長男が・・・義理の弟を伴い・・・来訪・・・
弟さん・・・ダウン症を発症しているが・・・彼が来ると、家の中が明るくなるので、嫁も、彼を好んでいる。
長男の若嫁は、友達のマラソンの応援で・・・娘と共に言っているとの事、
その為に、弟の面倒を看ながら、我家に来たと言う事に成る。
ダウン症の弟君、24歳との事だが・・・私の四男の20歳の子に比べて・・・劣っていると言うより、長けている部分が多い感じがする。
健常者として働く事は出来ないが、彼も彼なりの仕事を、普通の人と同じ時間、頑張っているし・・・その対価も、少ないが、確り母親に渡している。
何が親孝行かは色々有るが、彼も彼の立場で、確り、親に恩を返していると思う。
凄い事だと私は考えている・・・勿論、一般には普通の事かも知れないが・・・私の子供の場合、稼いだお金を、貰える等々、考えられない・・之が普通なので、基準が違う可能性が有る。
オッちゃん、おごってあげるから、うどんを食べに行こう・・等々、言ってくれる・・・ダウン症の彼が、羨ましく思える・・・・
色んな、人と縁することが出来る事に、感謝に成るし、世なのかに生まれて、半世紀を過ぎたが、知らない事も多々ある。
生きてる間は、色んなことを知る・・・之が、最近、義務と思う様になってきている。
歳が多い事は、世間の事を多々知っていると言う事に成る・・・又、周りもその様な期待感で見ている。
この思いに答える為にも、色んな人と会う、大事だと思う。
2019年10月20日日曜日
民主主義???・・・社会主義???
言葉的に民主主義と、我が国は思っている国民が多い・・・
民主主義????と聞くと、国民が主権と言う人が多いが・・・国民とは???・・日本国に国籍が有る・・・人・個人に主権が有ると言う事に成る。
主権とは?????統治する権利に成るが・・・統治している部分の、全ての責任を背負うと言う意味も有る。
誰が、当然、国民が・・・之が、民主主義と言う事だと私は考えている。
その為に、個々の個人が、確りした、義務と責任を遂行する事が前提に有るし、だから、権利が主張できると言う事にも成る。
しかし、之を、家庭に置き換える・・・・家族に属している人が、個々に責任と義務を果たしているか????
当然、幼い子供も居る場合も有るし、人の手を必要としている人も居る。
幼子としての、責任と義務を果たしている場合も有るし、そうでない場合も有る。
それを、総合して、一軒の家族としている為に・・・家の家長的立場の人が、重い荷を背負う場合も出て来る。
本来、個々の人が、責任と義務を全て、行っていれば、背負う立場は出てこない。
しかし、民主主義は、之も個人の責任と、成っている。
民主主義と書くと、次には社会主義が出て来る。
之が、意味する事は、社会が主権者と言う事・・・・集合体、之も大きな方向に向かう・・・社会全体で、義務と責任を果たしていくと言う事・・・・
社会の総意が、問われる事に成る。この世界は、社会に順応する事が求められる。個が無視されやすいと言う事に成る。
何故、この方向に向かうのか・・・要は、先に書いた、小さな集団・・・家庭でさえ・・背負う立場と、手の居る立場とある。
背負う人が居ても、背負いきれない物が有るなら、社会全体でと成る場合が有る。
日本国も、現実には、この方向に向かっている可能性が有る。
民主主義と言っても、個人の権利だけを主張する・・・・・義務と責任は主張しない。
何故、この方向に成るのか、一人一人が、端的に弱いと言う事に成る。
義務や責任は背負いたくないが、権利は主張したい・・・この様な人が増えるなら、誰が、負を背負うのか????・・・居ないから、漠然とした社会に責任と義務を押し付ける方向に成る。
一人一人の人民の意識が低いと言う事にも成る。
誰しも思うが、他所の家庭、勝手に処理してくれ・・・之が本来の姿だと思う。
しかし、それが出来ないと、大きな集団、社会や国を頼る・・・之は、最後の手段と思うが・・・之が最初の成る世界に成れば、社会主義的だが、現実には強権的、独裁方向に向かうのも、理解できると思う。
権利を主張するだけで、それを社会に要求する、それを全て叶える事は不可能・・・どうしても、力を持つ、側の尊宅に成る為、利権と力が集中しだす。その為に、独裁方向に成る。
