五男に電話「たいがいにせろ」と怒鳴った。
たいがいは方言だと思う。義弟が、判事を行っていて、方言の意味は、漢字で示すと、解る場合が有ると言っていたので・・・今回「たいがい」を漢字に換えると体外が私の感覚だと近い感じがする。要は、己の許容範囲の外に成ったと言う意味が、標準語的な意味だと思う。
しかし、何故と成る、五男が居る。
この部分が、昔と今との違い・・・昔は先のブログ人書いているが、大人の目を気にして生きていた子供・・・当然、叱られない為に、目を見て、その人の限界を感じ取る能力も有ったし、大人が話す事柄にも、己の身を守る為に、聞く耳を立てていた。
この部分は、当然である。大人の気分次第で、子供への対応が変わる。当然、気分が良い方が、子に対しての対応も、子に利をもたらすことに成る。
この部分で、ルールや、善悪と言う部分も身に付けていた。
当然、若い時は、悪い事と思っていもしてしまう傾向が有る。しかし、悪いと言う自覚が有って、行っている。その為に、悪ぶると言う言葉も有った。
しかし、最近の子は、この部分が無い・・・悪い事をしていても、自覚が無い・・・指摘すると何故と成る。
以前なら、指摘される前に、罪を解っているので、逃げる方向に成っていたが・・・今は、この悪さをしていると言う自覚が無いので、逃げる事さえ想像もしていない。
昔は、多々の悪さが有っても、捕まる人は極一部・・・・今は、悪さが有れば、直ぐに全てが捕まると言う流れに成っている様だ・・・どっちが、良いかは判らない。
しかし、悪さをしていると言う、自覚が無い、この事が私は怖いし、恐ろしいと考えている。
昔なら、「たいがいにせろ」と言えば、理由も説明も要らなかったし、それで、その場は収まっていた。
各々が、己の欠点・問題を気付いているので、それ以上に拡大しない。
しかし、現代は、この部分が無く、「たいがいにせろ」と言っても、頭は?????状態だと思うし、この場だけ凌げば的、考えに成っている。
何が悪いかも解っていない・・・・人様の家の玄関を開けるにも、本来は「ごめん下さい」と入るか・・・又は、呼び鈴を押すか・・と思うが・・・
家族の一人と確認が取れ、上がれと言われた。それに、従う・・・当然、その前に大事な部分は無視して、黙って、子の部屋に上がって行く・・・この方向性の子が最近は増えているので・・・たまに、呼び鈴を押す、子の方が私の場合、面倒に感じる時も有る。
この様な子は、「どうぞ」と入る事を促しても、玄関を開けない・・・結果、玄関を開ける作業が出て来る。簡単でない・・・・開けて、子供なので「なに」と尋ねると、五男が居るかを尋ねてくる・・・「居ると」言っても動かない・・・二階にいるから、勝手に上がってと言って、初めて、家の中に入って来る。本来は、この様な事が正しいと思うが・・・・私の場合、無法者が多いのか、それに慣れていて、逆に疲れる。
子に会いに来た、子に長い時間、関わる面倒さも有る。
三流の親だから、この様に思うのかもしれない・・・
居間から玄関まで、行くのも面倒と思っている。私も歳を取った、何度が書いているが、小さで狭い家が、私には向く様だ・・・呼び鈴が鳴っても、答える機器が有るのが、台所・・・行く事もキツイと思う。
アルバイト先に五男を迎えに行き・・・車の中で、昔の事は話した、日が暮れて動く、キツネかタヌキかと言われていた時代・・・・裸電球の薄明りの中で、夕飯を済ませば、寝る・・・之が普通だった・・・その為に、周りは真っ暗・・音も虫の音か遠くを走る電車の音位・・・
冬は、海に出て行く、船の音が聞こえていた程度・・・
これを普通と思っている人が、私の年代以上には多い・・・五男が、店も開いていなかったの???と尋ねる・・・当然と成る。
町のデパートも、6時か7時に閉まっていた。
移動手段も基本は、徒歩・・・田舎にもバスが通ていたが、夜は無い・・・
その為に、日が有る内に全てを終わらせる・・・この思いが強かった・・・
要は、普通は変化している・・現代は職種も色々、昼間寝る仕事も有る。
その為に、色んな生活習慣が有ると言うのが、普通と成っている。
昼間寝る人に、昼だからと大きな音をたてる、作業をすれば、当然、煩い寝れないと成る。
要は、全てに配慮する方向に向かっていると言う事・・・
昔より、己の振舞いに注意が必要と言う事にも成る。
しかし、気持ちは解る・・・住まいがアパート、当然、音が禁物・・・そのストレスを我家で発散させる気持ちは解る。
騒動したい気持ちは解るが・・・色んな事に配慮が必要と言う事・・・
私は三流で、嫌われ者だと思っているので、己の思う様な環境で無くても、順応できる事が大事だと考えている。その為に、子が騒動していても、確りと寝ている。
五男の年頃は騒動とうとうが当たり前と思っているからに成るが、現代は、歳相応と言う考え方も無くなって来ている。
普通の人間として捉えている・・・
私の場合、本当に眠いなら、どんな環境でも寝れると考えている。
本当に、物が食べたいと、飢えているなら、何でも美味しいと思うとも考えている。
しかし、現代は、何故か、この様な部分まで、基準が儲けらえているから、面倒な配慮まで必要に成る。