2020年1月12日日曜日

教育・・・学びの場・・・

先のブログにも書いているが・・・集団を維持し、事を進める・・・この難しさが有る。

要は、手段を構成している・・人のレベルで決まると言う事に成る。

仮に、小学校一年の教室で・・・東大の講義と同じく・・哲学等の講義を行った・・・教室の維持が出来るか????・・・退屈しないで、その時間を耐える事が出来るか????

当然、教室に居る、人のレベルに合わせた、教え方が有ると言う事に成る。

動物的、脳を刺激した・・指導が・・・良いと言う事に成る。

例として、美味しい食べ物と不味い食べ物・・・どちらが良いか???と質問したら・・・美味しい食べ物が良いと言う・・人が多い集団の中で・・・良いか悪いかは美味しいと言う、一つを基準に考えるのは、問題が有ると、言う人間が居るかに成る。

この美味しいと言う問いは・・・当然、各自で違う・・・A君は甘い物・・・B君は辛い物と変わっても不思議でない・・・・しかし、誰もが美味しい物が良いと言ったと成って・・・当然、A君は自分が美味しいと思える物を、Bi君に勧めた・・・B君が喜ぶ姿を予想しての行動がだ・・・・B君が嫌いと言ったら・・・当然、A君は????に成るし・・皆、美味しい物が良いと言ったのに・・・私が嫌いなものが良いと勧めた、有りえないともなる事をイメージ出来ない・・レベルと言う事に成る。

レベルが一緒でも・・趣向が各自で違う・・・この部分をイメージ出来ないレベルが有る。

しあし、集団を維持する為に・・・個人の趣向さえ、変える・・・方向性も集団には有る。
皆が、甘い物が好きと言っている・・・自分は辛いのが好きだが・・・異端に成り集団から疎外される可能性を危惧すると・・・自分の趣向も変えて、甘い物が好きと、口から吐く場合が出て来る。
当然、この様な個々の趣向を認めにくい集団に属すると・・・結果的に、全体の趣向に合わせる・・生き方に成る。

勿論、この全体の趣向・価値観等々が・・・人間度が高く・・民度が高い集団なら他への問題にもなり難いが・・・
この部分が低いと・・・他の集団との勝ち負け論に成り・・・我々の趣向が正しいと集団同士の争いを生み出す。
一番怖いのが・・集団と個との争い・・・・当然、借り負け論で言えば・・唯物的には個が負けるのが当然と成る。
負けたなら・・・お前の趣向が違うと、認め反省せろとなる・・・之を集団側の個々の個人から見ると・・仮に、俺も本心は同じだが、若し、この部分が知れたら、今目の前に居る・・負け犬同然のアシライを受けている、現状と見て・・・絶対い知られたくないと、振舞う事に成る。

原理主義の、原理の中心に、自ら進みだす・・・人を創り出している事にも成る

私が怖いと言っている部分はこの部分に成る。

私の場合、母親から。出来るだけ。歳の多い人と付き合え・・又。多々の苦労をした人と縁せよと、言われていた。
理由は、己のレベルを変化させる為には。この部分が良いと言う事を母が知っていた為だと思う。
意見が違い、叱ってくれる人・・・褒める人等求めるなが、母の口癖・・・男なら、男気を出して・・・己が一番嫌で怖い・・人に縁せろと言っていた。

勿論、私も若い時は、同じ価値観・同じ位の年齢・・・共々に同じ趣向等々で盛り上がり・・・何時も一緒に過ごしていたが・・・私の現実の部分・・・生活の部分で、親が商売を倒産させたと成ったら・・・私の周りに何時も居た人達が一気に居なくなった。
残ったのは・・・怖い先輩方・・・
しかし、この先輩方が居たので、逃げ出したい私に叱咤・叱咤・・・結果、逃げずに10年程前に、一家・家族として。完済する事が出来た。