仮に、社会が無いと言う、大昔、縁あって、女性と知り合い・・・子供が出来た・・・一つの家族と言う集団を、維持する為に・・・家長たる立場は、頑張ると思う、この頑張りが足らなければ、消滅するのが自然の摂理に成る。誰の責任でない、己の責任と言う事に成る。
この、個々の家族が集まった国が、民主主義と言ってもよい・・・勿論、家族毎に、価値観や風習も違う・・・この違いを、認めあえる世界が、民主主義だと私は考えている。
若し、この最小単位が、社会に成れば、社会の価値観や風習に先ずは、属しなければならないから始まる。多様な価値観を認めない方向だし、それに属していれば、当然、家族として考えれば、自分は幼子、社会の家長たる立場が手を貸すものと成って行く・・・
若し、貸さなければ、社会が悪い、社会のリーダーが悪いと成る世界にも成る。
無人島で一人で住んで居る人にも主権が有る・・之が民主主義の基本に成る。
しかし、社会に順応できなければ、人とは見られない主権が認められない、世界が、社会主義ともいえる。
若し、日本国がこの方向に向かっていると思うなら、日本国も社会主義に向っていると言う事にも成る。社会や集団に、染まる事が、義務と言う世界に成る。
当然、染まらない人間は、人として認められない世界に成る。
主義とは、主権の主張と思うが、権利には、当然、義務と責任も付いている。
この部分を放棄している主義は有りえないし、単なる我儘と言う事に成る。
個人主義も、自己完結で、人に迷惑を欠けないなら、良いと思うし、価値観も認められる。
しかし、個人主義と風潮している本人は、私の目からだと、自己中心主義者に見える。
問題等々は、外に責任転換している。
何度が書いているが、私は個人主義者だと思う。しかし、自己完結出来ない事も解っている。だから、家族を作っているし、人を育てなければと思っている。
出来るだけ、小さな単位での自己完結を、模索している。
この部分が、他人様に出来るだけ迷惑を欠けたくない・・・この思いに繋がっている。
若し、この部分を放棄し、個人主義と風潮して、本質は自己中心主義者なら、社会に依存する事に成る。怖い世界に成る・・・
表面上は、民主主義だが、現実は社会主義・・・本質は一部の権力者に支配されている独裁を望んでいる事に成る。
この部分は、昔、アラブの春と言われる、民主主義の方向性に向かうかと思われる、革命と言うより、事件が有ったが・・・結果は、元に戻る・・・理由は、民主と言う、意味を理解していない、誰かから恵まれる、これが生きる目的、又、得する生き方と言う価値観が底辺に根付いている為に成る。
日本国も、成人年齢を18歳に向かっている・・・理由にこの部分が有る。
子供としての大きな社会は、家庭に成る・・家庭で保護され恵まれる環境を当たり前と思っている・・・当然、義務や責任等々、気付く訳が無い・・・
自立した一人に人間にしなければ、民主主義は出来ない。
生きる為に、社会や人に依存する、これが正しいと言う価値観に染まれば、民主主義は崩壊するし、それが意味する事は、独裁的社会に向かう事に成る。
裕福に成れば、特に、この方向に進む・・・・親は多大に責任・義務感を感じて遂行する事を当たり前と思う・・・それで何を創っているのか、甘え切った、子供に成る。
又、社会も子育ての正しさ、普通を当たり前の様に風潮している、その様な環境を与えた結果、甘えた子供を、社会に排出する事に成る。
自分の弱さを社会の責任に転嫁・・・之が、何を産むが、社会の崩壊に成る。
結果、強りリーダーの到来を切望する、これが独裁者に成る。
親として、子供にどの程度与えるか、それは、各家庭の勝手で良い・・・・
社会が基準化した子供を育てているのか????・・・・・私は生き抜く力のある子を育てたいと考えている。
民主主義????と聞くと、国民が主権と言う人が多いが・・・国民とは???・・日本国に国籍が有る・・・人・個人に主権が有ると言う事に成る。
主権とは?????統治する権利に成るが・・・統治している部分の、全ての責任を背負うと言う意味も有る。
誰が、当然、国民が・・・之が、民主主義と言う事だと私は考えている。
その為に、個々の個人が、確りした、義務と責任を遂行する事が前提に有るし、だから、権利が主張できると言う事にも成る。
しかし、之を、家庭に置き換える・・・・家族に属している人が、個々に責任と義務を果たしているか????
