2018年2月6日火曜日

略1年・・・・何故、続け楽しいのか????

ステア回りの、セイバーを弱め、と言うより、殆ど静止状態だと、サーボーは動くが、セイバーが弱く、殆ど舵角表現が出来ない状態にして、略一年・・・

その前から、スプリングの数を減らして、弱い状態で走っていたが・・・スプリングを削り、この様な弱さの状態にしたのは、今回が初めて・・・・

最初に経験した、GPバギーもピアノ線を使った、弱い、保持力で、静止状態だと、殆ど舵角表現が出来なかったが、その時より、更に弱い、感じに設定して・・・

練習を重ねている・・・コースの周回も、一周も奇麗に走る事も難しく、出来る時は、偶然・タマタマ・奇跡と言う感じで、一年間コースに、伺い続けている。

第三者が見れば、何が楽しくて、悶絶するような走行を続けているか・・・と・・・思われていると思うが・・・

私には、RC独特の操作の癖が強く残っているし・・・・RCドリフトの世界で言われている様な操作が、出来ない、実車と外部操作のRCには、大きな違いが有る為に、自ずと操作が違うが、之も、私の車つくりの問題で、感じていると考え・・・

言葉を信じて、アクセルで曲げる、等々が出きれば、ステア操作も一瞬の切っ掛け作りに成るし、ステアに強く依存した、RC独特の操作感からの脱皮の為に、頑張っている・・・・

之が私には、楽しいし、操作していて面白いと感じれている。

奇麗に走っても、感動も、面白みも無ければ、走る意味は無いと私は考えている。

先ずは、自分が確り、楽しめる、之が大事だと思うし、その事は、RCドリフターの表現を聞けば、奈留ほどと思える。

簡単に書けば、失敗も楽しい、面白いと思える・・・・実車のドリフト練習と同じだという事に成る。

又、たまに成功する時のハラハラ感・・・・・成功した後の充実感・・・・こんな楽しさが有る事を、私は長く、RCカーを続けて居たが、気付かなかった。

之を気付かせてくれたのも、RCドリフターのお陰だと私は考えているし、感謝している。

こんなに面白いなら、練習も飽きないし、ドリフターが言われている、色んな部分が見え出すし、人馬一体感等々も、確り得る事が出来る。もちろん、操作側が下手なので、失敗が多いと言う事になる。

車は正直だ・・・・確り、適正な操作をしないと、走らないし失敗と直ぐに解る・・・・
下手だから、失敗が多いし、上手い人が操作すれば、技量に合わせて、上手に走ると思う・・・・

何時か、凄腕と合う事を夢見て、コースには伺っているが、中々、来店されない、この部分も少し気にしている。

情報等では、凄い人数の凄腕が、この世界には多いように見える・・・・しかし、何故か合わない・・・

加重移動、適正な舵角表現・・・又適正なトルク表現が出来なければ、走らない・・・実車だと当然と言う部分に成る。

逆に外部操作のRCは大雑把な操作でも安定して走る、之を求める世界に成る。
しかし、RCドリフトのこの普通のRCカーの世界とは、目的が違う様な表現が多い・・・未だ見ぬ凄い人を、気を長くして待つ事にする。

巡査が・・・来訪・・・

久しぶりに巡査が、我家に来訪・・・・

理由は、中型バイクが多々、我家の駐車場に止まっていると言う理由で・・・

上の子供達の頃は、警官の来訪は当然の事だったが・・・・四男では始めて・・・・

警察も確り、頑張っている・・・・・

今後が有る、若者を確り、見守る・・・・之も、大事な部分に成る。

警察を期待できるか????期待できないか????之も私は解らない・・・・・

基本、警察も、市民意識で変わる・・・・・・

良しにせよ、悪しにせよ・・・行なった人間が確り、尻拭きを自分ですれば、警察の仕事も減る・・・・


この警察の仕事が、大変に成るのは、責任を認めない、人が増えているからに成ると思う・・・

人は失敗もするし、間違いも起す・・この時の、行動・処置に問題が有るから、警察の仕事が増えている様だ・・・・・

間違いを起す可能性が高いと、感じたから、巡査が我家に来たと思う・・・・・

之を馬鹿にされたと感じるのが、嫁や子供達・・・・心配だから来たと考えれば・・・又、感覚が変わる。

この部分が、結局は、負を隠す・先送りにして行く流れを作っている。

私の事故も、相手を警察は、一所懸命に捜査をしていると信じている。ただ、市民意識がどの方向かが問題に成る。

この部分は警察の責任でも無いし、行政の責任でもない・・・・道徳という部分は、社会教育の問題・・・・

間違いを起さない、この様な意識が強いと、学ぶ意識も薄れる・・・・行政等々も社会教育に尽力しているが・・・興味を持たない・・・・・しかし、問題が出たら、知らなかった、私は被害者、行政や国の手落ち等々と言う人達も増えている。

