2017年8月12日土曜日

LSD・・・効き過ぎ????

今日は、孫と、事務所内で、RCで楽しんだ・・・

この様な狭い又、子供が触る、危険性が少ない車と成ると、SAKURA D3 2駆に成る・・

先のブログに、写真を掲載しているが・・・車の最小半径より、狭い・・・この部分で、操作が難しくなる・・・

駐車場内を、前進・バックで切り返しをする操作も必要に成るし・・・フロントが確り効能を出す必要も出て来る・・・

実車のFT86の最小旋回半径の1/10の舵角設定をしている。

今回、一番操作で、気に成る点が・・・リアデフのLSD効果・・・タイヤの能力に合わせて、ボールデフも、セラミックにしているし、プレートも面出しの為に、研磨もして、スムーズに軽くこの部分に注視して組んでいるが・・・

デフロック方向に強過ぎる・・・顕著に出るのがバック・・・舵角が付いていても、車を真っ直ぐに引く方向に成る・・・・

この症状が、前進の場合も出て来る・・・結果、浅い角度の舵角だとプッシュアンダーが強く感じる。

本来、パワーはタイヤの能力に対して十分すぎるし、簡単に滑らせて直ぐに定常円に持ち込めば、旋回可能な場合でも、リアが出ないこの症状が各所に出ている。

特に孫との遊び、スピードを増して、初速を上げる事も出来ない・・・微低速、又路面がフローリング・・この時の車の挙動が、実車と言うより、ドラックマシーンに近い・・・・

RCドリフターが見ておられれば、笑われる挙動だと思う・・・・

タイヤに対して・・・ボールデフのLSD効果が強いという事に成る。

勿論、ボディを搭載していないので、約140gの重さ、タイヤに対しての接地面加重の違いも影響していると思う・・・・

フロントを出来るだけ、止めないステア操作で、フロントは走らせ続けて、RCドリフターがよく言われる、パワーで出す・・・この部分で、デフが可也影響して様だ・・・・

舵角規制をしているが、如何してもフロントが止まる、部分までステアを切り足す癖が私には有る・・・この部分が、実車と違い、RC独特の操作・・・・笑われるかも知れないが、フロントを止めてリアを出す、この操作の癖が強いという事になる。

RCドリフトの世界では、パワーで出す、アクセルでコントロール等・・・ステアに頼らないと言う表現がよく耳に入る・・・・
マダマダ、大パワーをアクセル操作で制御できていないという証拠にも成る・・・・

初心者レベルと言う事にも繋がる・・・

もう少し、低速、部分のトルクを、プロポで減らして練習をしたい。



孫と・・・・

孫を抱いて・・嫁が、事務所前で、車の往来を孫と共に、見ている姿を、事務所内で、眺めている・・・

男とは、この様な環境を守る、為に存在している様な感じがする・・

今日は、地域の納骨堂の、お盆の準備・・昨年度総責任者をしていたので、少しの時間・・・引継ぎで、納骨堂へ・・・・
この部分の書類等も未だ未整備・・・この部分の整理も、何故か、私の使命の様な感じがしている。

結局は、力が無い私でも、背負うと思えば背負えるという事に成る。

優秀な人なら、直ぐに終ると思うが・・・力が無い私は、続ける事しか、事を成す事が出来ない、立場と言う事・・・

先に書いているが・・・・嫁が、わわいもない姿を見ていて・・・・何故か幸せと感じる・・・不思議だと思える。

私には、懐かない、孫だが・・・嫁にはベッタリ、張り付いている・・・之を私にと求めても無理だし、女とは凄いと思う事が多々有る。

各自、持ち場が有る・・・之が解らなければ、嫁の姿に対しに、僻み等々が出て来る。

男とは、今の価値観で考えれば、変っていると思う・・・・我が家でも、美味しいものは基本、私意外が食する・・・それを見ている側に成るし、その残飯を処理する立場が、私の仕事に成っている。

