2022年3月31日木曜日

復興・・・・

 今、戦争が起きているが、その場・・・戦争の場は、荒廃し荒れ果てインフラ等も、壊滅状態に成っている。

一般市民を巻き込む、戦争に成っている・・・これも、西欧的考えと言うより、世界では普通なのかもしれない・・

日本国は、基本ん戦場は、市街地を避ける方向で、合戦等を行っていたが・・・市民等は、お互いの今後の財産と言う見方が有ったが・・・

世界の普通は、土地を奪い、当然、その土地には、同じ価値観の者を住ませる、この流れの為に、皆殺しと言う方向性の戦いが強かった。

結果、ルール無用の、是が非でもと言う、戦いに向かう・・・

日本国も、先の大戦で、町は焼け野原状態・・・0からの出発で無く・・・マイナスからの出発・・・特に、敗戦国として、賠償責任も背負わらせる状態での復興・・・その結果、今は、戦争の傷跡も、史跡を残してるだけで、見えなくなっている。

要は、復興できたと言う事にも成るが・・・・

今回の戦争で、戦いの場は、市街地に成っている。当然、町は崩壊し、インフラも崩壊していると思う。それを復興する。

誰が、その資金を出すのか????・・・・今後の問題に成ると私は、考えている。

自然災害なら・・・誰の責任と言う部分が無い・・・しかし、今回は、人の手で起きた戦争、人災と言ってよい・・・この人災に対して・・・復興資金は誰が出すのか????・・・当然、問題に成ると考えている。

昔なら、勝てば官軍・・・悪行も勝てば表面化しないし、問題が有れば、負けた側に押し付けても、証拠等が見え難いので、押しきれていたが・・・今回の戦争は、世界中に情報が目で見える形で拡散している。勝てば官軍的な方向には成り難いと私は考えている。

要は、100万の物を壊したら・・・100万以上の保証が必要に成る。

人も同じで、戦闘員なら死と言う問題も表面化し難いが・・・・戦闘員以外の市民は、被害者に成るし、当然、賠償と言う形に成ると考えている。

日本国の、これ迄の、この様な保証・・・インフラ・資産をその地に残した状態で・・・国家予算の数倍の賠償も行っている。勿論、賠償と言う表題で無く、建国祝いと言う形でに成る。

賠償なら足らないと言う考えも有ったし・・・植民地として扱っていないと言う事での賠償と言う形を避けたという意味合いも有ったと思うが・・・それが、今でも尾を引いている。

この捉えた・・私の周りの学友にも、色々居る・・・学友同士でのグループ、嫌だが属しないと生きれないと言う恐怖心で、グループに属して居る、その結果、何か不都合が起きると、強制されたと言い出す学友も居る。

私は、私と言う考えの為に、何故、嫌と思うなら属するのか????属して居る前提なら何故、改善方向に努力しないのか???と問うが、それが出来ない環境だから強制されたと捉えている事にも成る。

私は、今の日本国にも問題点は多いと思う・・・その問題点を改善させたいと、己の分で行動しているが・・・結果として改善しない、誰の責任なのか???当然、己の力不足が問題で、その責任は己に有ると考えている。

この責任を感じるから、改善も考えていることに成る。

要は、奴隷の様に、何も考えずに従った結果・・問題が発生、その責任を問われた時に、己には責任は無い、悪いのは私を支配していた側にあると言う、責任逃避から出て来る理屈だと考えている。

今回の戦争の復興作業の責任の一端は、当然、同じ地球に住んでいる。私の有ると考えている。己の分で出来る範囲は行いたいと思っている・・・勿論、三流で劣っている立場、しかし、日本国民としての立場が有る。世界から見た、日本国民、レベルは・・・当然、高い・・その分の責任が有ると言う事にも成る。

又、世界の国での復興・・・日本国内なら円で済む・・・今回の戦争の復興には・・お金も何が必要かに成る。現状では米ドルと言う事に成る。

自国内で、資材等が供給できる状態でも無いと思うので、世界からの購入に成る。

今、私の周りでは、この質問をすると・・・日本国、我々は関係ない・・・悪いのはロシア、その為に、ロシアが全て復興資金を出す、これを当然と言う人が多い・・・

ロシアの国力を考えて、可能なのか????・・・不可能と思う。

以前も書いたが、チンピラ風情から被害を被る・・保証は????・・・当然、資産もお金も無いので、頂けない・・・本人は刑務所に入るだけ・・・チンピラの貴方が悪いと限定されても、何の保証も得る事が出来ないと言う事・・・これに、今回は近い状態だと考えている。

日本国の場合、被害者請求で、国に請求できる部分が有るが・・・世界の場合は・・・国連に請求できるか????

