2025年2月9日日曜日

今日は充実

 今日は一日、頑張った、最後は看護師さんの配慮で夕食前に歩行練習の見守り介護をして頂き・・・・家に帰って動く距離くらいの想定で何回か歩行・・・迷惑をおかげしたし,配慮に成る。今後、職種の分担が厳密化する、介護医療師しか対応できないと成れば,私に今の現状の身体なら,回復の可能性は0に近づく・・・・日本語には猫の手でも借りたいという諺がある。資格者・免許所有者が必用で無い部分も年々厳密化方向に向っている。海外のように己の職種だけしかし無し、要は,唯物的な見えやすい部分fだけに向って行く。昔かいているが「鍋を見ていて」と指示する、指示された方は、火に欠けられた鍋、この背景で鍋だけを見続け,漕がしてしまう・・・此がグローバル化と言って良い、要は何度も書いているが,大きく二極化に分離させる世界・・・・優秀・一流の立場の人が本能的に求める世界に成る。今日は,高齢者の病人の泣き声を効き続けることも無く精神の方もリラックスでき感謝!!!又,何時もの様に無きだ出された。この人も唯物的部分しか価値観が理解できない,全て力・数字の上下で事が決っていると言わんばかりに威勢良く吠えて居られる,俺は親分と!!!アピールしてると思っても居られるが,私の目からだと赤子以下に見える。本人は男らしい男と思っての振舞と思うが,人間以下、外道とも言ってよい・・・・でも、日本人が忘れる方向にある。「心の錦」小緒に身が感覚的に解るのも日本人である。形として表現が難しい。この部分は問われ今後大事に成るが,列強のレベルの人はこの方向は理想ではの世界で,本音はつぶしたい。

叱られた。

 スタッフルームの前で安全を考え,1本しか持たない,杖を右手で使い左手はスタッフルームのカンターに左手を置いて,歩行練習を開始・・・安全・安心のためにスタッフルームの前で行ったが,予想通りに数回往復を行っていた看護師から叱られた。責任問題を問われる時代と思う。患者が自力で努力するこれをさせる流れが組織に有る。病人コスプレも,このシステムの中で居るなら必用にと思う人も多い・・・・・しかし,子の状態で病が治っても,体は????帰宅後に整える作業が要る。当然、人の手がとなる。家族でも仕事が出来ず,稼げない方向に成る。他人様に依頼すれば当然対価が必用に成る。

昔は,患者各々、生活環境も価値観の違う、その為に自己責任と無謀な事以外はさせて貰っていた。しかし、些細な事でも訴える・・・こんな時代に成ってしまった。全てが自業自得、縁も・・・・一期一会も・・・・負を感じても己の問題、だから利と感じても己の物とは思わない。私は私に起きている現象は全て己に責任が有ると思っている。己の勝手で生きて居て,負を感じたら他の責任という捉え方が私は解らない・・・・何度も最近書いているが,共に居る人達は、ANDの関係性で有って欲しいと願っている。闘い・争いは,外部から見ると面白いという人も多い,結果、勝負事が好きという人も居る。スポーツも勝ち負けで、一喜一憂の観衆も何故か多い・・・・無意識にVSの人間関係を求めていると思う。私は学歴も無いし,無知・・・要はバカだと自覚し,今より少しでも知識をと求め続けた。日本人の屈しない精神・雲泥の差があると思われる当然「泥」の立場で跳ね除ける,パワーは、ANDの人間関係から来るし,リーダーは後が続くと,先頭を走り、倒れたら直ぐに変る人が出来る,ピラミット的なスタンスを取る。簡単に書けば,神輿の乗る立場はある程度経験が有れば誰でも出来ると言うこと,しかし、神輿で無い,負に対しても此が出来る。近代史を学歴の有る人は解ると網が、日本人は己の為・我欲の為等より、名誉・誉れを重視され決して屈しない歴史が多いし,その時の世界最大と超大国とも渡り合っている。

二時過ぎ・・・・

 体幹もかなり改善している。日曜日の診療も休日・・・午後二時過ぎまで車椅子、座ることが出来た・・・今回の入院で初期の時は数人の手を借りて車椅子に座るが,直ぐに左側に殻むき出して肘掛けで止まると言う状態・・・体幹/体力が無く,体を看護師さんから治して貰うと言う状態、30分も無理だった、特に車椅子、背もたれが直角に近い,体を預けることが出来ない状態での出発から雲泥の変化になる。リハビリの先生が言われ居たが、体を動かす能力の低下は動かないこと,一日動かないで減らした部分は三日以上必用に成ると。勿論,体を休めて回復が一般的だが,寝たきりを一年近く続けていて、自立奉公できる人は,希と言うより,奇跡と言って居られた。

私も、目で見えるおのれの状態で,腕・脚の細さに驚いている。昔の手首の大きさが肘になっている。死ぬのは生と死の背中合わせのようなもので、些細と言うより,そよ風程度で背になれば,死ぬと言う感覚の実感が少しは出来るように成った。「生老病死」を経験し、学ぶ為の今世・・・人は苦から逃れたいと思う。この本質を上手に利用するのも人間・・・解ると思うが社会・世界のシステムがこの上で成り立っている。何故「苦」と捉えるのか,此に問題があると私は考えている。当然の事だし当り前の現象・・・・「普通」と私は捉えたいと考えています。

病棟内の散歩、心のリフレッシュになる。同室者が又,騒ぎ出された暑いと!!!看護師が来て,窓を開放、一気に寒くなる。予想していたので,布団等で防寒はしているが、動けない他の二人を考えると,気の毒に思う。又,考え出した,車椅子に乗っての散歩を再開する。

良い感じの付かれ・・・

 今日は7時過ぎから車椅子に乗り,病棟内を散歩のリハビリを励んだ・・・・ディルームによく近所の部屋から聞える,患者さんの声が耳に入り、その人が座てっているテーブルには誰も他に居ない、私は正面に座って、対面で話し出す、癌のために余命も殆ど無いとのこと,精神的にも辛いと思うが,気丈に振舞って居られるというより・・・元気が有り余っている。体調が悪いときも有るし、良い時はその反動で元気が良すぎるのを楽しんで居られるようだ,トコトン話に付合い、疲れて頂く,自室のベットに戻れば,疲れて寝る,この方向を目指し,途中、朝食を挟み,10時迄、頑張ったら,疲れたので、寝ると自室に戻られた。基本、人は、調子が良いと己を鼓舞したい気持ちになる。特に余命が見えているなら仕方が無いと言うより,鼓舞できるまで回復していることに私は驚いている。

医大で行っていた,ディールームでストレスの解消にも繋がる,ワイワイ,ガヤガヤの場も創りたい,病人だからこそ,病人コスプレを辞めるためにも!!!

日曜日・・・

 スッキリ目覚めることが出来た。一時帰宅予定が二二日の約二週間後・・・確り前準備も考えないと・・・思ってる。私自身が出来る事は、絶対に体調を壊さないこと此を基本に体を鍛えること。医大でも行っていた。自主練/コソ練をリハビリが無い日曜日の今日から始めようと思う、,先ずは車椅子を使って脚で動かし操作すること,頑張る!!!