之も、私を見棄てずに、叱咤してくれた先輩たちのお陰だと、感謝して居る。

勿論、未だに叱られる・・・怖い・・・一度も褒められたことはない・・・しかし、怒られると解っていても・・・先輩たちに合いに行く私が居る。

還暦に成りますと言っても・・ヤット一人前に成る・・・之からが、世間に対して何が出来るかの本番と言われる。

勿論、それまでに何を学んだかに成るし・・・私は60年を要して・・一人前に近付いたと言う事に成る。

之が意味する事は・・現状は半人前・・・発展途上という事に成る。
子供と言う事にも成る・・・大人としてヤット・・何が出来るかに成る。

要は、体は大人・高齢者に向かっているが・・・・知識や知恵の部分は、子供と言う事に成る。




来訪者が続く・・・

今日は、我市での成人式に式典が有る。

私の四男も、参加する事に成っているが・・・我が地域から、数人の子達が参加の予定である。

その子達が・・・来訪して来る・・・晴着を着て・・・大人としての門出に、我家に来ていただく・・・感謝に成るし・・・・嬉しいし・・・涙が出そうでも有る。

子達には、今後は「親孝行を・・・・」これが、私の口癖である。

中には、祖父母が健在の子も多い・・・爺・婆を大事に・・・之も私の口癖に成る。

しかし、大変な事に・・・カメラのバッテリーが・・・・充電が・・・・に成る。
我家らしい、何時もの光景でも有る。

結局は、嫁のスマホでの、撮影に成った。

嫁は、四男を伴い・・・お世話になった、家々を回っている。

特に、地元五、残る、若人は・・・地域の宝でも有る。

地域社会が、確り見守る・・・この責任も宝と言うなら有る筈と私は考えている。

宝に対して・・知らないふりは、私は出来ない・・・

バスガイドさんが・・・昔、車酔いをしない方法として・・・窓から、一万円札を手に持ち・・・・外に出していると・・・それに意識が集中して、バスに酔わないと言われていた。

之と同じ・・・地域の大事な後継者・・・・一万円以上の値打ちが有るし・・その為に宝と言っていると思う・・・
目が釘付けに成っても、不思議ではない・・・・

異端児でも・・ギリギリ社会から受け入れられている感じが・・・色んな行事の際に感じられる・・・当然、嫌われて当然の立場・・・感謝に成るし、有難いと成る。

涙が出そうになる理由も・・・この様な部分も含まれる。

三男家族にも見せたいと・・・又・・来訪者・・・三男は消防の出初式が終り・・少し前に、我家に来ていたが・・・・こんな、約束が有っていた事は死ならなった。

何時も、我家は色々起きる・・・波乱万丈だが・・之が楽しいと思えるし、幸せと思う・・・生きていれば、色々起こる・・之が普通・・・普通を楽しめる・・・幸せと私は思う。

要は、「消防病死」も生物としては普通の現象・・・当然、これも楽しめる様に人間力を高めたいと考えている。
楽しめれば、幸せと感じられる・・・最終的に、「生老病死」に感謝できるレベル・・これが生きている間の、私の宿題と考えている。



原理主義・・・民度・人間度・・関係・・・

原理主義・・・人間も動物で有る、本能部分に動物的、価値観が存在している。
弱肉強食・・敵は殺して、己の糧にする・・・等々・・・動物の世界では当たり前だし、当然と言う、原理が存在している。

人間も、動物だからこの部分が根底にある。
この動物部分を擽り・誘導する、権力者も存在する世界が、人間社会と成る。
集団・社会を構成する人々は・・・この様な部分が誰しも有ると言う事を知れば、捕食者を悪、その為には、集団として戦うしか、生き残る道は無いと言えば、否定する人は、少ないと思う・・・しかし、有る人が、言われている、捕食者を私は、見た事が無いと言えば・・・・どうなるか???・・・・勿論、集団の中でリーダー格の人への質問に成る。

動物に本能が有るが、人間としてイメージが出来る、頭を持ってしまったが故に・・・存在しない、捕食者を作り上げてしまうし、それを現実だと、個人として思っている分はも代も少ないが・・・そのイメージを集団として共有した場合、怖い事に向かう。

動物の世界なら・・・捕食者との戦い、負ければ、当然、食べられる・・・勝しか生き残る方法は無い・・・しかし、捕食者に比べ、「弱肉強食」の世界・・当然、弱い・・・
戦う前から、結果は略、決まっている・・・しかし、ここからが人間の頭の良さ・・・どんな技を使っても、生き残る・・これに長けている人が、優秀・一流と言う流れに成る場合が有る。

この動物的、部分で考え・・・その後に、人間としての能力を駆使して、生き残る・・この様は、考え方の構築をしている、人達が多い世界だと、この考える順序に対して、矛盾も感じない世界と成る。

