。
若し、種族が違い、有色人種と成れば・・・マイナス10が分に成る・・・10の富を得たら・・・何事と成る・・・当然、その思いの攻めが始まる。
立場は弱いので・・・屈する事に成るが・・・マイナス10の分に、マイナスを押し付けられる事にも成る。結果は、マイナス30ほどに成る。
その為に、己の分を知って、10の富を得た場合・・・最低でも30の貯えが要求されると言う事に成る。
この部分を、昔の人は、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と成る。
同じ民族の日本国内でも、力を付ける事に対して、嫉妬や妬みが当然有る。その為に、足を引っ張る人たちが、力を付ける度合いに従い、強くなる・・・その時の対処の意味にも成る。
間違っても、俺は強いと足蹴にすれば、嫉妬や妬みは増大しだす事は誰しも解るはず。
特に世界に成れば、上に書いている様に、有色人種と言う、事も確り知るべきであるし、当然、過去の歴史も知る必要が有る。
日本には家柄と言う部分が、歴史に成る・・・家柄が有ると、威張っていれば、当然、つぶれる方向に向かう・・・家柄が良いなら、謙虚な姿勢が当然必要に成るし、それが・持続・維持に繋がる。
歴史が無く、家柄が若し無いと思うなら、己の分を確り認識する事に成る。
現代はグローバルと言われる、その為に、世界での己はと成る。
世界の強い、基準から見て・・・黄色人種に成る・・・宗教も仏教徒である・・・己のカタログスペックに掛かれている・・・又は、現代の日本人は無宗教と言われるが、無宗教が一番、不思議に思われるのが、世界観に成る。
私は、地域でも異端児なので、世界の中でも当然、異端児だと思うが・・・
若し、日本人が、白人世界の基準から見れば、普通なのか・異端児なのか・・・解ると思う。
私は、異端児だから、解る部分だが・・・10の良い結果を出しても、誰も評価しない・・・不可能と思える事をして、初めて、少しは理解される、人間に成れる。
世界の中の、日本人の同じである。
同レベルに見られる事は無い・・・しかし、近づく努力は必要であるが・・・何で力を認めさせるかの方法が、色々有る・・・・
血には血と言う考えも有るが・・・・私は、逆転の発想が良いと考えている。
何の意味も持たないと思われる、行動を続けて、成し獲た、結果を見せる事が大事だと考えている。
間違っても、白人と一緒だと思ってはダメだと言う事・・・
何世紀も白人の世界であったことを忘れてはダメだ・・・
しかし、白人世界の、振舞いは、己が上、結果・・・行動は、手を差し伸べてやる・・この部分から、奉仕や人助けに向かう・・・
日本人の心には、仏教徒としての心が有る・・・・伏して人を助ける、簡単に書けば、ドブに落ちてい人には、ドブに落ち、四つん這いに成って、背中を貸す、登れと諭す方法に成る。
強制・無理を相手に与えない方法に成る。
しかし、終戦後の教育で、日本人もこの部分が無くなって来ている。
意識レベルが、白人化している・・・しかし厳然とした、有色人種と言う立場は残っている、之に気付くべきである。
各々、違いが有る、違いが有るから、区別が存在する・・・これを、否定できないし、之は差別でもない・・・物を買う時に、当然、買う側は、区別し、差を感じて選んでいる。
この差別と言う部分を無くす事は出来ない。
唯、小さな差が、大きくなる、この部分が問題と思うが・・・之は人間だから仕方が無いと思う。
同じ、子供でも、我が子と他人の子は、私は差別主義者なので、区別する・・・之もダメだと言うなら、人間を続ける事は出来ない。
私が、生きてきて学んだ事は、己は底辺に居る立場と言う事・・・その為に少しでも上を目指すなら、当然、頭を下げ続けるしかないと言う事に成る。
しかし、之が解らず、平等だと思ってしまい、配慮・謙虚さを無くした瞬間から、全体の負を最後は押し付けられることに成る。
嫌なら、生きられない、死ぬことに成る。
2019年12月5日木曜日
ババを引かない・・利口者・・
最近は、一流・優秀な人が多い様に、耳に聞こえるが・・・・
私の感覚だと、利口者が増えていると感じている。
利口者が一流や優秀と言われる時代に成ったと言う事・・・
何度も書くように、得する人が居れば、損する人が居る、このバランスが保たれている時が、バランスが良い社会と成る。
このバランスが壊れだして・・・世紀を超えた・・・
長者も三代続かないと言われたり・・・商売として50年続ける事は、難しいと言われるのが昔だった。
要は、それだけ、同じ事を続ける難しさと・・・維持・管理の難しさに成る・・・
帳尻合わせが・・・出来難い時代から、現代は利口者が増えて、帳尻合わせが出来やすい時代へと成った。
