2018年3月11日日曜日

父が帰った・・・・情けない・・・涙が・・・

妹が父を迎えに来た・・・・

父は、残りたいと言っている・・・・・・・・情けない・・・私には力が無い・・・

私には、家族が有るし・・・又、親族や、地域事等、色々な事をする、義務も有る。

この様な部分の縁を切れば、当然、父だけに全てを架ける事が出来るが、其れが出来ない・・・・

先日亡くなった母を看取った・・先輩のように、独身で、仕事もしないで、全ての時間を老いた親に使う・・・之が出来る立場なら出来るが・・・
私には・・・・無い・・・・

今は介護離婚・・・親の介護と近付いてくると離婚、この様な話も聞く・・・・


結局、父は帰ったが・・・・・・本来、今日行なう行事・・・・之を父が居たなら、出来なかった。

嫁の里の父の様態が悪い・・・お見舞いも兼ねて、顔を出す。

又、嫁の姉の所の、雛祭りに対しての、諸々の行動・・・・等々が出来た・・・・

父が居る事で、嫁の親族の予定に参加が出来ない・・・この方向性も避けたい気持ちが私には有る。

私も将来を考えて、子供を沢山作った・・・・理由は、要介護者、一人に、多くの成人が関わる環境を作りたい思いが有った為・・・・

しかし、最近は手を貸す方向の立場に成る事を、避ける価値観が当り前に成っている。
この社会で育った、又教育を受けた、私の子供達もこの方向性が有る。

又、この様な人が多いことは、理想は簡単に言う・・・・しかし、其れを現実に変えて行く、行動は、大変な、苦労が付き纏う・・・・

論理や理性と言う部分を磨かず・・・楽で格好だけを意識し、其れが正しいと言う価値観の父を、どう看て行くか????・・・・当然、私の力に成るが、その力が無ければ・・・・父の思う様な環境を作ってあげる事は不可能になれば、父は納得しないし、不幸と感じる人・・・・・

現実に、今の私のレベルで、父を背負う、余裕も無い・・・・・父は背負う私に対しての要望が多いし、理想が高い・・・・分相応と思うが・・・・父は自分の分を高く思っている・・背負う私に対しての要求も増える事に成る。

人は、分以上の欲は、夢や向上心と言う部分では良い働きをするが、生きる、この部分を強く考えれば、分以下の欲で生きた方が、楽に成る。

私は何時もこの様な部分で、悩んでいる・・・誰しも簡単に理想を言う・・・しかし、其れを現実にして行く立場は、大変である。

何故、理想を言うのか、否定出来ないからに成る・・・・理想を言い・・誰かが答える・・・この様な世の中の構造がある。

 

初七日・・・・・

日曜日の今日は、初七日の法事が有るし、今回は多い・・・

私は個人の立場と・・・〇〇家の名代としての立場がある。

家を会社として考えると、意味が解り易い・・・

会社で、社長が居なければ、専務・・・専務が居なければ、部長と・・・会社の名代が必要に成る場合が有る。

家と言う単位の集団、之が最近崩壊しているし・・・又意識が無く成って来ている。

私の場合、甥の立場も有るし・・・・〇〇家の名代の立場も有る・・・どちらを優先するか、この部分の考え方が必要に成ってくる。


田舎は、特に、家の家長の名前で、事が進んでいる・・・我家の場合、父の名前に成る・・・勿論、父は健在だが、動けない場合・・・・誰かが父の変りが必要に成る。

この様な部分は、社会の常識となっていたが、最近はこの部分を知らない人も増えているし、全てが法律等で記載されている、意外は非常識と思っている人も増えている。


家長の代わりを長年続ける・・・之も現実には有る。
簡単に書けば、父の借金を、肩代わりして返す・・・之を当然と思っている人も居る。
しかし、この様な価値観の人に多いのが、当然だから、証拠に成るものを残さない・・・・父が困った。イコール、家が困った・・・だから、家の一員として当然の事をした程度で考える人が多いが・・・・

之が、最後の遺産問題に成ると、ネックに成り出す。

我家も同じだが、車の代金を結果的に払ったのは????・・・・又、税金を払ったのは???・・・・等々が名義人と違う場合が有る・・・・しかし、車の持ち主、権利を持っているのは、厳然と固定化されている。

結局は、人の善意が今の社会では、評価されない、方向に成っている。

当然と思うことをしても、悪くなる事が有ると言う事・・・・

難しい・・・・時代と言う事・・・・

心使い・・・之も、死語に成りつつある。

結局、行動に対して、意味が見出せない時代に成れば、意味に繋がる行動しか人はしなくなる。

悲しい時代と言う事かもしれない。



何時もの日曜日に・・・

春が近付き・・・・地域の事柄が、始まる。

先週は、お宮さんの清掃・・・今日は、納骨堂の清掃・・・次の日曜日には地域の総会と・・・・毎年の事だが・・・粛々と続いてきている。

私も、昔は参加者の立場だったが・・・・ドンドン、事柄や行事に対して興味を持ち出し・・・結果的に、色々お手伝いをする、立場に成って来ている。

今年は、私が事故で、怪我をしている為なのか・・・・老人会・公民館等々の、会計報告書作成の依頼が無い・・・・無いと、逆に心配に成る。

特に、体を使う、奉仕活動は・・・私の体の事を心配して、嫁が、行ってくれている・・・感謝に成る。

昔なら、30を過ぎた息子が居る、家で・・・・若い者が出ない・・・家の恥だったし、親の躾等、言われていたと思うし・・・・其れが有るので、私は解り時から、親の命令で、参加する。之を続けてきている。

この行為が、結果として、親から教わらない、地域の歴史や、風習等を学ぶし・・・又親の世代の考え方等を、学ばせて頂き、今は良かったと思うし、感謝に成っている。

今回、葬儀等に、参加して・・・親からは教わらない、昔の事を聞く事が出来るし・・自分が無知だな~~~と再認識も出来る。

今後、父を看る事が増えだすが・・・父の歴史を本当に知っているか???・・・・今後は、理性が劣りだし・本性部分が表に出だす。この部分を知っているのは、実子の私のより、一緒に時代を生きた人達の方が詳しい・・・

親の人間である・・・此を確り、学ぶ・・・之が、親達の世代の人と、話し、付き合う事だと私は考えている。

この一番、近い人を、知らない・・・・その為に、避ける方向に向う・・・親権、一親等を避ける命が有る、なら、当然、それ以上は面倒臭いと成る。

面倒と思うと言う事は、本当の事を知らないから起きる場合が多い・・・しかし、知る努力も面倒と思いしない・・・之が意味する事は、完全な自己中と言う事を証明している。

自己保身には邁進する・・方向性や策を求めている事に成るし・・・この様な人がリーダーに成れば、怖いと私は、考えている。