2023年1月1日日曜日

嫁らしい・・・頭が下がる。

 今日は、嫁は公休日・・・しかし、正月!!・・・・家族との面会が無い、等々の人が気になる。又、施設長一人で面倒を看て貰っている。

心配だからと、午前中はがめ煮(筑前煮)を差し入れに、施設に向かった。その後、午後から、一回・・・夕方も出て行く、未だに帰ってこない・・・

彼女らしい・・・対価・見返り・・・此も、価値観で変わる、対価や見返りは???・・・本来多々有っても良い・・・しかし、現代はお金本位主義に人間が染まっている。その為に、対価や見返りはお金と言う考えが、増えているようだ・・・

勿論、彼女も見返りを求めていると思う、「有難う!!」等の言葉だったり・・色々有ると思う。

この様な人間らしい、心ある振舞が私は好きだ、しかし、現代は損や負を背負う事を極力、避けた利、逃げたりしている。この様な価値観から見れば、バカで騙されるタイプとなるし、当然、お金を儲け出すより、お金を無くす方向になる。

しかし、私は彼女のこの様な部分、変な意味、現実より、目の前の人が大事という価値観、好きだし、その為には、何でもするというタイプ・・・

騙されたら大変と思うが、その生き方で生き残れるかも、私の社会の見え方に繋がっている。

しかし、以前書いているが、私差の周りの諸先輩達、実父母の介護が始まる直前、介護離婚・・・当然、嫁と子供達が家から出て行く事に成る。

結果、先輩が、父母の介護をされることになるが、男が介護、出来るもでない、実の親が壊れていく、こんな事も出来なくなる。此を当然と受け入れられる度量と経験が有るか????・・・・無い、結果、ストレスが溜り、大変な事に成る場合も有った。

又、先輩が、病に、パーキンソン病・・・勿論、病名も解らない、精神的に、何もしたくない、丁度、今の私の様な感じだと思う。体が思うように動かない・・・結果、社会から遠ざかる、当然、仕事もしない。この稼ぐことが出来ないと言う事で、別居・・・最終的に病院でパーキンソン病の難病指定を受け、戸籍に妻と二人の子が居るので、行政としては家族が面倒を看ると言う方向だったが、解った瞬間に、離婚届の書類を息子に持たせて、先輩は捺印され、離婚になった。

要は、金が有る時と言うより、昔から言われるように「金の切れ目は縁の切れ目」と言われている。意味は、その通りだが、どう捉えて対処するかになる。

安易な考えだと、死ぬまで、ピンピン・バリバリの稼ぎ手で有ること・・・しかし、現実は不可能で有る。

それなら、私の母が言っていたが、嫁・特に妻を求めるなら、世間で言われる馬鹿な嫁・妻が良いと言っていた。要は、人が良いのもバカの始まりと言う、諺のように、儲け出すことは、難しいが、添い遂げる、特に、共存共栄、相互扶助という部分には、この様な、人が良い、馬鹿な人が良いと言うことになる。

勿論、私は人間、又、人間でも三流、どの様な人を求めるか、必然的に解ると思う。

もし、私は、優秀で一流・それを超え、神や仏に近い存在と思っているなら、当然、利につながる利口な人を選ぶと思う。

何度も書くように、人は己の言動に、目的や意味が有る。それを確り見抜くことが、大事だし・・・それが出来るか出来ないかで、誰しも訪れる「生老病死」の問題と言うより、課題に対して、対処に繋がる。

先月の続き・・・

今日は、正月だが、何時もの月初めの作業・・・請求書の発行を行っている。

売り上げ等々を、パソコンに入力・・・私の体の衰えと合わせるように入力の件数を減り続けている。

此も、措定して始めた商売・・・・終わるときがある。始めるときより、終わるときの方が何故か能力が必要だし、力も必要に成る。

始める・拡張する、この単語、耳障りが良い、良いと言うことは耳を貸してくれる人が多いという事、中には、投資してくれる人も出てくるし、この頑張りを情熱と感じる人も居るので、当然、金融機関も貸し付けをしてくれる。

誰しも、柳の下のドジョウを簡単に手に入れられるチャンスだと捉えてるからに成る・・・

逆の方向は、当然、柳の下のドジョウは利で無く、負に成る可能性が高い、結果、耳を貸さない、当然、相手にしないと言うことになる。

しかし、何度も書くように、始まりが有れば、終わりも有る。

当然、私の一番の理想は、我が代で終結させること・・・私が始めたら私が閉じる・・・

話は、逸れてしまったが・・・昨日、作業していた、カメラ付のインカム・・・今日は、画角等を、実際にヘルメットを被って、バイクで走り、調整している。

粗と言う状態にまで成った。後は、微調整になる。

自立とは????・・・死・終焉を考え、取り組んでいるか!!