本来、人間として考える・・・・しかし、命に係わる、大事に陥った場合は、保身の為に、敵を倒す、この考えも、必要に成る場合が有るが、非常事態と言う限定した状況と私は考えている。

先進国と言われる、又・・文明も有る程度、発展をしていれば、本来、民度・人間度もレベルUPしていると思うし、それが目的で・・発展し先進国に成ったと私は考えているが・・・・この様な形に成らない場合が有る。

これも何度が書いているが・・・日本でも、昔、戦国時代・・・人が人の首を取る・・戦いに明け暮れていた時代に・・・「敵に塩を贈る」・・・この様は振舞いを行っていた、武将が居る。

戦う相手に、栄養を与え・・全力で掛かって来いと言う振舞いに成る。

一神教的、価値観だと、考えられない振舞いに成る・・・その為に、西欧諸国が、植民地の拡大政策を、争ってしていた時代に・・・その先兵として、送っていた、宣教師等々が、日本と言う国は、理解が不能だし・・・我々の価値観では、制服等に疑問が有ると言う、書簡を本国に送っている。

要は、民度と言う事・・・民度・人間度のレベルが違うと言う事に成る。
洗脳・扇動が難しいと言う事にも成る。

しかし、この原理主義を、利用しなければ、集団が維持できない・・・場合が、民度で変わる・・・動物的、価値観で事を考える方向性が強い人が多ければ、敵は殺せ、この方向性が、集団の維持には楽に成る。
敵を大事に・・・配慮・・・等々を、言えば・・・民度のレベルでは????状態に成る。
若し、仮に、敵味方でなく・・勝っている劣っていると言う部分で・・・劣っていると言う事は、弱いと言う事・・・動物的「弱肉強食」価値観で言えば、食べられても仕方が無い、之が意味する事は、死んで当然の立場と言う事・・・之を個人が思うレベルなら・・仕方がないと思うが・・・之を集団で共有したら・・・当然、誰から、弱い立場に対して、ちょっかい出す・・些細な事だが・・それを増長する方向に、同じレベル価値観の集団なら起き出す。之が怖いし・・・原理主義の怖さに成る。

個々で思う分は、許せる・・・しかし、集団でこの流れを加速させる、特に原理主義は怖い・・・

以前、書いているが・・・動物的、脳で考えるか・・・人間的、脳で考えるかの違いに成る。
之も、何度も書くが・・・利己主義はダメ・利他主義が大事と言っても、人間的、脳で判断するので・・正しいと成る・・・しかし、行動部分は、動物的、脳も支配している・・結果として、行動出来ないと成る。

言葉を変えて・・・利他主義を・・・負己主義が大事と言っても・・・負と言う単語で・・動物的、脳が一気に働きだす・・・結果。意味が解らない・・等々、素直に正しいとは言えなくなる。

利己主義を、負他主義はダメだと言えば・・・又。同じように、動物的、脳が稼働しだして・・・素直に、ハイと成らない・・・

社会や文化・等々、発展が進んでいない・・昔なら、野蛮人と言っていた、そのレベルなら・・・動物的、本能・・・脳がフル回転で考えるのは仕方がないと思う。

しかし、飢え死にをする、可能性が少なく・・・又・・その死が有すと言う、切羽詰まった社会でない、文明や文化が発展している、国なら・・・当然、人間的、脳が普段は稼働していると思う。

しかし、正清国と言われた、日本でも・・・・この原理主義を利用した、集団の維持等々が、行われていた事実が有る・・・勿論、民度・人間度が、そのレベルに達していないのが問題だが・・・・

この部分を、誰が教え、教育しているのか????・・・普通の学校期間等々なのか????

学校等でも秀才を輩出する為に、、この動物的、脳を刺激し、損得勘定論で、人を誘導して、秀才を輩出している。

情報機関が、之を行っているとは思え無い・・・殆どの情報が・・動物的、脳を刺激する情報しかない。

現に「生老病死」この部分を、感じさせる、情報等、無に等しい・・・
一瞬の今、之が凄い・この程度である。
動物なら・・俺も欲しい・羨む、物事に成る・・・

動物にも趣向が有る・・・・・嫌いなら、嫌がる・・・人間なら????・・・・対応が変っても良いと私は考えている。