勿論、啓蒙活動のレベル・質も色々有る、この部分が弱かったから、私は被害者に成ったという論法の人も出て来る。

どのレベルに合わせるか、之も、難しい部分に成るし、一流の人が多ければ、文面だけで済むが、現実には違っている。

怖い時代で有る、ニコニコした紳士の顔で、実は人をナイフで刺しているこの様な人も居ると言う事・・・・

どの様な人間を、社会が創り、求めているか・・・・・之が一番大事な部分と私は考えている。

三流市民の無知は・・・・・

普通なら簡単と成ると思うが・・・・私は三流だし、無知・・・結果、普通さへ悩むし、知らない・・・知らないから、知ろうとするし、又、馬鹿だから、一つの答えでは満足できず・・・色んな答えを求めて、その中から、選ぶ・・・勿論、限定もしないし、今は之が答えかな程度で、考えている。

その為に、何が正しいかも解らないしと、私はブログにも書き続けてきた。

世の中で、生きる、この部分が、私には大事な事だし、三流だから、難儀している。

人が作っている、世界は、変化を続けている、この事は、答えも変化し続けている事に成る。

又、正しい答えを求めている訳でもない・・・・自分の価値観と有った、自分が求める答えを探していると言った方が良いと思う・・・・その為に、人の数、答えが有ると言うのが、私の見解に成る。


一般的には、価値観の多様が現代と言われているが、本当にそうなのか・・・・・私の目からだと、自分は優秀だ、人とは違う、この価値観に染まっている人が多い様に思う・・・・
多いと言う事は、人と同じと言う事になる。

権力側には都合が良い、人と言う事に成る・・・・・良い・良い・良い・と言葉の端々にこの単語を付けると、何故か、優秀で特別だから私だけはと言う思いで直ぐに洗脳されたり、扇動されたりする人を増やす事にもなる。

結局、耳触りの良い言葉も、その人の価値観で変わると言うこと・・・耳触りの良い言葉の羅列で、人を誘導する、この様な人も出て来る。

優秀な人は、楽に簡単に出来ると思って居る人も居る・・・簡単に書けば、苦労や努力は必要ない・・・この様な感覚の人も居る。

若し、実力が無ければ、何を求めるか、当然、簡単で楽で、形、体裁を得る方向性を求めだす。


又、現代は情報が簡単に手に入る・・・・この事は多々の答えが散乱している事に成る。

無知な私は、基本が馬鹿だから・・・答えが多々有れば、全てを先ずは信頼して、考える。

余りにも簡単で、楽な事は、馬鹿には向かないし、馬鹿は苦労する之が当然と言われるので、自分の取っては、一番難しいと思えるものを、選ぶが、意味も解らず結果、調べたり・勉強したりが始まる。

之が無知を埋める作用に成っていると思う・・・

三流だから、人の三倍の苦労も当然だし・・・・その苦労で得る対価も、当然少ない・・・之を私の分を基準に考えれば、普通に成る・・・

この普通が、人のレベルでも変わると言うこと・・・・

RCドリフトも下手で無知だから、練習を続けるし・・・・少し、自分の思う通りに成ってきたら、又難しい方向に車を向ける・・・・・結果、難しさを永遠に続くが・・・・操作技量は少なくともUPしていると私は信じている。

良く、私の息子達にも言うのだが・・・簡単で楽な事を望んで何が楽しいか????・・・・・

結局、楽に走り、その中での勝敗で、一喜一憂している・・・負ければ、もの凄く機嫌が悪いし、勝てば大判振舞い・・・私の目体だと、私以上に馬鹿に見える。
又、悲しいかな、その勝負をするにもお金・・・・結局は、お金本位主義の価値観が強いという事に成る。