当然、幼い子供も居る場合も有るし、人の手を必要としている人も居る。
幼子としての、責任と義務を果たしている場合も有るし、そうでない場合も有る。
それを、総合して、一軒の家族としている為に・・・家の家長的立場の人が、重い荷を背負う場合も出て来る。
本来、個々の人が、責任と義務を全て、行っていれば、背負う立場は出てこない。
しかし、民主主義は、之も個人の責任と、成っている。
民主主義と書くと、次には社会主義が出て来る。
之が、意味する事は、社会が主権者と言う事・・・・集合体、之も大きな方向に向かう・・・社会全体で、義務と責任を果たしていくと言う事・・・・
社会の総意が、問われる事に成る。この世界は、社会に順応する事が求められる。個が無視されやすいと言う事に成る。
何故、この方向に向かうのか・・・要は、先に書いた、小さな集団・・・家庭でさえ・・背負う立場と、手の居る立場とある。
背負う人が居ても、背負いきれない物が有るなら、社会全体でと成る場合が有る。
日本国も、現実には、この方向に向かっている可能性が有る。
民主主義と言っても、個人の権利だけを主張する・・・・・義務と責任は主張しない。
何故、この方向に成るのか、一人一人が、端的に弱いと言う事に成る。
義務や責任は背負いたくないが、権利は主張したい・・・この様な人が増えるなら、誰が、負を背負うのか????・・・居ないから、漠然とした社会に責任と義務を押し付ける方向に成る。
一人一人の人民の意識が低いと言う事にも成る。
誰しも思うが、他所の家庭、勝手に処理してくれ・・・之が本来の姿だと思う。
しかし、それが出来ないと、大きな集団、社会や国を頼る・・・之は、最後の手段と思うが・・・之が最初の成る世界に成れば、社会主義的だが、現実には強権的、独裁方向に向かうのも、理解できると思う。
権利を主張するだけで、それを社会に要求する、それを全て叶える事は不可能・・・どうしても、力を持つ、側の尊宅に成る為、利権と力が集中しだす。その為に、独裁方向に成る。
仮に、社会が無いと言う、大昔、縁あって、女性と知り合い・・・子供が出来た・・・一つの家族と言う集団を、維持する為に・・・家長たる立場は、頑張ると思う、この頑張りが足らなければ、消滅するのが自然の摂理に成る。誰の責任でない、己の責任と言う事に成る。
この、個々の家族が集まった国が、民主主義と言ってもよい・・・勿論、家族毎に、価値観や風習も違う・・・この違いを、認めあえる世界が、民主主義だと私は考えている。
若し、この最小単位が、社会に成れば、社会の価値観や風習に先ずは、属しなければならないから始まる。多様な価値観を認めない方向だし、それに属していれば、当然、家族として考えれば、自分は幼子、社会の家長たる立場が手を貸すものと成って行く・・・
若し、貸さなければ、社会が悪い、社会のリーダーが悪いと成る世界にも成る。
無人島で一人で住んで居る人にも主権が有る・・之が民主主義の基本に成る。
しかし、社会に順応できなければ、人とは見られない主権が認められない、世界が、社会主義ともいえる。
若し、日本国がこの方向に向かっていると思うなら、日本国も社会主義に向っていると言う事にも成る。社会や集団に、染まる事が、義務と言う世界に成る。
当然、染まらない人間は、人として認められない世界に成る。
主義とは、主権の主張と思うが、権利には、当然、義務と責任も付いている。
この部分を放棄している主義は有りえないし、単なる我儘と言う事に成る。
個人主義も、自己完結で、人に迷惑を欠けないなら、良いと思うし、価値観も認められる。
しかし、個人主義と風潮している本人は、私の目からだと、自己中心主義者に見える。
問題等々は、外に責任転換している。
何度が書いているが、私は個人主義者だと思う。しかし、自己完結出来ない事も解っている。だから、家族を作っているし、人を育てなければと思っている。
出来るだけ、小さな単位での自己完結を、模索している。
この部分が、他人様に出来るだけ迷惑を欠けたくない・・・この思いに繋がっている。