簡単に書けば・・負を先送りする方法が多々出て来たし・・・それが当然と言われる、社会に成ってきている。
個人として、考えても、負を背負おうとせず、逃げようとする人が増えている・・
之が意味する事は、得しか見えない世界に成っている。
しかし、現実は負が積み重ねっている状態でもある。
小さな社会の村と言う、単位・家族という単位・・・この位の視野しか私には無いが、個の見える範囲でさえ・・・・得と負の両方が、同じ量が有るのが、健全と思うが・・・
見える部分は、得しか見えないが・・・耳に入るのは負しか聞こえない・・
この現状が、若し、大きな社会・・・国・世界と成っていれば、怖い事に成る。
誰しも、負を想像する、出来るだけしたくない・・・逆に得の方は、勝手に想像するし夢見る・・・・この人の弱みに付け入る人も、利口者と言う・・・・
耳障りの良い事を並べて、人を誘導する等々、容易いと言う事に成る。
以前も書いているが、日本で、宣教師が・・・農民に改宗の為に、神を信じれば、貴方は、天国に行ける・・・信じなければ、地獄に落ちる・・・と・・言われた農民は、親が地獄で待っていると言う事なら、私は地獄に行きたいと言ったらしい・・・
日本人らしい、価値観から出る、発想で有る。
世の中、得する人も居る、勿論、逆に損する人も居て、バランスが取れる・・・全ての人が得する等々有りえないし、若しそれが可能と言うなら・・・それは幻想だし、負の先送り、何時かは地獄を超え、大爆発、無に成る・・・
要は、生きると言う事は、色々有るし、当然、損得両方を経験する・・之が健全である・・・この健全性が間違いと成れば、当然、幻想だし、爆発・・無に成る・・・生きる立場が之を求める事態が、馬鹿と言う事に成る。
帳尻合わせも、度を超えると粉飾と言われる・・・しかし、もっと大きな事が現実は起きている可能性が高い・・・理由は、利口者が増えているからに成る。
以前、書いているが、銀行も所詮、金貸し・・・勿論、お金を持っているから出来るが・・・現代は、金本位制でもない・・・・お金とは紙切れ、手形と言ってもよい・・・利口者の集団を銀行と見れば・・・分を超える事さえ簡単に行う・・・
現代は、利口なら、お金の紙を創る事など、容易いと成っている。
スペックさえ、整えれば、誰しも手に入れる事が可能である。
しかし、分を考えて、分以上を望まない・・之が現代では凡人と成る。
紙切れのお金がお金を、想像し産むことなど容易いと言う事・・・
又、当然、見えるスペックは、良過ぎる様に成っている。
しかし、現実は、負の先送り・・・・
私が見える、狭い世界の村でも、負の先送りから・・・負のババ抜きのゲームに成っている。当然、ババを引かない人が利口者と成っている。
その都度・都度に、負を処理していれば、この様な問題に成らない・・・しかし、先送りする事が、利口と成り・・溜まって、爆発が迫っているから、たらい回しの・・・ババ抜きが始まったと成る。
誰が引くのか?????当然、凄い荷に成る・・・背負える体力が有るか???・・・誰も居ない・・・しかし、このババを引く、勇気ある人が必要に成ってきている。
ブログを掲載しだした当初に、この事は書いている、今ある社会が永遠か????・・・使い捨ての時代の終焉に近付いている。
お金が、意味を持たなくなる可能性も有る。
自給自足の覚悟が必要に成る等々・・・・
物質世界の中で、物質を略、手に入れたら・・・欲しい物も無く成って行く・・・
優秀な消費者から・・・ユーザーと成る・・・ユーザーなら現状の物を、大事にしたり、商品の、満足度等々を考える方向に向かう・・・各々、何が良いかは違うが・・・耐久力は当然、誰しも求める部分に成る。
物質が、動かなくなれば、当然、消費社会から、変化しなければ成らない・・・
その為には、新たな価値観の想像が必要に成る。
お金本位主義の世界から、何処へ向かうのか????・・・之を問われる世紀だと私は考えている。
汗を流さないで、楽に、富を得る・・・之が可能と言う事は、汗を流しても、何も得ない人が多く存在する事に成る。
矛盾や負の先送りも、そろそろ限界に近付いている・・・誰が背負い・尻拭き・・後始末をするのか????・・・・当然、人になるし、優秀で一流の人の筈だが、この定義が利口者なら、凡人が背負う事に成る。
私の感覚だと、利口者が増えていると感じている。
利口者が一流や優秀と言われる時代に成ったと言う事・・・
何度も書くように、得する人が居れば、損する人が居る、このバランスが保たれている時が、バランスが良い社会と成る。
このバランスが壊れだして・・・世紀を超えた・・・