時々、目の前に、親が倒れている、その横に一万円札が落ちている、どう行動するかと質問すると、当然お金を先ず取って、其れを使ってから、親と言う順序らしい・・・・

よい??子供の私も育てたものだと、考える瞬間に成る。

今一瞬の得を目指す生き方・・・私は悲しく感じるときも有る。

三流な親だから、子供も三流か四流の可能性が高い・・・・

優秀で一流の人が多いように見える世界が、現代・・・この様な子育てはされていないと思う・・・・

多いと言う事は、優秀な考えも多々有ると言うことになる。
しかし、思い込んでいる人の場合、何故か考えが一極に向う・・・・之も人の性に成る。

理由は簡単、私は一流と風潮している人に、近付く・コピーする之が一流と思う人が居ると言う事

結果、大きな声で、目立ち、声を上げて、之が正しい、一流と言えば、それに洗脳される人が居ると言う事・・・・

又、不思議に、本来、其れを信じた人が悪い・・・・しかし、何か問題が出た場合、扇動した主体者が悪いと成る。之も私が疑問に思う所・・・・

何故かは、騙したと言うことらしいは、本人も、洗脳された人も、正しいと思っているから、この世界・価値観を受け入れている。
私は同罪だと考えている。こうなると、主犯はとなるが、之は社会だと私は考えている、社会での教育、特に人間力に対しての、部分が欠如しているからだと思う。

同じ、対価を得るためには、楽で簡単、之を出来る人が優秀と言う世界・・・・又、人は失敗も間違いも起す、之も認めない世界・・・

時代と共に、人間の許容力が減少している感じさえする。

人のレベルの差も認めず、平等で無いと言う・・・・人の個性も認めず、同じ様に平等で無いと言う・・・

平等の意味が、一極と言う意味に成っている・・・・

色んな、個性が有り、レベルの人が社会を構成している・・・この社会で生きている私は当然この様な人を、容認できる、器が必要に成る。

勿論、三流の為に器が狭いので、容認出来ない人も出て来ると覆うが・・・・優秀で一流が多い世界なので、安心して良いが、何故か安心できない、心がある。

この不安が、特に歳を重ねると出て来る。







普通の車・・・・何故か難しい・・・

普通の車・・・RCカーを楽しむと・・・・最後にはこの部分に行き着く・・・・

しかし、普通が本当に難しい・・・色んな意味に成るが・・・・求めれば、キリが無くなる。

以前も書いているが、つい最近、流行った・・クローラーと言うジャンル・・・・凄い走破性を競ったが・・・私は直ぐに飽きた・・・・走破性を求め、策を考え取り入れ・・走らせる・・・その結果で又触り、又走る・・・結局、バッテリ1本を使って走りきる等々無い・・・・車を触り続ける・・・操作を楽しむというより・・・車を触る楽しみに成っていた・・・・・私は飽きたので、昔から有る、CC-01のシャーシで、勿論、デフロックもしない、普通の車での走破性より、走りを楽しみ、リアルの動きを求める様に成った。

勿論、この様な事を楽しむ人を、その当時ほとんど居ない・・・全てが走破性が長ける、不可能と思える、難所を簡単に難なく走破する車も求めていた時代・・・・少しの凸を越えた、この時の挙動等を楽しむ等々、考える人も居なかったと思う・・・

RCだから、実車では不可能な事が簡単に出来る・・・之もRCの凄い事だし、特徴に成る。

殆どのRCカーのジャンルは、RCの特徴、凄さを全目に出して、楽しむ世界に成っている。
その為に、特種車両化している。

しかし、RCドリフトの世界だけは・・・最初から実車・・之が底辺に有った・・・勿論、長年RCカーのジャンルにいて・・・この実車と言う言葉を、正直に受け止めることが出来なかった、

この実車と言う単語でメーカーが作った車は、RCカーの世界では、一瞬は流行るが直ぐに廃る・・・この歴史を続けている。

何故かは、当然、特種車両に馴れた操作の癖・・・其れと意識、スピードと言う魔物に魅了されている為に・・・実車の様に、無理をすれば直ぐに破綻する車・・・これを個性と見なす器が無く、駄目で走らない車を、ユーザーが認識してしまう為に・・・直ぐに廃れる。