若し、この部分を放棄し、個人主義と風潮して、本質は自己中心主義者なら、社会に依存する事に成る。怖い世界に成る・・・
表面上は、民主主義だが、現実は社会主義・・・本質は一部の権力者に支配されている独裁を望んでいる事に成る。
この部分は、昔、アラブの春と言われる、民主主義の方向性に向かうかと思われる、革命と言うより、事件が有ったが・・・結果は、元に戻る・・・理由は、民主と言う、意味を理解していない、誰かから恵まれる、これが生きる目的、又、得する生き方と言う価値観が底辺に根付いている為に成る。
日本国も、成人年齢を18歳に向かっている・・・理由にこの部分が有る。
子供としての大きな社会は、家庭に成る・・家庭で保護され恵まれる環境を当たり前と思っている・・・当然、義務や責任等々、気付く訳が無い・・・
自立した一人に人間にしなければ、民主主義は出来ない。
生きる為に、社会や人に依存する、これが正しいと言う価値観に染まれば、民主主義は崩壊するし、それが意味する事は、独裁的社会に向かう事に成る。
裕福に成れば、特に、この方向に進む・・・・親は多大に責任・義務感を感じて遂行する事を当たり前と思う・・・それで何を創っているのか、甘え切った、子供に成る。
又、社会も子育ての正しさ、普通を当たり前の様に風潮している、その様な環境を与えた結果、甘えた子供を、社会に排出する事に成る。
自分の弱さを社会の責任に転嫁・・・之が、何を産むが、社会の崩壊に成る。
結果、強りリーダーの到来を切望する、これが独裁者に成る。
親として、子供にどの程度与えるか、それは、各家庭の勝手で良い・・・・
社会が基準化した子供を育てているのか????・・・・・私は生き抜く力のある子を育てたいと考えている。
人は居るが・・・職人が・・・・
代わりが居る・・・職業・・・この方向が現代は進んでいるし・・・企業も誰でも出来る仕事、之を創って、それを運営すれば、利益を得れる、この方向に進んでいる。
以前書いたが、特出した人材を必要とする産業は、今後、衰退すると、ある会社の経営側から言われたことが有る。
理由は、その人に頼る方向に成るし、若し、その人が居なくなれば、仕事全体に及ぼす影響が多い為と言われていた。
私は、職人と自分を認識しているので・・・この言葉に対しに、賛成できなかったことを以前書いている。
要は、代えが適う、人・・・勤め人、それも、単純作業方向に向かう事に成る。
之を縛るのが、時間での管理・・・・結果、労働時間等々を長くする事が、会社に利益を与える方向に成ると成り、この部分の規制が、近年では、進んでいる事に成る。
私は、職人としての価値観で生きている。その為に、何か有れば、直ぐに対応が基本と思っている。休日も夜中もと言う、縛りも無い・・年中、対処するこの考えで、今まで、生きてきた。
私の職人としての、気質に成る。
困ったことに対して、私が受持てる部分の提供が、職人だと考えている。
この部分が、現代では、損に向かう方向が多い・・・・困った事が発生、私の見解を求められる。昔はその後に、自分の生活の糧に成る、稼ぎの部分が有ったが・・・今は、見解を聞いた後は、安さを求めて探され、購入と言う形に成っている。
之を、昔からメーカー等から、私は指摘されていた・・現代は、その様な事が、無駄なサービスと成っているとの事・・・私は、人の心を信じ続けて、現代に成っている。
今でも、他所から購入の機械等の件で、困ったことが有れば、対処の依頼が来ることが有る。当然、職人として耳に入れば、対処方向に動く・・・・対処と言っても、無知だから問題に成って居るだけで、解決方向が多い、使用説明と言う事に成る。
お茶一杯の対価で、帰る事に成る。
現代は、全てが、この職人を排除する方向に向かっている。家さえ、規格品で、工場生産の、ユニットを組み立てる方式に向かっている。
木造建築でさえ、墨入れを行い、切込みを入れる、大工と言う職人の技術も、製材所がプレカットと言う、製品化した柱で販売している。
