私は、差別主義者だと己を思っている。
当然、優先順位が有るし・・・他人に対しても、人夫々対応を変えている。
しかし、最近は、己を差別主義者と、言う人は蔑視されるし、変り者的に扱われる。
差別主義者の私の目から・・・私は平等主義者だと言う様な人に対して、私の目からはどの様に見えているか????・・・・己以外に興味がない・・その為に、他人は全て同じ扱い・・・どの様な扱いか・・・当たり障りのない扱い方をする。
この様に私には見えるし、心情を理解しない・・・現実を見ようとしない・・・この様に見えるし、この様な人が優秀で、人の上に立つ立場に成ったりしている様にさえ見える。
私は差別主義者で厳然と優先順位が有るが、その順位も時と場合で変化する。
端らか見れば、日で違う様に見えていると思うが・・・私は、現実の中で生きているので、現実は日々変化しているし、その変化に対して対応しなければ、淘汰される。
又、私自身も生物の為に、日々変化している。
人に対して、平等を追求すれば、己の力加減でも変わるが・・・何もしない・・全ての人と決めた方が、人に対して平等に扱っていると成る。
何かをすると考えれば、己の力の加減が大きく関係しだす。
私は子沢山の為に、長男に服を買い与えれば、弟達は長男のお古の服で良いと考えるし、私にはそれ以上の力は無い・・・・しかし、子供の目から見れば、当然、不平等を感じていると思う。
私は何度が書いているが、平等に人を扱いたいと昔は考えていた。
しかし、己の子を儲け、子が増えるに従い・・・子供達から、不平等等々言われる事が増え・・・・私は、差別主義者だと最初から、言っていた方が楽だし、如何しても、扱い方が違う現実に子供から言われ、気付かされた。
大事と思っている、我子でも、多く成れば扱い方が違う・・・
不思議に思うのが、居ても居なくてもよい人と思っている人には平等に扱える。
居て貰いたい人や、居て貰いたくない人に対しては、当然、扱い方が変わるし、その優先順位でも変わる。
この様な人間なので、三流だと己で思っている。
平等と言う、意味を履き違えると・・・人は、他人に対して無関心に向かう、その正当性を・・・平等と言う単語で隠す事にも成る。
私は、何度も書くが、大事な人が居ると言う事は、人に優先順位が有ると言う事・・・当然、嫌いな人も居る・・・又、途中に書いている、居ても居なくてもよい人、その他大勢と言う人も居る。
若し、平等と言うなら、己に取って、命より大事な人が、大勢いる全ての人類だと言える人だと私は考えている。
神以上の存在とも思える、
理由は、一神教の世界の神も、人を選んで、選ばれた人が救われると成っている・・・之が意味する事は、差別が有ると言う事・・・
神さえ、人を選び、吟味している・・・神以上の存在と自称している人が世の中には多いと言う事にも成る。
若し、神以上の存在で無く・・・人を全て平等と扱える方法は、己以外に興味を持たない・・・・その他大勢が、死のうが、生きようが、気に成らない人と言う事にも成る。
要は、人に対して、何もしない人と言う事にも成る。
勿論、この様な人が、一流や優秀な人と、言われていないと思うが・・・危険性が有ると言う事に成る。