つい最近では、ヨコモがGT・・食わない、グリップ力の低いタイヤでのツーリングの提案をした。実車の挙動に近付くし、操作も丁寧さが求められる。勿論、メカやパワー源も価格帯の安いもので十分、裾野を広げる意味で、始まったと思うが、半年も持たなかった。

パワー神話がRCカーの世界には色濃く有る。無謀すぎるパワーに一度、慣れると、中々、その快感を忘れ成れなくなる。

このユーザーに実車感等々は耳触りが良いので、一瞬は心が動くが、如何しても、癖、パワー依存症に成っているので、体が受け付けない・・・・この現実を私は、何度も看ているので・・・

RCドリフトが始まった当初、実車感等々、口からのデマカセ・・その証拠に、ツーリングでも使うことを通著するモーターを当然の様に使っている・・・・・と考えて居たし、また、回りに私の見解を言い続けたが・・・・何故か、私が実車と言う方向に向かい出した。

しかし、RCカーで普通の車、勿論実車に成るが・・・特性に近づける、この作業が可也難しいし、昔は不可能とも思っていた。

近付いてくると、今度は、普通が解らなくなる・・・・・・

動画等で、実車の走り、挙動の確認が始まる・・・・RCカーの目で、RCカーの動きを見るとの、実車の目で、RCカーを見るのでは、大きく、感覚が変わる・・・

以前も書いているが、レーシングマシーンの実車、コーナーに対しての舵角表現の仕方、RCカーと比べると、大きく違う・・・・同じ、マシーンに成るが・・・・・

又、大衆車等の、コーナーでの舵角・・・・これと比べても大きく、RCカーは違う、どう違うとか、凄いアンダーな舵角表現だし、又挙動に見える。

実車の舵角操作は、速度を殺さない、之を際前提の目的で舵角を表現している。

RCカーは、速度を殺す、ブレーキの意味も舵角に含めている。

ドリフトに当てはめると、舵角が深いから、フロントが止まり、又、リアは横に出ていない挙動で、真直ぐに押す挙動だが、結果的にフロントが真直ぐに進まないから、舵角方向に力が逃げる、其れを追うようなリアの動きを示す、かに走りの、又は前後のタイヤの喧嘩走法に私は見える。
簡単に書けば、リアが出来るから舵角操作で修正舵がドリフトだと私は考えているが、

リアが出ないから、無理な舵角で、フロントの真直ぐ方向の動きを止めて、フロントが横に進む、その方向にリアを行かせる為には、タイヤのトラクションの横方向を抜くために、多大に回す、この様に見える。

又、この矛盾を、尋ねると目指しているのが、現代のD1と言われる・・・・私は昔からD1は知らないと書き続けているが・・・何故か、舵角の表現が大袈裟方向に向かっている事は解るし、その為には、かに走りを目指している事に成るし、この事は、タイヤはパワー源に依存度が高まっている事を意味する。
一般車両でこの様な事は、無理になる・・・この無理を感じれば、特殊な独特の世界に成る。結果、裾野が狭くなる。

私が、求めているのは普通の車・・・しかし、その普通が解らなく成って来ている。

コースに伺うと、普通と違うといわれる・・・・この普通が意味しているのは、今のRCドリフト環境を意味していると思う・・・

しかし、私は、この環境の中で、堂々と言われている、操作の仕方、等々の口の表現を、私なりに具現化する之を目標にして入る。

この思いで約10年、操作の癖、私の固定観念との、戦いを続けて来た・・・・・

先に書いた、ヨコモのGiクラス、タイヤがプアーの為に、モーターが35T程だったと記憶している、結局はモーターの規格が、ユーザーを馬鹿にしていると、思う人が多いので、直ぐに廃ったと考えているが、之も国民性なのかも知れない・・・・

パワーが無い、之を楽しむ、この様な考えが日本人には少ない、パワーを楽しむと言う単語で、思いつくのは大パワーと成るのが、日本人・・・・

ケツカキのテック・コンバ・・・・グリップ走行が、2駆に比べ難しかったが、その欠点も克服方向が見えてきた、トルク変動が問題と・・・・・・

又、ブレーキ操作の大事さ・・・・実車だと、色んな強さの表現が有る・・・RCでも之に近づける事に成る・・・スピード域でも変わるし、特にリアだけのブレーキ・・大事に成る。
破綻させない、ブレーキ操作が基本・・・・之が出来るから、ロックの演出も可能に成る。