2019年6月22日土曜日

個で見るか???・・集で見るか???

何時もの様に、巣立った子供が来ている。

私が母屋に行くと、嫌がるので・・・事務所で待機・・・

しかし、巣立った子供達も、色々であり・・・問題も色々に成る。

特に、結婚し、家庭を持っている、子供・・・対応が難しくなるのは当然と私は考えている。

特に、私の嫁だけと思うが、この変化での対応が、一緒・・・

敵味方的、価値観から物事を組み立てる傾向だ有る・・・

結果、我が子は味方と言うより、可愛い、舐め回してもよい人間と、他人の若嫁との問題、当然、我が子の見方は母親と、力を入れる傾向が有る。

話が、難しくなる傾向に向かう・・・・

集まりと成れば、当然、何度も書くように、負の部分を誰が背負うかに成る。
その負を背負う、特に、他人の負を背負う、この様な負道理を・・・と叫び騒ぐ傾向が私の嫁に有る。

集団を保つ、守る・・・この思いが、その集団に属した人に誰も無ければ、当然、集団は崩壊する。

勿論、楽で、苦が無い、集団を作る事が出来る、経済力等が有れば、可能だが、永遠性は無い・・・

人の営みには、波が有るし、一定でない・・・之を前提に、誰が、負を背負う事が出来るか????先ずは、聞く耳を持つ、他の価値観に対して、受け入れようとする事が大事だし、包括力が有るか、無いかに成って行く・・・

集団の中で、自分の思い、我儘を通す、方法として、幼い子供がする方法も有るが、それは、包括力がある人が居るから、可能になる事に成る。

考え様では、この子供のような価値観、振舞い方を、集団に属ずる人が全て行えば、喧嘩が絶えない集団に成って行く。

個を大事に、又、中心的に考える、価値観を与えすぎている為に、結果的に、集団、最小単位の、夫婦の維持さえ難しいという事に成る。

考え方に成る、卵が先か鶏が先かと同じように成るが・・・

個が大事・集団も大事・・・しかし、維持する・守る、この親的立場を、誰かが教育・教える必要が有る。

昔から、この部分を書いてきている。我が家に来る、子供達に、父親の影が見えないと書いてきた。男的価値観、この中の、誰かを守る、この部分が見えない子供が増えている。

結局は、己が良ければ、全てが良いという価値観に成る。

この傾向が強いのが、何故か女性に成る。

この部分を、高齢者に聴くと、娘の教育と、息子の教育とは違っていた。
嫁にくれる、娘と・・・・一族を守り、維持する為の息子とは、結果的に、教える部分が違ったと・・・・兄弟でも違う、長兄と、弟では教育が違う・・・

何故か???集団を維持し守る、この部分の立場が、子供でも変わるという事に成る。

この教育が、長男と、次男との性格の差に成る場合が有る。

しかし、現在は、この様な事さえ、差別等と言う・・・結果、娘を育てる様に、子供を育てる方向に成っていると思う。

己さえ、良ければ・・・この基本価値観を持った、人が、集団を維持できるか???
不満等々も出て来るし、当然、他人に同調者が多々居る世界・・・結果、相手が悪い、集まりが悪いと、成りやすい傾向が有る。

之が意味する事は、集団を維持・守る・・・この部分が無く、不満を持ち、去って行く事に成る。

現実に、下働きが、私の、使命と思って、行っているし、依頼が有れば、献身的に頑張る
・・その振舞いを見て、褒める人より、貶し・馬鹿にするような人の方が多いのが、現在である。
中には、バカにしていたが、立場が変わり、下働きが必要に成ると、舌が乾かないうちに依頼される人さえ居る・・・之が現実の社会に成る。

この、下働き・・・負の、後片づけ・・・掃除・・等々を・・・我が子に・・・この考えが、子育てに成る。

集団を維持する・・・当然、夫婦と言っても、集団に成る・・・よく分担と言うが、本来は、見える部分と言うより、見えない部分の方が大事に成る。

考えれば、解る部分、下働きをしている人を、称え・褒める世界か????・・・違うなら、当然、夫婦間でも同じである。
この様な、行動、振舞いをしている人は、当然、黙って、しているし、自己アピール等々しないし、社会の中では、見えな存在に徹している。