昔から、失くすものが無い立場は、強い・・・怖いものが無いと言われる理由が、国にも当てはまると言う事に成る。

当然、ロシア国民は、加害者意識は無い・・賠償と成れば、被害者意識が出ると思う。第一次世界大戦の敗戦国、ドイツと同じことに成る・・・・

マスコミ等は、何故か、ロシア国民を被害者と限定している様に見える。本当に被害者か、今の大統領を選んだのは、国民である。要は、選んだと言う責任が有る。

仮に例として、ある商品を購入した、商品に問題が有った場合・・製造メーカーの人間が来訪して来て、私個人には問題ない、責任が無いと言われて、納得できるか???何の対処もしないで、製造した張本人に言ってくれと成った、当然、その本人を教えろと成っても、個人情報法の兼ね合いで教える事は出来ません・・これ以上の事を望むなら、弁護士を雇って裁判してください・・この様な対応に成る可能性が有る。現代の流れなら之も間違った対応でない・・・・

若し、この裁判の立場が、国連なら・・・常任理事国のロシア・・・稼働するか???・・・しないと思う・・・無法地帯での争い・・・どう決着するか????不安が有る。

日本国の立場として、復興資金の何割を負担すれば済むのか????・・・国力の衰退、国民も節約を求められる可能性も出て来ている。

先進国と言われる国で、経済大国と言われる、日本国・・・アメリカの次に成る。

中国は????・・・発展途上国の状態・・・・

戦時中の国のリーダー、大統領はこの部分を、考えて、今回の今回での演説に成っている様に見える。

遠い地球の反対側の国から、支援を頂く・・・当然、媚びることに成る。






幸せとは?????

 私は幸せは感謝だと考えているし人の役に立つ事だとも考えている。

人の役に立つ、損と言う考えも有る。損と思えば、当然、感謝の念も出て来ない・・・

西欧的、一神教の価値観だと、感謝される立場が幸せと言う考えも有る。

人の役に立ったので、感謝して貰えると言う価値観に成る・・・・しかし、身近な世界で、親子間での事柄で、親は子の為に背一杯の事をしてあげている。しかし、子は不満を持っているし、今以上を求めるし当然、感謝等の思いは無い・・・・この様な現実、勿論 私だけの場合が有るし、親の施しに対して、全ての子は感謝しているのが、普通かも知れないが・・私が知る限りに範囲では、この様な事は稀な事に成っている。

要は、背一杯の事をさせて頂いていると言う、価値観が必要と言事に私の場合は成った。してやったと、させて貰ったでは、振舞いは同じでも、心・命の捉え方が違ってくる。

私は、幸せは感謝だと思っているから、己の行動で感謝の思いを得る捉え方をしたいと日頃から思っているし、考えている。

私の経験で、近所の老婆・家族を看ていた・・・親族・身内からも無視された人達に成る。

彼らの行動は、西欧的・一神的価値観に、染まっていた・・・結果、お金が有り余裕が有る時は、色んな人に奉仕したと言うより、己を崇めろと言う方向で、お金を散在している。

当然、利を得たいと思う人は、感謝の念等、全くないが、彼らの前では貴方方は神と言うばかりに感謝の思いが有ると見せていた。

しかし、余裕が無くなり、食べるお金も無くなると・・・一気に、取り巻き・近場の身内迄、居なくなるし・・・消え去った。

行政の力を借り、彼らの面倒を看る事に成ったが・・・凄い、我儘・・上げ膳・据え膳が当たり前と思っている人達・・・何度もさじを投げようとも思ったが・・私が、放棄すれば、他には誰も居ない状態・・・結果、死に水を取る迄、面倒を看ていた。

何度が書いているが、最後の面会・・・帰るときに、私に手を合わせて見送られた・・・尾の人が何故と思っていたし・・・不満・要望しか最後は言わない人が、何故と・・・その後亡くなった。

私は、己の心、命が感謝すれば幸せだと考えるようになっている。若し、相手がその施しに対して感謝の念を抱いたら、感謝の相乗効果で・・・幸せが相乗的に増加し、結果、幸福と言う世界を創るとも考えている。

先の老婆の例に挙げれば、面倒を看ていた10年間は、私自身が感謝の思いが有り、幸せだった・・・しかし、最後には、老婆も感謝の思いが出た・・・その時、一瞬でもその環境・空間は、幸福だったと私は考えている。

老婆は、西欧的・一神教的、価値観で、周りに施しを与えていたが・・幸せでも、幸福でも現実では無かったと言う事・・・見せかけの絵に描いた幸せを演じて居ただけで、心は、恨み・妬みが蓄積していた事に成る。

要は、相手が人間だったために、欲をかき過ぎた老婆の考えが、起点に有る。

要は、与えで無く・・・貸した感覚で、倍返しを求めていたと言う事・・・・

又、その様な取り巻きが現実には集まって居た・・・

老婆は、騙されていたことに成るが・・・それを求めていたのも老婆である。

この様な、人々を私は見てきた。

結果、幸せとは????・・・この考え方も変わってきた。

今、私の本業は、商売的に考えれば、損と成るし、辞めた方が常識的だと思う・・・しかし、私を必要としている人も現実には居る・・・人様の役に立てるし、対価としてお金も頂ける・・・幸せを感じ・それ以上に施し迄 頂けている、その一瞬は、幸福だと私は思っているので、続けている。

私は、若い頃、日本国は、生きる為の最低限の環境・施しはして貰える環境が有る。要は、何の為にと言う、部分で、生活・生きる為と言う部分は、排除できると考えている。

己の身の安全が保障されている状態なので、別の次元を目指せると考えている。