2021年4月5日月曜日

新学年に向け・・・・

 五男の新学年が始まり・・・明日が始業式に成る。

しかし・・・我が息子は何の準備も行っている様に見えない。

今日は、学生服に付ける、学年章の取り付け・・・自転車の整備等を行った。

勿論、五男から依頼を受けた訳でなく・・・私が勝手に行っている。

理由は、最近の子は尋ねても、己の考えを言わない・・・要は考えていないと言った方が良い・・・・進級すると言う事に対して・・・何が必要で、何の準備が要るか????

又、それを行う為に何が必要か?????等々を、考えていないので、口から言えない。

と言う事は・・・・己の考えに対して、改善等々の発展性が無いと言う事にもなる。

己の思いを、言って・・・それに対して叱咤等、されるから、己の甘さ、馬鹿さ加減を知る。己を知るから、現状では駄目だと、己の分での改善を目指すことに成ると思うが・・・之も、無いと言う事に成る。

要は、完全に受け身の価値観、要は、巣で待つ、ヒナと同じ・・・我欲、この場合はエサ・食事に成るが、それを大声で求め続ける、このレベルと言う事に成る。

動物なら、略、食べ物で事足りるが・・・人間の場合、この部分が、拡大・飛躍している為に、簡単に与えると言う事が出来ないのが、私の場合、現実に成る。

考えようでは、自転車も、整備も点検もしない、この状態で使い続けて、当然、壊れる。

対処は・・・新品の自転車への新調なら、この方が乗る・使用する側には理想に成る。

しかし、それを与える立場の場合・・・レベル次第では簡単にできる事でないと成る。

之が私のレベルに成る・・・この価値観で想像・考えると、息子達は壊すことで新調できると思っている様に、私は感じている。

壊すことが、目標なら、当然、整備も点検も行う事は無い・・・・

私は、自転車を買うと言う事も、簡単でない為に、結果的に整備・点検を行う事に成る。

要は、勿体ないと言う事にも繋がるが・・・・

新学年の為の、教科書の購入も有るが・・・それを息子に聞くと、始業式の帰りに購入すると言っている。本来は、春休み期間中に、購入する事に成っていたと思うが・・・・息子に確認すると、クラスで、我が家と後一軒が購入していない、早く購入する様にメールが息子に来ていると言う・・・それも、言わない・・・・親に対しての配慮か????

それとも、お金を持って、そのお釣りの粉飾を狙っているのか????・・・

子供をどう信頼していいのか、難しい部分に成る。

今日は、嫁が夜勤・・・その為に、明日は息子を、学校に出す、戦いが私に有ると言う事・・・・簡単に目覚めない・・・遅れているのに、身なりを確りと整える癖が有る。

中身が空っぽの五男だが、何故、体裁は気に成るのか????・・不思議と思っている。

彼の優先順位が、私と違うと言う事に成る。学ぶ立場なら、学びに行く、これを第一に考えるが・・・彼は違うと言う事にもなる。

又、明日は、私の従弟の、五十回忌を叔父がすると言って居たので、伺う事にしている。

障害が有り、話す事、立つこと、当然、這う事も出来ない従弟だった・・・それを、彼の兄達が一所懸命に面倒を看ていたことを思い出す。

親は、生活の為に、働きに出る。結果、兄弟が面倒を看ると言う事が、昔は当たり前だった。年齢は6歳だったと思うが、その寿命を全うされ、旅立たれた。

一番、叔父達、家族が大変だった時と重なる。

私も父親と言われる立場に成り、子に何も出来なかったと言う、悔いが叔父に有るから、今回、供養を行われると思う、当然、従弟として参加し、叔父達から学ぶ部分を、習いたいと考えている。

私も、私の人生をグラフにすれば、上下動が激しいグラフに成る。当然、その時々に息子達が居る。絶頂期に、少年時代を過ごした子もいる。逆に、不調期に、少年期を過ごした子もいる。同じ親の、子だが・・大きな違いが有るし、親として、申し訳ないと言う思いも有る。