この様な、下働きの、経験が、歩かないかで、人間の幅も決まり出す。
特に、レベルが低いと言われる立場の経験が、意味を成す・・・この事が、若い時は買ってでも苦労をせろと言われる事に成る。

しかし、苦労をさせたい親は居ないのが、今の現実・・・
結果は、社会の円滑なシステムを構築する。オイル的、働きの人が減り続けている事に成る。

今日は、巣立った、三人の息子が、来訪して来た・・・・

彼らも、一家の長として、大事な立場に成っている。

又、社会で、中心的存在に、今後なる立場でもある。

要は、守られる立場から・・・守る立場の自覚と、振舞いに成る。

又、守る範囲を広げる・・・之が、彼達の今後の課題である。


優先順位の付け方は、各自の価値観でも変わる・・・当然、一番の部分は守れると思う。
守る事が出来たら、次・次と広げて行く・・・之が、出来るかが、彼達の義務と私は、考えている。





衰え・・・通院・・・

投薬が無くなったので、何時も主治医へ通院・・・

最近は、スクーターで行く事が増えている。

理由は、怖いから・・・勝手に走る、車が怖いと思う様になってきた。

乗る前からの、気構えが、バイクと車では大きく違う・・・勿論、この部分は、人で変わると思うが・・・私は、車を少し、舐めた扱いをしている様だ・・・

バイクだと、些細な部分にも気を使う・・車との対比に成るが・・・

又、私だけだと思うが・・・一つの事に集中するこの部分の問題は感じないが、同時に多々の事を、頭が処理を出来ないでいる。

特に、何かを行っていて、間に何かが有れば・・・何をしていたか???之を忘れている事が多い・・・・キャッシュ・メモリーの記憶は出来るが、その保持時間が短くなっているように感じる。

元々、何をしているか???この部分も、強く意識しているかで変わる。
普通に当たり前に行っている場合、間に何かが有れば、当たり前すぎるので、記憶に強く残っていなくて、解らなくなる傾向だと私の場合、思う。

最近、テレビ等での、高齢者の事故等々が補導されているが・・・高齢者、機能不全に伴う、問題だと私は理解しているが・・・・高齢者だけの問題でないと思うし、機能不全には、当然、私も成っている。

前回の事故も・・・昔なら、最後まで、意識が残り、危険の回避を行っていたと思うが・・・・最後の最後の部分の記憶が無い・・・結果、無意識の体の反応で、対処したと考えている。奇跡的偶然も重なり・・・ダンプに巻き込まれる事を避けて、ケガ程度で済んでいる。
本来なら、死んでいた筈だと周りは行っている。

要は、運が良かったことに成る。

しかし、記憶が無い、これは、頭の能力を超えた可能性も有るので・・・注意が必要と思う・・・・又、最近の傾向で、普通と言う部分の協調が強い・・・

当然、普通で無い方向に向かっているが、基本の普通は????この部分が明確でない。

青年期の、能力を普通だと仮定していれば、壮年期は、普通で無いと成る。

又、普通で無い之を排除する流れに向えば、当然、高齢期に入る私は普通で無い事に成るし排除される立場に成るという事に成る。

現代は、力やお金が有れば、対応が変わる・・・・公的機関も同じである。
この部分が無ければ・・・当然、除外される方向に強くなる

考え様では、仕方が無いが、お金や力が有れば、仲間に入れているが・・・大きな問題を起せば、当然、排除する方向に向かう事に成る。

私は、若い時から、異端児の為に、排除される・・・これに成れている。
その為に、へつらう事も嫌いだし、自分らしい生き方の模索を続けているが、それでも、社会に多々の迷惑を掛けたくないと思うので、衰えに対しての、対処を考えている。

最近、感じている部分は、負や苦に対して、鈍感になる事だと考えている。その為には、負や苦に慣れる事・・・・損の為には、嫌と思える程、経験をする事だと考えている。
又、知識として、昔の事や歴史等々も、この部分に役に立つ。

結果、現状の判断も、不幸???幸???この部分も変わり出す。

劣っている部分も個性だし、この部分も自分の一部なので、現し続ける。
人は、カタログスペックで全てを表せない・・・心、命がどうかに成る。
又、この生き方に当然向かう事に成る。

人と違う、これを劣っていると言われていた時代も有る・・・私は当然、人より劣っている人間、立場だと思い続けて、生きてきた。
当然、人に近づくために、人間に近づくために、模索し、考える事に成る。

