2025年1月24日金曜日

今日は頑張った!!終って・就寝したい/

 夕食を終え、快便も済ますことが出来、スッキリ・・・・キータッチのリハビリもよく耐えれたと思う。後は就寝だけになるが、私の勝手な能書きに付き合ってくれてありがたく感じています。最後に、少し、書き足したい、何度も書いているが、各自で正義も正しいも変わる其れを耳答えのよい、ガバナンスやコンプライアンス等々で人を縛ろうとしている。誰の為なのか???.誰が求めている、正義なのか???此を見違えると権力側・資本家側の押しつけが、正しいと一般論に変っていく・・・私は、人の命の本質に、誰しも仏を内在していると信じている。人を仏と見て扱うという意味にも成る。勿論、言動も気に食わなくても此は私の勝手な主観・・此が通る様な世界の方が怖い・・・絶対に、人間が求めては駄目な世界だと考えているし、基本が餓鬼・畜生・修羅道レるでの争い、行き着く処は地獄になる。面倒を看ていた近所の老婆も非情なことをして生きてこられている、このレベルのレベルしかないこの状態で世間の風は辛く厳しかったと思う。それでも子育てをされ、社会に少なくとも貢献されたと私は思って居るし、その非情さも仕方ないな~~と思って、面倒を看てきて、最後の意識が有る時の面会時に、欲深く、がめつい。人様に感謝の言葉を出す事が出来ない人が、私に手を合わされ祈られていた。私がどう見えたかも各自の捉え方に成る。ボロ雑巾、難病の手の付けられないと見る人も居ると思う、地に根座し生きる人間・泥や埃がふ着している方が、正直で普通と思う、空に生きて居るわけでは無い・・・・多用する価値観と書いてきているが、大きく二つに分かれ利己主義が

か、負己主義(利他主義)に成る。

しかし日本国民も目に目をと言う 流れに乗ろうとしている。又、倍返しと言う流行語最近あった。この傾向が怖い、人とっして本当に非道に成れるのか、それが出来るかで勝敗が決まる時代に向かい進んでいる。悲しい事である。この様なリーダーでも、大事な人は居ると思う、をれを何故広げていく努力はしないのか、支援者に少しft甘い水を与え支配・統治しようとする。敵は徹底的に潰す、之が現代の世界の正義に突進している。否定する人が減り続けている。ふり幅が広がり続けて振り押されないように、必死にしがみ付く庶民と言う系図・・・耐えられず振り落とされる人の数は増加の一途・・・就寝時間が近づいた。終る事にする。お休みなさい!!!

勝てば官軍/負ければ賊軍

 リハビリも終わり、再度ブログUPを開始・・・勝てば官軍・負ければ賊軍、此は人間社会の宿命とも言える。しかし、官軍は、どの様に負け組を統治養うのかになる。日本国の価値観だと、民の為の統治という時代が長く続いていた。内戦が有ってもその統治地の全員を皆殺し、又は、奴隷として扱ってない。しかし、この考えが世界の常識から言えば違う、勝てば、賊軍を支配・皆殺しか良ければ奴隷・・・この様な発想になっている。未だに、部族間争いで血で血を洗い続ける・・搾取する、此が人間の本質だし、ウクライナでロシア兵が行っていた、一般市民の財産等々を自国に運輸業者を使って送る、搾取泥棒で有る。人は最終的な状況に追い込まれると、自己保身と己の価値観、損得で動き出す。特に勝ち戦なら尚更になる。