 何度も書くが、人を先導・誘導する立場に有る人達・・・特に、マスコミ等々で出て来る、知識者と言われる人達・・・しかり、自立して居るように見える死、その様なスペックが並べられる・・・

私は、そのスペックも、何か意味が有るのか????・・・・と思うときが有る。

特に現場仕事を行っている私の場合、資格者・免許保有者が、仕事が上手く、早く・リーズナブルとは限らないし、私の周りだと、逆の人が何故か多い、要はスペックが高い方が、銭にならないと言うことになる。勿論、共に働く原賠員の目からになる。

私は、足場が現場だし、崖っ淵に居る。この立場の人間から、知識人等の話が耳に入ると、綺麗事、糞尿を被って仕事している立場を経験してから言えと思うことが多い・・・

当然、自立したい、己の足で悠々と立てる立場に成りたいと思っているが、現実に振る舞わされているし、己も十分でないのに、直ぐに人様の世話をしてしまう。理由は、人は永遠性が無いし、今しかない、己に与えられた時間を知っているから、直ぐに出来る事はする。

私は尊敬する先輩方から、終わり・死を意識した生き方・・・例として商売を始めるなら、大きくすることより、店終いを考える、事が、自立と言われていた。

何事も始まりが有れば、終わりが有る。この終わるという事は必然と、受け入れた生き方が自立に繋がる。

この部分を意識していないと、所詮、浮き草稼業・その場しのぎで、何の為の、言動か????・・・当然、己の思いと言うより、生きる為に仕方がなかったと言う生き方になる。

良くなることを社会に依存しした、生き方だし、結果として、悪くなれば、社会が悪いと成る。

私は何故か、分相応だから共思うが、社会の底辺の人達と縁が深い・・・

その日暮らしの人も多い・・此ならまだ手を差し伸べられる、しかし、裕福に見え、何の問題も無いような振舞をしている人に、粉飾している人が多い・・・この様なタイプには私のレベルが手を貸すことは出来ない・・・負が大きすぎる。

考えようでは、人、一人の負は楽だが、見栄を張り、分以上の負を隠している人は、人100人分の負という人も居る。

この様な人は、終焉を意識していないし、終焉に向かっているのに、己に原因があるとは思っても居ない、全て他人・世間が悪いと思い込む習性がある。

この様な人が自立している???・・違うと私は思う。

社会に依存し、寄生して上手い水を啜っている・・・此が出来なくなると、宿主側に問題が有ると、叫び出す。

可哀想である。



令和5年・・・初日

 昨年は色々有った、実父の喪が続いているので、年々のお祝いの言葉は、避けたいと考えている。

今年は、平年の様に、成って欲しいと願っている。

しかし、肌に感じる、世の風は、冷たいし、怖さも有る。

現代は変化が早い・・・立ち止まって考えていても、その時点で時代遅れに成っている。

我家の家族も、今日は、公休に成っている。しかし、嫁は、施設の入所者に正月気分を味わって貰いたいと・・・我が地域の正月料理・・・がめ煮(筑前煮)を作って、差し入れに行きたいと言っていた。

我家の特徴なのかも知れない・・・一人暮らしでどうにもならない人達、正月気分を味合わせたいと、母は、その様な人の分まで、おせち料理を作っていた。勿論、分相応、二~三人分になる。

しかし、今は、この、困っている、人が肌でも増えているように感じているが、見えなくなってきている。

理由は、私も含め、我が家族の、目が届いていない事が要因だと思う・・・・様は、負に対して必死に探そうとする思いが無いと、どうしても、三流の人間、己に取って負と捉えてしまう方向は、意識していないと、直ぐに忘れてしまう。