普通を学び続けた事に成る・・・・しかし、この部分が、人で変わる事にも気付いた・・・結果、自分の意向に言わない人を、普通で無いと言っている場合が多い事も・・・要は、異質な価値観を認めない人が多いのに、口では、グローバル化等々を言っている事に成る。
理論破綻している、振舞いを起す、これが普通と言う社会なら、社会も破綻に向かうし、国なら、崩壊に向う。


グローバル・・・・

最近の言葉、意味の捉え方が難しい・・

捉え方次第で、大きく、考え方も変わるし、結果としての答えも変わり出す。

仮に、何度も書くが・・・管理側の落差から捉えると・・・個性の多様化は問題と成る。
管理側の好む個性を求めるし、それが間違いを起さない正しい管理だと思ってしまう事にも成る。

要は、誰の思い、個性に合わせるか・・・その為の、力、力が有るから、それが出来るという価値観が有る事に成る。

私はこの部分が全ての、問題の起点だと考えている。

何度も書くが、勝てば官軍的、価値観・・・之が勝者側に有る限り・・・勝者が誰に成れども、変化は無いという事に成る。

色んな価値観が有り、色んな人が居る・・・之を前提にしての、考えに成るし、リーダーの素質に成るが・・・要は、包括できるかになる。

之を、私は、グローバルと考える。

しかし、問題が、リーダーが不在なら・・・当然、それを包括できる、リーダーを求めだす事に成る。

それが、結果的に、国と言う括りに成ってしまったことに成る。

昔は、貧乏な庶民は、国等に興味は無かった・・・・家族や一族、地域社会の括りの中で、生きていたし、それを包括できる、リーダーが居たし、それを認める、価値観が有った。

若し、自分の価値観・個性を包括できないと成れば、その集団から脱する事も出来たし・・・その事は、その集団を捨てたという事にも成る。

この部分が、大きい括り・・国に今は成っている。

国が、駄目と感じた場合、国を出る、捨てる、これも出てくる時代に成っている。

本来、色んな個性や価値観を、包括できる、リーダーが居れば良いし、価値観でも我儘・生物の道理や、人間としての道理を反する場合は、確りと、指摘できる能力が有れば良いし、その前に、それを聞く耳を持つ、人を創る事が前提と成る。

包括と言う事は、聞く能力に成る・・・この能力が無ければ、当然、リーダーにも成れない・・・・この能力が無いと解っていれば、駄目な自分が有るので、我慢の必要性も出て来る。

基本が無い・・結果、集団や囲いから、脱する・捨てた人が、今度は、リーダーと成れば・・・どうなるか????

同じ、考え、価値観を持った、人だけの世界・・・烏合の衆と成る。
この集団が、心地よいという事は、先に書いた、同じ、固定化された価値観の中でしか指揮が取れない、リーダーと言う事に成る。

要は、誰がために生きる・・・・之が生きた証に成る・・・結果的に、貢献に成るし、此の貢献度が、大事に成る

自分の為と、教え続ける、教育・・・・・結果、国力が落ちる・・・全てが、数字で勝敗が付くという、価値観に成って行く。

数値的に、少なければ、勝負も出来ない・・・之が現実だし、現実主義と成る、価値観に付かづく・・・

何度も書くが、権力側、力が有る側に取って、従順な人と創っている事に成る。

日本人が、尊敬されている部分は、恐れの部分に成る・・・・大儀が有れば、自分の身を惜しまない・・この精神性に有る。

この部分を、戦後・・・無くす為の、教育や憲法に成っている。

結果、小さな基本的、集団の家まで、崩壊に向かっている。
当然、一族の崩壊も・・・之が意味する事は、地域社会の崩壊は当然、国の崩壊に向っていると言うより、成ってしまっている。

若し、ブローバルカ化が、標準化と成れば・・・言葉等々の部分まで、成ってしまえば、国の括りも崩壊し・・・国を捨てる人が出て来ることに成る。

しかし、面白い事に、国を捨てた、人が、権利が有ると、言える、これが日本国である。
之が、家の単位、一族の単位でも、起きている。

私は、生きる事は、環境を創り出している、同時者と言う事・・・その事は、何人を不幸にしたか、これも行っている事に成る・・・環境を崩壊する働きをしたら・・・現代は、得する流れも有る。

何かが、間違っている・・・価値観の根本部分まで、崩壊しだしている事に成る。