日本は民主化の基本部分、民の為の政が長く続いた。明治維新後、一気に民主化が進むが、明治初期、色々動乱があっている。産みの藻掻きとも言える。しかし、この価値観が無い、勝てば何でも思うとおりと言う人達が世界には多いし、つい最近までアジア諸国では部族間・価値観の相違での争いが絶えなかった。要は勝った方が思うまま、簡単に言えば己に都合が良い事しか考えていないし、敵だった立場には酷い仕打ちを与える。この価値観の民主主義・・・当然、風見鶏のように勝ち馬に何の躊躇も無く乗り換える、そのスピードが求められる、要は主体性が無いと言う事、依存型の生き方になる。依存するなら当然、大きな力の傘に下に入りたい。その為には己の本音・価値観も他人に見せない・・この生き方がこの様な世界では普通の生き方になる。一度書いているが20年以上前にアラブの春、民主化の始まりと期待されたときがある。しかし、現実は、商況指導者の長に任せるという、要は、国民全員が国を守り、責務を果たす出なく、長から何を貰えるのか、其れで評価するような民度・・、民主主義が定借しない・・・ロシアもン中国も自称、民主的国家・・・誰しもハ~~~と思う・・基本は民度の問題・・・近場の、民主主義国家の見本と豪語している、国、日本国から決別してアメリカの保護国になっている。当然、勝ち馬に乗ると言う本能が出る。しかし、直ぐに勃発した朝鮮戦争陥落寸前になり、国連軍という形でアメリカ軍が参戦・・最初の取り決めの様に38度線で、来たとみ南を分けて休戦中の国家になる。その為に民主化が遅れ、軍事政官が長く続いていた。1950年前後にも民主化運動が起きたが多くの市民を殺害している。その結果、反旗上げる事に勇気が必要に成るし、一家・一族の、栄雲も担うことになるので、沈静化する。しかし、権力に取り入っているものだけが利を得る・・この理不尽さ、日本の電波が届く、視聴禁止、日本の文化の流入の禁止、理由は敗戦国で、属国・戦犯という理由でになる。その為に、世界の流れ・歴史も知らない、教えられたことを真実と捉えようと装う悪い癖が、破壊全体に蔓延することになる。此に意義を感じ立ち上がったのが、光州事件と言われる民主化運動・・尊い人の命も奪われた1980年から、民主化を歩き出したとも要って良い、当然、戦前に教育を受けた人も居たが、国民自体の本性を知っているので、表に出さない、強いものには巻かれる生き方出来ていたので。民主化も違う方向に向っているような気がする。大きは負と・損を、知らず知らずに背負い続けている。

間違い、失敗・欠点は誰しも有るし、集団にもあるし、国にもある。これを指摘され教えて貰えるから・改善・改革ができる。指摘は感謝と取らないと成長は無い・・・しかし、近隣諸国は、昔ながらの勝ち負け論に執着し過ぎて脱皮できないで居る。南にある、大きな島も、終戦後、この様なt教育をしていた。しかし、現実を経験した人達から非難が出て一般的な世界が人の認識になっている。日本は解放・自由を与えるために闘った。負け組、殺されても当然、奴隷で生きれるだけでも幸せと言う価値観を、日本統治時代の短い間に大きく変換できたので、盗難アジア・等々、諸外国に広がって今に成っているが、民主主義と言っても親分の顔ぶれが変わるだけ・・・当然独裁方向に進むし、その様な価値観を国民に押しつけることに成る。今、流行のガバナンスを高める、意味の統治・統制の厳格か、誰の為かこの部分が変わると大きく意味が変わる。私は一般市民・民の為と思うようにしている。己の為、この様に思うように成れば、母から死ねと言われている。

将来の子孫が住む世界を少しでも過しやすい、生きやすい世界にしたいと願い、祈っている。

三時が来た!!!

 今日は朝の五時からブログ入力を続けている。よく体が持ったと思う。三時が過ぎた之からリハビリの時間に成る。良い時代の日本国で生きて来たと感謝しているし、色ん縁で教えて戴いた生き抜く為の知恵・・感謝している。


今年は巳年・・・脱皮・再生・再出発の年いなる私も再生・躍進し、再出発をする方向に成ってきた。今後、運転免許の更新も、今年の三月、更新は無理と予想している。更新日が一年延びても同じように思う。全てを失くした部分からの再出発、若さは無いが、知恵は沢山教えて頂いた、老兵の生き様を子供たちに確りと見せておきたい。絶対に逃げない・・・絶対に負けない。この思いで生きるしか幸福は訪れない・・・

先のブログの続き

 先のブログで、脱線しすぎた、振り子の原理を、己の独断で書きたい・・・現代は仮に右方向に大きく降る事が良いという価値観で競い合っている。当然 振り替えしが有る。逆の左方向にも大きく振れる事に成る。力が有る人なら何でもない事だがこの揺れに振り落とされる人が出て来る。振り幅が大きい方がこの傾向が高い、弱いから・劣っているからで片付ける世界に向かっているし、以前書いているが、何故同じ土俵に乗ろうとするのか???己は己の土俵が有っても良いと思う。私の今の姿は、光り輝く部分は表面には無い金欠だし、年金生活で、年金も安い・・・資産・財産もお金に繋がる物はない・・・損・負の塊と言う状態の私、しかし、どこかに必要と思ってくれている人が居ると信じて生きるしかない。

私は揺れが少ない、中央部分を維持したい!!!