簡単に書けば、プラモデルより、簡単に出来るシステムに向かっている。
プラモデルを作った経験の人は、解ると思うが、完成後、一部が欠損、それを直す事が簡単か????・・・組み立ては出来るが、修復は出来ない、新たなプラモデルを買って来て、そのパーツを使っての修復が限度と言う人が、多い・・・
一部の修理に、費用としては、新品を新たに造るより、高い費用が掛かる事に成る。
昨日、昔のバイクの仲間の、建設会社の社長さんと、話したが・・・・人は集める事は出来る、しかし、職人が????と・・・悔やんでおられた。
自然災害の復旧作業の、仕事が多々ある。現状では、昔なら簡単な修理で済む話が、全部取り換え等の、仕事に成る・・・理由は職人不足・・・
又、保険等々の、査定で、人件費も、職人の対価でなく、人の単価・・・材料等は当然、認めるが、目に見えない技術の評価が無い・・・・結果、対価が無いと成る。
修理から、取り返し毎に向かっている・・・・と、言われていた。
建築物迄、この流れに向かっている。
機械関係は、四十年前くらいからこの流れに向かいだした・・・・
直ぐに全損、扱いに向かう・・・・
又、それが安いと言う、認識に向かっている。
結果、職人が要らない世界、特殊な能力が要らない世界に向かっている事に成る。
命にかかわる部分だけが、緊急性が有ると、消防や警察が時間、稼働しているが・・・
それ以外でも、本来、緊急を有する部分が多々あると私は考えている。
それを、受持っていた、職人が、居ない・・・之が現代に成っている。
人の役に立って、初めて意味を成す、職人・・・又、その気質が、過去のものと成っている。
自分の為の、仕事、この、工員としての人の、排出・集中が最近の傾向の様だ・・・
結果、人が困っていると言う事で、動こうとしない、対価は???等々が、最初に頭に浮かぶ、人達の排出を行っている事に成る。
職人気質の、損して徳とれ・・・・之は昔・・・現代は損して、やはり、損したと言われる、職人を目指す人が減っていると言う事に成る。
仕事は、自分の為が趣旨に向かっている。
先日、リース会社の保険対応から電話が有った・・・・部品代等々は、認識できた。
しかし、排出・搬入・貸出代の一式と言う、金額の内訳が居るのと事・・・
機械を修理する為に、現場では出来難い為に、排出し、私の会社で修理・点検・テスト等行い、その間は、貸出機で対応して頂き・・・その後、搬入した。
金額は、一式で3万としていた。
正確に書けば、水害を受けた連絡が入り・・・・現場に向かった、その時点で、停電、機械の、稼働状況のテストが出来ない。
電気の復旧を待ち、再度伺うが・・・・作業場の事務所、現場に行かれていれば、事務所は無人で、誰も居ない・・・当然、鎖錠されているので入れない。
この遣り取りが続いて、伺う・・・・テスト、問題部分が解るが、この場所では修理も出来ないし、水没の場合、各パーツのテストで、全てが悪いとは成らないので、全パーツを準備して、修理テストに成る。結果、私の事務所に保管している、他の機械から、部品を外し、取り換えながら、正常品と・負正常品との選別が必要に成る。
又、その間の貸し出し機械も必要に成る・・・之を、細かく、書きだせば3万では済まないと私は考えている。
修理に関しての日数も多く必要だし、テストする期間も数日必要に成る。
本来、全損扱いが、楽だと言う意味が、この部分に有る。
修理人としての、職人としてのプライドが、全損扱いにさせないと言う方向に成る。
この様な、人の能力や、努力を、保険会社は、評価しない・・・結果、職人気質が必要で無いと言う時代にも成る。
しかし、昔と違い、現代は保険屋も、全額、保証するとは限らない・・・それほど、災害が増えているし、保険会社の負担の増え続けてる為に成る。
今回、自然災害で被害を受け、修復・復旧の為の、保険と考えても、全額出るとは限らない。
この災害で、儲けようと思う人も出て来る。
逆に、損する人も当然、多く出て来ることに成る。
職人の技量を要しない、仕事等は、儲かるし、儲けようとする人も増える。
