2019年5月28日火曜日

不思議だ・・・・

人間は・・・幸福を願って、又望んで・・・何万年も続いている。

本当に幸福に近づいているのか?????

私は、疑問が有る。

文献が残っている、2000年くらいの歴史をみても・・・少しでも、秩序や幸福を求めてきた事が解る。

動物の世界を見ると・・・その動物・種族が生き易い環境が、幸福だと思うが・・・この状態になると、一気に数が増える・・・人間で言えば、人口が増える事に成る。

種族に合う、環境が有れば、増える・・・これを幸福だと仮定すると・・・

現代の日本国???・・・・・人口減・・・少子化が進んでいる。

人間に取って、生き易い・住みやすい環境を求め、作り続けた結果・・・何故か、数が減る方向に成っている。

動物も、人間が管理し、その種に取って、良い環境を与えようとしても、現実には種を増やす事が出来ない場合も有る。

人間の価値観の生き易いと・動物の生き易いが違う可能性が有る。


何度が書いているが・・・・人は境遇部分に注視し過ぎていると私は考えている。
境遇は、環境に成る・・・この部分は唯物部分に成るが・・・この部分が整えば、当然、幸せに成ると、勝手に思い込んでいる。

しかし、幸せとは、唯物な物で無い・・・・心が感じる部分に成るので、唯心に成る。

之が意味する事は、同じ環境でも、人で感じ方が違うという事に成る。

この部分が、人の命・心の多様性だと私は考えている。

しかし、現代は、唯物的環境が、良ければ、当然、心も良いと感じる・・・この様な理屈が有る。

人の感受性まで、固定化する流れが存在している。

どんなに裕福な生活をしていても、不幸と感じる人が居るし・・・どんなに貧乏な生活をしていても、幸せだと感じている人も居る。

この意味する事は、裕福に対して、不満が有り、怒りが有るという事に成る。
逆に、貧乏に対して、感謝出来る人も居るという事に成る。

本来、人とは、感情の動物と言われる・・・・この事は、心の動物だという事に成る。

心が大事なら、当然、境遇より・・・境涯を考える、又、学ぶ事が必要に成る。

この部分を学ばなければ、幸せを感じる、快感を感じる、この部分も各自で大きく違う事に成る。
幾奪した、心の作用に、気付かなければ・・・・人を、傷付ける事に、快感を得たり、人の不幸を見て、幸せと感じる、境涯感を持てば、怖い事に成る。

結局は、何が幸福なのか????この部分に疑問を持ち、探究を続ける、これが今世を生きる目的だと私は考えている。