振り子の原理・現実

 何事もバランスと思う、何故、人は間違い失敗を起す生物という前提で受入れられないのか???勝新太郎が破天荒な事をしても最後まで本業の役者業をされていた。キャラクターなのか自裁じだいだったのか???今回、一流芸能人が引退、私も経験が有るが、利益をもたらす人・会社sっz接待する此は当然の様に行われていた。基本、参加を見送っていたが、参加せざるおえない場合、色々経験している、倫理的にと思える事も多々有った。その様な場所等には近づかない様にしていたし、色んな理由を付けて、自宅に帰るようにしていた。理由は、この様な事のネタ、弱みになる、此を使う輩も居る。少々、鼻下と伸すより、良いように利用されたく無いと言う思いが強かった。お客さんや知合いの社長はバカなのかと言っておられた。懇親を深め己の利に繋がれば良いと言う社長が多かった。今回の一流芸能人も、個人事業主、難しいポジションになる。社員の今後の責務も背負っている。よくメーカー等の講習会の終わりに担当営業マンが一緒に食事等々の話は普通にある。私は接待されるのが好きで無いので、割り勘で食事をするが、食事で無く宴会等、派手な方向の会を設定して、個々に、広を集めたりするし、当然、金額も解らない、メーカーの接待費とお言う事で要らないとなるのが、私は嫌い、しかし経営者・社長としては失格なのかも知れない。現代、私は正直すぎるのでバカのレベルとも言われる。要は、生きて行けないと言うことになる。しかし、現実は今まで生き、病で倒れたが商売を続けられた。顧客の今後も担ってくれるメーカー・問屋が居てくれる。その様な人の手が負えない処は・・・私がボチボチ、リハビリも兼ねて行う事のこと、又、有りがたい事に利益分は振込んでくれるとの事、基本、消耗品等は定価販売、理由は本体価格を上げて、この部分を落とすことも可能、しかし、このシステムが崩壊したら、誰が保守・メンテをするのか????メーカーも仕入れ問屋も無理となる。後の部分を無料サービス等々、無理だし、この時点で、自転車操業になるし、仕入れより、売り上げが高い優良企業と金融機関は見るので、多額の運転資金を手に入れて拡張方向には直ぐに進むが、後退しだしたら一気になる。