しかし、職人が居る、仕事も有る筈。又、その職人の力量でも、大きく変わる部分は、第三者が、査定出来にくい部分に成る。
屋根全部を、取り換えた、費用も大きいが、保険金も大きいい、しかし、差が有る可能性も有る。
上手に修復する、費用も減るが・・・保険金もそれで減るが、差が有るかもしれない。
この費用に、人件費が占める部分が、多い方が、査定が厳しいと言う事に成る。
技術・技量を、計算する方法が無い為に成る。
之が意味する事は、社会が、職人は必要としない方向に向かっている。取り換えが出来る、工員クラスを求めている事に成る。
技術立国を言われる、我が国から・・・誰しも出来る仕事、この様な人しか居ない国に向かっている事にも成る。
職人の創意工夫と言う、部分も死語に向かっている事に成る。
頭を使う部分は、対価のUP・・・その為には、当然、能力を出さない、時間の短縮も含まれる。
以前書いたが、特出した人材を必要とする産業は、今後、衰退すると、ある会社の経営側から言われたことが有る。
理由は、その人に頼る方向に成るし、若し、その人が居なくなれば、仕事全体に及ぼす影響が多い為と言われていた。
私は、職人と自分を認識しているので・・・この言葉に対しに、賛成できなかったことを以前書いている。
要は、代えが適う、人・・・勤め人、それも、単純作業方向に向かう事に成る。
之を縛るのが、時間での管理・・・・結果、労働時間等々を長くする事が、会社に利益を与える方向に成ると成り、この部分の規制が、近年では、進んでいる事に成る。
私は、職人としての価値観で生きている。その為に、何か有れば、直ぐに対応が基本と思っている。休日も夜中もと言う、縛りも無い・・年中、対処するこの考えで、今まで、生きてきた。
私の職人としての、気質に成る。
困ったことに対して、私が受持てる部分の提供が、職人だと考えている。
この部分が、現代では、損に向かう方向が多い・・・・困った事が発生、私の見解を求められる。昔はその後に、自分の生活の糧に成る、稼ぎの部分が有ったが・・・今は、見解を聞いた後は、安さを求めて探され、購入と言う形に成っている。
之を、昔からメーカー等から、私は指摘されていた・・現代は、その様な事が、無駄なサービスと成っているとの事・・・私は、人の心を信じ続けて、現代に成っている。
今でも、他所から購入の機械等の件で、困ったことが有れば、対処の依頼が来ることが有る。当然、職人として耳に入れば、対処方向に動く・・・・対処と言っても、無知だから問題に成って居るだけで、解決方向が多い、使用説明と言う事に成る。
お茶一杯の対価で、帰る事に成る。
現代は、全てが、この職人を排除する方向に向かっている。家さえ、規格品で、工場生産の、ユニットを組み立てる方式に向かっている。
木造建築でさえ、墨入れを行い、切込みを入れる、大工と言う職人の技術も、製材所がプレカットと言う、製品化した柱で販売している。
簡単に書けば、プラモデルより、簡単に出来るシステムに向かっている。
プラモデルを作った経験の人は、解ると思うが、完成後、一部が欠損、それを直す事が簡単か????・・・組み立ては出来るが、修復は出来ない、新たなプラモデルを買って来て、そのパーツを使っての修復が限度と言う人が、多い・・・
一部の修理に、費用としては、新品を新たに造るより、高い費用が掛かる事に成る。
昨日、昔のバイクの仲間の、建設会社の社長さんと、話したが・・・・人は集める事は出来る、しかし、職人が????と・・・悔やんでおられた。
自然災害の復旧作業の、仕事が多々ある。現状では、昔なら簡単な修理で済む話が、全部取り換え等の、仕事に成る・・・理由は職人不足・・・
又、保険等々の、査定で、人件費も、職人の対価でなく、人の単価・・・材料等は当然、認めるが、目に見えない技術の評価が無い・・・・結果、対価が無いと成る。
修理から、取り返し毎に向かっている・・・・と、言われていた。
建築物迄、この流れに向かっている。