特に、40を過ぎると、己の衰えが手に取るように判りだす。この時に少年期を迎えた子には申し訳なさが有る。

勿論、三流の分なので・・・・一流の立場から見れた、全てが申し訳ないと成ると思う、何もして上げていないと言われても仕方がない。

教育も、大学に行かせた子は、未だに居ない・・・高校も行かせる事が出来なかった子が二人いる。

一流の親から見れば、親として失格と言われると思う・・・申し訳ないと成る。

この気持ちが、下働き・雑用・尻拭きに繋がっているし、これが出来る為に、申し訳なさが少し、軽く感じる事に成る。結果、感謝と成る。

しかし、最近は、日本人でも、この様な部分は、劣っている下級レベルの人間を行う部分と思う人が増えだしている。平等と言う単語が耳に多く入るに従い、この考え価値観の人が増えている様に感じる。

その様な人が言っている、平等????私は解らないと成る。

又、日本人が・・・之が悲しいと私は成る。

反省・感謝の連続・・・

 今日は、仕事で尊敬している先輩が来訪される。

私が今の本業をしているのも、その先輩の姿を追いかけて、続けていたと言っても良い・・・・大メーカーの人だが・・そのメーカーも今は無いが・・・・色々あったが、今も付き合いをさせて頂いている・・・感謝に成る。

私は、恵まれている。多々の諸先輩が要るし・・・当然、先輩として𠮟咤等々を頂き、その都度に、己の分の無さ、力の無さを反省し・・・改善したいとの思いで、今まで生きて来たと言う事に成る。

会える毎に、申し訳なさと感謝の思いが、混在する・・・・人間以下と思える私に、会って貰える事さえ気の毒に思う事も有る。

何度も書くが、私は多々の先輩から・・・色んな事を学ばせて頂き・・それを糧に今が有る。

生かされていると思うのも、この様な思いが有るからに成る。

バカは、𠮟咤され・・・己の無知さを知る・・・之が出来れば、叱咤も感謝と成る。

しかし、叱咤に対して・・・己の無知さ・力の無さを気付かなければ・・・感謝とは捉えきれない生き方に成る。勿体ない生き方だと私は考えている。

申し訳ありません・御免なさいの姿勢が、学べる器を創ると私は、考えている。

私自身、貪欲と思う部分が、この部分に成る。

要は、その人の持っている全てを学びたいと思う、貪欲さが有ると言う事・・・その為に、何故と問い続ける事に成るし、その都度、叱咤を受けて、学び続ける事に成る。

私の息子達にも・・・この事を教えている・・・しかし、学んだかは別問題に成る。

その先が、共々に学ぶと言う流れに成る。新たな境地ともいえる。

私は、馬鹿だから、思い込みも強い・・・理屈が解らなくても、簡単に使っている事柄が多々ある。その部分に対して何故と、疑問を持つことは難しい・・・・その為に、他の人の何故と尋ねる・・・すると、その人の理屈が有れば、教えて頂く・・しかし、それが正しいとは限らない為に、色んな諸先輩に尋ねる事に成る。

すると、最終的に、誰しもよく理解していない事に気付く・・共に求める事に成る。

歳は還暦を超えても・・・未だに諸先輩も多くの人が健在である。私は幸せだと思う部分にもなる。

バカは多くの先生が必要と言う事・・・・・

一番の私の、求めている事は、何故、人は生きるのか???に成る。

悲惨と言われる環境の中でも、人は生きようと努力する。

逆に、何の不自由も無い環境なのに、己で死を選ぶ人も居る。

死を選んだと言う事は、この世が、不幸と思っていたのか???

生き様と努力する人は・・・この世が地獄の悲惨な環境でも、生きる事を目指しておられる・・・不幸なのか????・・・と疑問が湧く・・・

この様な環境で、夢も希望も無いと思える世界でさえ、生きようと微かな光を求めて居られる。

幸福とは????・・・・私は未だに判らない・・・・

不幸も幸福も判らない・・・駄目な人間と言う事にもなる。

私は叱咤して頂ける先輩が要る。その叱咤で、私も少しは変化できる。この変化が私には感謝と思える。若しかすると、これが幸せで幸福なのかもしれない。

この様に、考えると、先輩だけでなく、私の息子達も含め、多くの人様が居るから、己が変化できる・・・之が幸せで幸福と言う事に成る可能性もある。感謝と成る。