人は必ず終焉が有る。「たつ鳥跡を濁さず」か「旅の恥は掻き捨て」の二極の生き方だと思う、私は、「老兵は去るだけ」を目指しているが難しい

言い過ぎた申し訳ない、管理課!!!k

 以前から問題の有るテレビの受信不良・・・・この病院に転院して最初の自室、個室だったが受信感度が変化して、エラーコードが出る。変化すると言う事自体に問題が有るので、自分で出来る事も体が動かないので、看護士等に頼んで支持して、行っていたが、改善しなく、管理課が出動、来て、色んな部屋で起きているので、大本のアンテナとブースター分配器を交換することになっているので、待ってくれと言われた。その時、各部屋で感度にバラツキが有ると思うが調べたかと確認するが無言・・試しに、私の部屋のアンテナケーブルのコネクターを触って貰うと映りに大きく変化が出たが、大本が悪いの一点張りで帰られようとしたので、管理職の職務は????と問い掛け、維持管理・保守メント・・この病院の管理課は問題が起きて動くというシステム、管理課で無く、修理課・・・管理課ならこの様な症状が他で出てないかを調査するのも仕事と言っていた・・信用して待ち続けてテレビの件で来たのはクレームを入れてから、看護師長は、この件は言っている。基本、テレビを観ない私、迷惑の度合いは少ない、しかし、大本を新調した後の個室も以前と同じ、転室した今の部屋も同じ、ドー軸ケーブルの中心、線、アースに成ると思うが、其れが緩んでいるような感じ・・・今までの経緯を話し、色んな処置、試しを行い、壁側のコネクターの問題だと突き詰めるために、地デジ・BS分配器をはずし、直接、壁からテレビで地デジに繋いで、問題点を把握したと説明、其れを確かめながら、コネクターを交換され無事に終了したと帰られようとする、地デジとBSの分配器は外した状態で、この件は指摘してない、修理人としても失格・・・その人に、管理課は保守・メンテで患者さんに迷惑を掛けないように日頃の行い、問題が出た場合はその部屋だけなのか等々調べ、点検して回ることだと思うし、数ヶ月、待つがテレビの件で来られたことも無い・・・結果、修理人として修理して終った、この事を病棟の看護士に伝え帰る、このパタンなら、この様な出来事が続く事に成るし、本来、ベットを常時移動したりする部屋の場合、ケーブルの取り回しも考えないと、ケーブルをベットのキャスター等に引っ掛け、引っ張って断線させる可能性が高いというのは修理人なら解っているので、看護士にも注意喚起をしていくことの少し、強く言ってしまった。申し訳ない、若いときに後輩を叱責するように言ってしまった。何の為の、管理なのか???確り考える必用が有る。

入力スピードもUP・・・

 今日は、午前5時からパソコンに休み休み入浴を続けている。腰掛ける、ベットの背もたれを持ち上げてでも腰が限界を越えて、横になることも最近は減ってきた。今は、ベットの特徴なのか、おしりの一部が痛むことが多い、その都度、姿勢を上に上げるためにベットを平らにして、体と上ににズラス対応を行っている。少し、無理と思ってもリハビリが暫くは軽めとなっている。その分、腹筋・背筋等の腰回りと、手の動きのリハビリを重点に、パソコン入力を頑張りたい・・・以前に比べ誤タッチ等、指が覆う様に動かない為に、再入力等が多々有るが、めげずに頑張っている、

石の上にも三年

 私は、仕事もこの業界に入ったのが23歳だったと思う。今日の日まで数えると40年この業界に居たことに成る。この間、家族を支える事も出来、独立する事も出来、父の倒産での債務、此も現実的言えば我家の債務、当然、己責務・・・家に住む子供以外、自己責任と思い、取り組んだ結果、父が亡くなる最終返済が10年前に出来たし自己資金で15年ほど前に事務所も建てることが出来た。屏風は広げすげすぎると倒れるを、心に刻み、己の分以下に広げる、此をモットウニ頑張った。父が「石の上にも三年」とよく言っていた。社会に出て、10年間の私は、石と言うより剣山の上に座って耐えて、闘っていたと思う。石とは、冷たく固い、その上に座り続ける難行になる。しかし、時間が経てば、石も体温で暖まり、身も成れ出すと言う意味になる。環境が石程度が普通なら、私は、普通以下だす多くの責務を背負っている、結果として、剣山の上に年数も多く10年必用だったと言う事になる。取りあえず、我一門の負の宿業は精算できたと考えている。以前も書いているが、我一族、長男に問題が起きる家計・・私が初めて、今までは生き残っている。直系子孫の長男に出ていた現象・・・私の長男の実子の男の子、離婚して別姓になっているが、事故等起しているが、無事、生き残っている。次男の実子二人の息子も、すくすく育っている。三男の息子二人も同じで有る。

この流れが三代続けば本当のものになる。

この様な考え方・価値観は古いと思われ、今の世界の潮流に乗ることが正しいなら、宿命・宿業から逃げる、自業自得も無視する。己の汗を流したより対価を求めるし、得れることが良いという社会に成れば、私の様な生き方、価値観は馬鹿にされ淘汰されると思うが、何故か生き続けている。捨てる神も居る・拾う神も居る。当然私はゴミレベルに成る、捨てるのか???拾われるのか???人々の価値観で変わる、私は日本人を信用している。共存共栄の思い、相互扶助の精神が有ると信じている。これが無く・・自己中で、己最優先・・他は偲べ奴隷と思う価値観、此には否定したい、しかし、先に書いた主体主義、北朝鮮の価値観と書いているが「自主・自立・自衛」この三題目を聴いて、耳は???と成らないし、当然・理想と思う人が多い・・・しかし、先のブログに書いている様に、人は集団の中で生きる、その為に、何が必用かに成る。自主・自立・自衛が個人で確り出来る人だけの世界が有りえるのか???出来ない人が殆どだと思う。其れをカバー・サービスするのが集団と私は考えている。しかし、その様な人を排除したり、利用したりする方向に世界、特にアメリカが向っている。日本国は、戦勝国の連合国、特にアメリカの意向で出来た法律・憲法になる。西欧列強が理想の方向性、しかし、其れが出来ないのが、押しつけた国々で有る。