機械関係は、四十年前くらいからこの流れに向かいだした・・・・
直ぐに全損、扱いに向かう・・・・
又、それが安いと言う、認識に向かっている。
結果、職人が要らない世界、特殊な能力が要らない世界に向かっている事に成る。
命にかかわる部分だけが、緊急性が有ると、消防や警察が時間、稼働しているが・・・
それ以外でも、本来、緊急を有する部分が多々あると私は考えている。
それを、受持っていた、職人が、居ない・・・之が現代に成っている。
人の役に立って、初めて意味を成す、職人・・・又、その気質が、過去のものと成っている。
自分の為の、仕事、この、工員としての人の、排出・集中が最近の傾向の様だ・・・
結果、人が困っていると言う事で、動こうとしない、対価は???等々が、最初に頭に浮かぶ、人達の排出を行っている事に成る。
職人気質の、損して徳とれ・・・・之は昔・・・現代は損して、やはり、損したと言われる、職人を目指す人が減っていると言う事に成る。
仕事は、自分の為が趣旨に向かっている。
先日、リース会社の保険対応から電話が有った・・・・部品代等々は、認識できた。
しかし、排出・搬入・貸出代の一式と言う、金額の内訳が居るのと事・・・
機械を修理する為に、現場では出来難い為に、排出し、私の会社で修理・点検・テスト等行い、その間は、貸出機で対応して頂き・・・その後、搬入した。
金額は、一式で3万としていた。
正確に書けば、水害を受けた連絡が入り・・・・現場に向かった、その時点で、停電、機械の、稼働状況のテストが出来ない。
電気の復旧を待ち、再度伺うが・・・・作業場の事務所、現場に行かれていれば、事務所は無人で、誰も居ない・・・当然、鎖錠されているので入れない。
この遣り取りが続いて、伺う・・・・テスト、問題部分が解るが、この場所では修理も出来ないし、水没の場合、各パーツのテストで、全てが悪いとは成らないので、全パーツを準備して、修理テストに成る。結果、私の事務所に保管している、他の機械から、部品を外し、取り換えながら、正常品と・負正常品との選別が必要に成る。
又、その間の貸し出し機械も必要に成る・・・之を、細かく、書きだせば3万では済まないと私は考えている。
修理に関しての日数も多く必要だし、テストする期間も数日必要に成る。
本来、全損扱いが、楽だと言う意味が、この部分に有る。
修理人としての、職人としてのプライドが、全損扱いにさせないと言う方向に成る。
この様な、人の能力や、努力を、保険会社は、評価しない・・・結果、職人気質が必要で無いと言う時代にも成る。
しかし、昔と違い、現代は保険屋も、全額、保証するとは限らない・・・それほど、災害が増えているし、保険会社の負担の増え続けてる為に成る。
今回、自然災害で被害を受け、修復・復旧の為の、保険と考えても、全額出るとは限らない。
この災害で、儲けようと思う人も出て来る。
逆に、損する人も当然、多く出て来ることに成る。
職人の技量を要しない、仕事等は、儲かるし、儲けようとする人も増える。
しかし、職人が居る、仕事も有る筈。又、その職人の力量でも、大きく変わる部分は、第三者が、査定出来にくい部分に成る。
屋根全部を、取り換えた、費用も大きいが、保険金も大きいい、しかし、差が有る可能性も有る。
上手に修復する、費用も減るが・・・保険金もそれで減るが、差が有るかもしれない。
この費用に、人件費が占める部分が、多い方が、査定が厳しいと言う事に成る。
技術・技量を、計算する方法が無い為に成る。
之が意味する事は、社会が、職人は必要としない方向に向かっている。取り換えが出来る、工員クラスを求めている事に成る。
技術立国を言われる、我が国から・・・誰しも出来る仕事、この様な人しか居ない国に向かっている事にも成る。
職人の創意工夫と言う、部分も死語に向かっている事に成る。
頭を使う部分は、対価のUP・・・その為には、当然、能力を出さない、時間の短縮も含まれる。
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