車椅子で移動できるようになって、色んな事を挑戦している。その都度、私で仕えるものききも殆ど無い・・・世間では経験済みだが、医療機関の病衣でも感じる。対応にしても看護師長に言っているが、「今日担当」と報告に来られるが、名乗らない、名がが解らない状態・・・名札は付けているが、視力が悪いと読めないし。人相での判断も出来ない、当然 掲示物も読めないし、買い物に行くと、商品も良く見えない、記載されている文字も見えない、結果、勘で買うことになるし、手で目の前に持ってきてギリギリ、車椅子に座った状態で、取れる商品は数、少ない。色んな器具も気になる。洗面台、車椅子が奥に入らない、結果、水道の蛇口に手が届かない無理して手を洗っても手を拭く、紙タオルのケースの場所に手を伸しても届かない病院なので、グローバルデザインで、万人に優しい設計と言われているが、私には、使いにくいし、仕えない物も有る。私は万人外の立場とも考えている。又、黒っグローバルとは広い視点視野と思って居たが、逆に狭く、息苦しい、良い一部の人が喜ぶ方向なのかとも思う・・・・西欧列強が良く使う耳障り売るの良い単語で支配していく方法の一つだと思って居る、要は、今でも個人の好き嫌いで、その人が力を増すに従い、国も動かし、世界も動かす、これが面白い、人生の醍醐味と思って居る人が多いと言う事にも成る。この価値観が強く有るので、出世欲で頂点に上り詰めれば、何度も書いている事だが本質は独裁者と言う事に成る。ガバナンスに有る。統治・統制・支配・・・これをどう考えるか???無くても、人の性善説を信じ各自の自由で良いと言う考えも有ると思う。逆に人は力で押し付けないと暴れ出すと思うなら、厳しい方向に向かうし、集団全ての敵を創り出し、団結させ支配していく・・・私は、コンプライアンス違反を当然のように起こしている。同窓生も色々いる、親族も同じ、しかし、私は合いたいから合うし、当然、他の人と同じ対応をする。この部分を気にし、ダメだと思う人は付き合ってもらう必要もないと思って居る。だから正直に生きる、今回の病も、指定難病と言う事を顧客に説明している。その結果、去る人もいる、それは仕方が無い事だと思うし、逆に大病を患っていて顧客を維持・増やすと言う事自体が現実離れをしているし、どこかに粉飾が有ると言う事に成る。今の体で、お客さんへの対応は電話でギリギリ、体を使うと成れば無理に成る。しかし、待ってくれているお客さんが一人でも居るなら全力で体を治したいと挑戦し続けるしかない。
2025年2月24日月曜日
可哀想だ!!!
大声を出される患者さん、スッタ夫ルームから一番遠い部屋に成り同室者も様態が安定しているのに意識の無い、二人の同室者、代わりにナースコールを押して対応お願いする事はない・・・・・その隣の部屋は今、入所者は一人、要は己で地獄の底に向っていることに気付けないし、全て他の責任という、価値観・・・・構って貰いたいとの言動其れも、上手での対応が格好よいし、己の威厳を保たれる、大陸的価値観、どんなカタログスペックが高くても、今はその意味を成さない、それに加え、暴言を吐く癖を、歳だから・ボケ・痴呆で誤魔化し続けている。結果、病名に痴呆症と付いている。看護師さん達は痴呆症として、対応してある。要は、どんなに騒いでも無視されている。タダ不思議に本当の痴呆症の老婆が目を覚まされ声を出されと静かに成られる「かんごふさん」と連続で唱うように言われる。女性なので耳に強く響かないが、可愛さが有るし、この他に炭坑節の全般部分を何度も繰り返され、ヨイ・ヨイ・ヨイとのかけ声が面白く聞える。キーが子供の音域のために心地よく聞ける。人を観察して何を学びたいのか???私は人の死に様と思って居る。ゴールを死と私は考えている。生き様の集大成・総仕上げが死に有ると有ると思っている、死の近付く、足音が聞えて来ると、この病棟のように呻き声、嘆き声を出す人が何故多いのか、価値観の問題と思う。!!!
問題・多々~~~
病院に帰宅後、夕食を済ませたら、気持ちが落ち着いたのか??急に痛めていた腰に激痛・・・我慢していたが、無理・・・・鎮痛剤と腰椎のコルセットを装着を看護師さんに手伝ってもらうが、少しでも体を動かすと激痛が・・・・上手に装着は出来なかったが、鎮痛剤の効果が出だして再度、装着しなおす事に成っていた。一時間ほどの痛みを堪え、病院に帰って来た時から問題が発生・・・少しでも出入り口に近くと、次男が歩道に止め、四男が車椅子を取りに行く・・しかし、私専用にしていた、車イスが無いとの事。横断歩道を渡る事は無かったが、歩道を歩行器を使い出入り口に、車イスを探すが、無い・・・他の綺麗、此処の病院名が記載されているものはある。古びて病棟名が記載され私専用に座面をスポンジ・バスタオル等で高めているのがない、守衛の窓口の前での紛失・・・・守衛の窓口から中を見ると誰も居い・・・七階の自室迄、歩行器で歩くことに成る。数度、限界が来て倒れそうに成る。歩行器なので、手で支えると倒れないが、足が動かない・・・家族の励ましで、部屋まで帰りつく事が出来た。この件を看護師に話して、車イスを探して貰うが発見には成らなかったが、新しい、車イスを与えていただき感謝している。以前の物より、手移動が良く、良く転がる。念為に、注油のメンテナンスを行った。
腰の痛みの件は、一時間後くらいに痛みも動いて我慢できる程度に成ったので、立ち姿勢で、腰椎と胸椎の二種類のコルセットを装着・・・痛みも軽減したので確り眠れた。感謝に成る。
朝五時前、何時もの患者さん、想定l一歩していたが、色々な単語は無くなったが、赤子が泣く、リズムで、あ~~~ん~~~と言うペースの大声で繰り返されている。私が想定していた状態の最悪に向かっている、対処したいと思うが、距離が離れた部屋、今の私では対処できない、じっくりと腰を落としての長時間と言うより数年必要な感じの覚悟がいる。その人には直接、赤子より悪いと言って攻め石ている、人の同情を求めての策・・答えた人に対して、赤子は期待が持てるし、感謝の思いを笑顔等で示す、それに比べ貴は将来に希望が持てるのか???疑問があ る。貴方自身の対応は近づいて来た人に対して暴言を吐く、誰が貴方を支えてくれるのか、よくよく考えて、県境に振舞い相手を尊重して接する個々と崖行動が最終的には心の安穏・幸せ・幸福になると私は言うが 解らない、頭が痛くなると言われる。特にどの様な意味で唱えてあるか解らないが、般若心経の一節をL繰り返される人なので、仏法思想は解られると思うが、私が話すことは初耳のように感じられ、仏を具現化し、神と同じでスーパーマン的存在、その存在にしがみ付くという一神教的価値観。古い土着信仰と同じ信心館で終われる、哀れだと思うし、何故、学ぼうとしなかったのか、情報は、貧国の場合は得たいと覆えば得れる部分は多い、図書館・書店等に行けば、専門誌は山のようにある。学歴等が無くてもある程度の部分は個々の努力で叶えられる。私は簡単と思える、人間らしく生きる為此を学び続けた。稼ぐ・儲ける・得する等々は二の次三の次で、人からどう見られるかは最後と考えている。