長者も三代続かないと言われたり・・・商売として50年続ける事は、難しいと言われるのが昔だった。
要は、それだけ、同じ事を続ける難しさと・・・維持・管理の難しさに成る・・・
帳尻合わせが・・・出来難い時代から、現代は利口者が増えて、帳尻合わせが出来やすい時代へと成った。
簡単に書けば・・負を先送りする方法が多々出て来たし・・・それが当然と言われる、社会に成ってきている。
個人として、考えても、負を背負おうとせず、逃げようとする人が増えている・・
之が意味する事は、得しか見えない世界に成っている。
しかし、現実は負が積み重ねっている状態でもある。
小さな社会の村と言う、単位・家族という単位・・・この位の視野しか私には無いが、個の見える範囲でさえ・・・・得と負の両方が、同じ量が有るのが、健全と思うが・・・
見える部分は、得しか見えないが・・・耳に入るのは負しか聞こえない・・
この現状が、若し、大きな社会・・・国・世界と成っていれば、怖い事に成る。
誰しも、負を想像する、出来るだけしたくない・・・逆に得の方は、勝手に想像するし夢見る・・・・この人の弱みに付け入る人も、利口者と言う・・・・
耳障りの良い事を並べて、人を誘導する等々、容易いと言う事に成る。
以前も書いているが、日本で、宣教師が・・・農民に改宗の為に、神を信じれば、貴方は、天国に行ける・・・信じなければ、地獄に落ちる・・・と・・言われた農民は、親が地獄で待っていると言う事なら、私は地獄に行きたいと言ったらしい・・・
日本人らしい、価値観から出る、発想で有る。
世の中、得する人も居る、勿論、逆に損する人も居て、バランスが取れる・・・全ての人が得する等々有りえないし、若しそれが可能と言うなら・・・それは幻想だし、負の先送り、何時かは地獄を超え、大爆発、無に成る・・・
要は、生きると言う事は、色々有るし、当然、損得両方を経験する・・之が健全である・・・この健全性が間違いと成れば、当然、幻想だし、爆発・・無に成る・・・生きる立場が之を求める事態が、馬鹿と言う事に成る。
帳尻合わせも、度を超えると粉飾と言われる・・・しかし、もっと大きな事が現実は起きている可能性が高い・・・理由は、利口者が増えているからに成る。
以前、書いているが、銀行も所詮、金貸し・・・勿論、お金を持っているから出来るが・・・現代は、金本位制でもない・・・・お金とは紙切れ、手形と言ってもよい・・・利口者の集団を銀行と見れば・・・分を超える事さえ簡単に行う・・・
現代は、利口なら、お金の紙を創る事など、容易いと成っている。
スペックさえ、整えれば、誰しも手に入れる事が可能である。
しかし、分を考えて、分以上を望まない・・之が現代では凡人と成る。
紙切れのお金がお金を、想像し産むことなど容易いと言う事・・・
又、当然、見えるスペックは、良過ぎる様に成っている。
しかし、現実は、負の先送り・・・・
私が見える、狭い世界の村でも、負の先送りから・・・負のババ抜きのゲームに成っている。当然、ババを引かない人が利口者と成っている。
その都度・都度に、負を処理していれば、この様な問題に成らない・・・しかし、先送りする事が、利口と成り・・溜まって、爆発が迫っているから、たらい回しの・・・ババ抜きが始まったと成る。
誰が引くのか?????当然、凄い荷に成る・・・背負える体力が有るか???・・・誰も居ない・・・しかし、このババを引く、勇気ある人が必要に成ってきている。
ブログを掲載しだした当初に、この事は書いている、今ある社会が永遠か????・・・使い捨ての時代の終焉に近付いている。
お金が、意味を持たなくなる可能性も有る。
自給自足の覚悟が必要に成る等々・・・・
物質世界の中で、物質を略、手に入れたら・・・欲しい物も無く成って行く・・・
優秀な消費者から・・・ユーザーと成る・・・ユーザーなら現状の物を、大事にしたり、商品の、満足度等々を考える方向に向かう・・・各々、何が良いかは違うが・・・耐久力は当然、誰しも求める部分に成る。
物質が、動かなくなれば、当然、消費社会から、変化しなければ成らない・・・
その為には、新たな価値観の想像が必要に成る。
お金本位主義の世界から、何処へ向かうのか????・・・之を問われる世紀だと私は考えている。
汗を流さないで、楽に、富を得る・・・之が可能と言う事は、汗を流しても、何も得ない人が多く存在する事に成る。
矛盾や負の先送りも、そろそろ限界に近付いている・・・誰が背負い・尻拭き・・後始末をするのか????・・・・当然、人になるし、優秀で一流の人の筈だが、この定義が利口者なら、凡人が背負う事に成る。
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