結果、困っている人等、私の周りに居ない、居ないから手も出せない・・・この理屈になる。

しかし、現実は、己の足下・横にも、居るという事・・・それを隠さないと社会に入れないという恐怖がそれを後押ししている。

私は、人間は、ほったらかしの自由では、崩壊の方にしか向かわないと思っている。戒め等々・・・確りした仕付けが必要と考えている。

理由は、勿論、三流だから、事が苦に感じると逃げるなら・・・間だましで・・・二流・一流には、この様なタイプだとは思いたくないが、所詮・人間も動物・・・・自己保身の命が強い、それに打ち勝つ哲学・ビジョンも持っていないし、教育も受けていない。その為に、現実には、二流・一流とは、この動物的、本能を全うできる、立場を言っているなら、逃げ足が早く、利を貪るのは早い・・この様なタイプが優秀と言うことになっているとすると、今後の、社会は当然、大変な事に成る。

今年は、良い年にしたい・・・・しかし、良いと言うことは、私に取っ手になる・・・狭い度量しかないという事・・・

現実の実社会は、今年は山場だと考えている。要は、負や損に対しての考え方、避け・先に・・・としてきたし、この策が正しいと、妄想を抱いていた。しかし、「生老病死」と同じで、始まりが有れば、終わりが有る。

終わることは、必然、この捉え方が出来なあいので、結果として悪あがきで、己を飾る、粉飾・・・・この見栄が最終的に、大きな負に繋がっている。此が今後、表面化すると私は考えている。

嫁の仕事、介護・・・施設の存続で今年は、戦いになるようだ・・・理由は、利を求めている人が居る。福祉事業なので、人の為と己を犠牲にしても良いと思っている人も居る。

この考え方の大きな違いが、結果的に、施設運営が難しくなる方向になっているようだ・・・

仮に、何故、家族を施設に預けるのか????・・・本人の要望????・・・・・・・それとも、家族の我欲を重視して???

同じ様に、職員は、何の為に、この職を選ぶ????・・・人様が大事で、手を貸したいから???・・・対価が欲しいし、直ぐに雇って貰えるから???・・・

私は、医療費等も、思っていたが・・・サービスをよく、利用者側に厚い介護を!!!と望むなら、それに比例した、対価を要求されても良いと考えている。

要は、家族でさえ、看ていくことが困難だから、施設等に預けたい、困難な理由は、看るためには仕事が出来ない、仕事・糧をお稼ぐために、預けたいというのが本音だと思う。

最初から、本音が欠落して、綺麗事で事が進んでいるから、問題が積み重なっていく・・・

それだけの対価を、施設側が要求すれば、当然、職員の対価も仕事量に合わせた対価を与えることが出来る。

簡単なこと、10のサービスを受けたい・・10万必要と成る。20のサービスを受けたい20万が必要に成る。

この思いと対価のバランスが取れていると、各々、己の分を考えての言動になる。

しかし、この部分が、国からの補填等々だとすると、100のサービスを受けたい、その対価は当然、0円・・国の責任と、責任の所在が代わり出す。当然、国は頭が良い、国に責任が及ばないように、配下の民間機関がその泥よけをさせる・・・結果、ドロは、入所者の為と働いている人の背中に乗ることになるし、当然、対価だけで働いている人は、ブラック企業と不満を言って、辞めていく・・・・

会社・組織等々、見え方で、私は、動物に捉えている、その動物の色々・・・現代の組織は、トカゲ的なシステム・・・様は、末端の人は、トカゲの尻尾切りと同じ立場という事・・・捨て駒、此に対して当然、扱い・対価も過小評価される。

会社の集合体のグループも同じで有る。

私は、大きな事は出来ないし、出来る状況でも今はない・・・しかし、この不満足な体でも、背負える物が有るなら背負おうと思っているし、此が出来るから生きられていると思っている。

母が言っていたが、背から重いから下ろそうと思ったら、死ぬ時と言われていた。死ぬ時、共連れは駄目だから、下ろす・・・平時に下ろしたい、バカと言うより、鬼畜と言われていた。

宇満足な背中でも良いと言う人も居ると思う。己の分で、今年も生き抜いたいと思っている。