日本国まで、世界のグローバル化という流れで金太郎飴の一個に成る必要も無い・・日本という姿・形を示し続ける、だいじだとかんがえている


職人・作業員

 職人気質・・日本人本来に多い気質になる。プライドと言ってもよい。私もこの部分が有るようで、修理人として、営業マンとしてのプライドが有る、メーカー等から指摘されていた部分になる。現代では過剰サービスと思われる事をしてるから儲からないと言われ続けた。私は、修理も営業も、お客さんに喜んで貰いたい、その為には努力もする。しかし、その影響で、飯が食えなくなるのは困るので、ギリギリの部分で行っているので、儲かるわけが無い・・・

もし、対価の大小で、仕事が変わる・・此処までが日本国の価値観でも有りえる。しかし、材料をケチる・落とすと言う事も行う人間が居る。日本の場合、コストダウンと言ってお材質を落としたり、寸法公差を無視したりはしない・・理由は相手様の事、特に安全を第一に考えるからになる。職人気質と言ってよいと思う。

作業員気質になれば、対価に応じた働き・・安ければそれに合わせて己が欲しい対価を捻出・・当然、手抜き・中抜き・素材・等々全てで行われることになる。悪い事とは思って居ない・・・当然の事、対価に合わせてそれで儲けが出せる此を一流・優秀と言う考えも有るし、

先ずは、自立・自主・自衛と言う耳障りの良い単語、此が全て己の為となるのが。主体主義と言う北朝鮮の価値観に成るし、この価値観、は大陸的な価値観の為に中国等、アジアに広く有る価値観に成る。

人が個に向い、鬼畜に向う・・人は集団の中で生きるその為に相互扶助の精神が要る。アメリカも主体主義に向っている。

廃業に向け!!!!

 顧客名簿を仕入れ先、メーカーに嫁が渡してくれた。徐々に対応して行くとのこと・・・・三十数年続けた商いも終えることになるのか~~~と思って居る。当然、商売も生きもの、終るときが来る嫁の話だと、私が倒れてから、顧客の消耗品の動きが、三倍強伸びたと言っているし店仕舞した顧客も数件でてきていると話していた。コロナ前 から想定していた方向に向っていると思う。パンデミックのコロナが有り、国補助成策で4年ほど伸びたと言うこと・・・特に、国がコロナ対策で多くの主出をしている。お金が無い状態、国の国庫に頼っている自治体も多い、公共事業が経済の基本という地域も有る。しかし、財源が無い、一番お金をばら撒いてくれる建設業の仕事が無くなり、結果、飲食業・飲み屋等の、商店も廃業して区方向に成る。

過去も数度、私は店の閉め方・畳み方・・・終焉の時が来るので、始めた私がその責務を負うのは当然と思っると書いている。人の「生老病死」とお同じと捉えている。人と同じで必ず死ぬ・・・蘇生術等を使って、生き伸ばす事も可能だが生まれた時の個性と、全く変化している事の方に強く成っていると思う。

今まで続けて来れて、感謝している。

支えてくれたお客さん等々に、退院後は挨拶に回りたい、その後は、リハビリ等、治療が死ぬまで続くと思うが、暫くは、家と病院の往復が日課となると思う。運転も????・・・嫁の送迎か???色々、考えているが、家長の変わりを引く受けるという者が出てこないので、暫し、休んで、稼がなければ、嫁には一年間、よく家を守っても持ってくれている。家計の足しにと働き出したが、私が倒れたために離職・・・彼女を少しでも楽にさせたいと思うが、私に出来るのか???不安が100%だが、気持ちに負けるわけに行かないと、早朝から思いをブログに書いている。