嫁が来院・・・入浴で使ったタオル等洗濯物を取りに、当然、今まで、依頼している物は全てを想定通りに忘れている。散髪の件は、一ヶ月以上待っている、予約が必要で、お金も持たない私には、その権限が無いので、今日目の前で行って貰ったが私のよう棒を聞かないでスマホで予約、思っていたように、忙しいと思える透析日で、翌日家の調査 の日の四日になった。嫁が中二からの知合い、年の差は二歳、校区も違うが何故か、気になり、そのまま友達として、天然の部分が心配で、何故か妹のように守りたいと言う思いが強いまま付き合っていたが、出勤中に交通事故、遅刻疑義だったので、裏道を一〇〇キロ近いスピイードで走行中に、緩い見投資が悪いカーで、トラックが道幅一杯で走ってくる。逃げ道は無い、見えたポイントはトラックのフロントタイヤにリアを滑らせ当て泣けば確実に死ぬと思い、其の処置で命は取られなくで住んだが、体はトラック緒横と加護の間と飛んでいく、車の進入を阻止するようにおいてあった大きな石の上に後ろ向きで激突・・・痛さは感じなかったが、下半身が動かない・・・直ぐに病院に搬送で半身麻痺という事に成り、入院になった。その時、毎日看病に来ていたのが今の嫁、高卒で入った会社失敗が多くて、昔だから怒られ方が凄い・・耐えないで退社・・・家族にばれない様に見舞いに朝から来ていたと言う事になるが、この行動に我家の両親が感激、相手の実家に確り礼を尽くせと、仲人もよいして、トントンと話が結婚と成った。体に障害が残った私に托してくれた義父にも感謝している。この恩に応える為にも、体調が悪く吐きながらでも父の仕事を手伝っていたが、給与は無い嫁が稼ぐアルバイト賃位での生活・・・その後父の商売が倒産、ドン族状態からの結婚生活になる。その為に、多くの恩を嫁に感じているし、彼女の個性・癖もよく熟知している、失敗も間違いも想定範囲内に収まるので、今はかの情の行動を、喜劇を見るように楽しんでいる。
嫁が昨日誕生日だった、直せる、おめでとうと言う事しか出来ない私は、来院を求めて、メールーを送ったが、返信・連絡も無い。今日来たので、「おめでとう」と言ったら。昨晩、次男の若嫁から電話で、ケーキも準備しているので夕食でも一緒にと言うお誘いが有ったとの事・・・その時の動画を見えて貰った。手作りのケーキの様だ・・・・・三年以上、我家に押しかけて次男の部屋で過していたし、ネールの学校に行くと、東京の学校に行ったが、結果 挫折で一年以来で帰って来た。仕事は夜のスナック等でのアルバイト・・・私の父が水商売の女という事で、嫌って何時も喧嘩、それでも実家に帰ろうとしない・・・当然、私の嫁とも喧嘩・・・この様に一番、向かない女と思って居たと思うが、現実に結婚した後は、嫁としての模範を他の兄弟にも示してくれていると思うし、感謝している。家を建て異国一場の主に夫をしてくれたのも次男の嫁が一番乗りだった。その後 長男・三男と続く事居に成る。男は嫁次第で決ると言われるのが、日本文化、嫁の舵取りが要で有る。夫は、推進力・動力に過ぎない・・・・世界の標準の価値観での夫婦は各々の船を各々が舵取り、推進する両方のことを行う。この差が出ないようにするための 法整備だし平等と言う観念、全てが分担、一隻の船、同じパワー能力、進む距離、方向も同じ、此を平等と評している。日本場合、人の数ANDの連帯で舵取りが一人で十分なら、予備に一人が居て・・・他の人は推進力として協力して進めれば当然方向は一方向だが、進む早さやパワーは凄いことになる。
この価値観を世界は恐れている。その為のグロバル化・・・・修羅の世界でも本性が餓鬼道か菩薩で変る。
暴走族の総長として、最後は解散を警察で行って、新聞にも載った。その為に、歴史が有る暴走軸の先輩達から袋叩き担ったが覚悟の上、生きて居たので感謝していると言っている。尾じ仲間の親たちに迷惑を掛けたくない、心配掛けたくないと言う思いが強くなったと言っていた。それも私がスッ飛んで行き、徹底的に平謝り・・土下座も厭わない思いで言え姿と、一ヶ月に一度以上見せ続けた結果と言っていた。ムードメーカー的存在だし、調子に乗せると登るとことまで登ってしまう。此が悪い方向に出る場合も有るが、良い経験と、消化し、今もその時の友と好き合い続けている。私の思い、絶対に此方から裏切らない・・同じポジションを死守し続ける。去る者・避ける者は勝手にという考え、次男もこの傾向が有るようだ!!!!
しかし、嫁と孫・若嫁で、ケーキのローソクを消す動画、涙が出た、幸せ幸福に見えた。逝ってしまった義父との約束、絶対に幸福にして見せます。少しは、叶えていると思う。嫁・子供・孫達が喜ぶ姿が今は私の幸せに成っている。