この環境に慣れると、何回か、母屋で家族やその他の友達が、ワイワイ騒いで盛り上がっている・・雰囲気を、事務所で感じる・・・・之を何故か幸せだと感じるように成る。

よく、マゾ的、発想とも言われるが・・・これも必要な時が有ると私は考えている。

この様な環境を守る為に、誰かが必要だし、その部分を担うことが出来る事は幸せと考えた方が良いと思っている・・・

しかし、之が、甘えを生む場合も有る・・・難しいバランスが必要とも最近は考えている。

結局は、私のレベルに応じた家族・・馬鹿が天才を育てる事も基本無い・・・之で良いと思う・・・

しかし、孫には期待と、夢が持てる・・・・孫とRCで遊んだが、言葉がよく口から出る様になって、今まで以上に楽しい・・・・

この様な、環境を守り続けるのが、私の役目、使命になる。

結局、何をしたか、何を残せたか・・・間違っても得る立場でなく、与える立場で居続けたいと考えている。

孫には、勇気を頂く事が出来る、感謝・・・・


後輩が来往・・・

私より、一回り若い・・後輩が事務所に来た・・・・

彼も頑張っている・・・子供も三人もうけて・・・大きな組織の中で、幹部候補生として頑張って居る様だ・・・

立場が、人の感覚で、上と見られる・・・大変と思う・・・

マスコミも、一般も同じで・・・何故か個人の個性を、資質と言う・・・・勿論、私の様に三流の人間は、「あの人の癖や個性が・・・・」となるが・・・・立場を上に見られる人の場合「あの人の資質が・・・・」・・・

基本、人の癖や個性の筈なのに、何故か資質と、前に単語が着くと・・考える、思考回路が否定方向に向う・・・

人の、言葉に対しての、捉え方等々を利用した、扇動・誘導によく使う、単語になる。

民主主義の日本国・・・人を担ぎ出す・・排出する事は、民主の付託を受けた事に成るし、この事が資質が有ると、基本成る。

私の様な、人は担ぎ出す、所までも行かない・・・民衆が求めていない、資質が無いと言う事になる。

資質は有ったが、その人の人に知られない、癖や個性が、見えた・・・之が本来の言葉になる。

私の、地域の国や県・市の議員・代議士・・・人だから当然癖も有るし、個性も有る、女好きや色々、解っている状態で、選んで、その立場に成っている。
昔から、仕事が出来る人は、色を好むと言われている。

代議士の、趣旨は、市会議員なら、市を如何するか、市の発展に努力する、之が趣旨・・・又仕事に成る。

今の、価値観で考えると、この様に立場が上と思える人は、人としての個性や癖が有っては成らない、簡単に書けば、ロボットが良いと成って来ている・・・SF映画の、コンピューターが支配する、方向性を望んでいると言う事にも繋がる。

後輩もこの部分を悩んでいた・・・結局 不も無く・可も無く・・・の方向性を目指す方向に成っている様だ・・・

人を引張る立場が、この様な悩みをする・・・之も現代の、特徴に成っている。

又、彼の個性、之が・・・に成る・・・私はよく知っているので、之は個性と思うし、彼のキャラクターだが・・・それを否定する人が、増えるという事に成る。

結局、民主主義で・・・民衆から選ばれたら・・・その民衆の好みに全て合わせないと、駄目と言われる世界に成る。

之を、逆に考えれば、権力が若しある、方向の人が、人を如何判断しているか、民主と同じと言う事に成る・・・私の好み意外、要らないと成る。

彼に、面白い例を挙げて、話した・・・

最近、電車内の痴漢・・・之が問題に成っている・・・この対策に、女性専用車両等々が出てきたし、増やそうと言う・・・対策に対して、誰も、文句を言わない。

この策は、男女を分けると言う、対策・・・逆に男性専用車両を、発案すれば・・・予想出来る様に、男女差別等々の議論が巻き上がる。

現実に女性専用車両の乗車率は上がっていない・・・・しかし、男性専用車両が出来れば、私の想像だが、乗車オーバーでの運用になると考えている。

男女を分けて、痴漢と言う犯罪を無くす為の、対策・・・・この趣旨には、適っている・・・

しかし、之が許されないのが、現代・・・・何故なのか・・・・

人は対面を大事にする・・・この対面を守る為には、文句等々を言われたくない・・この方向に向う・・・
本来、人に与えられた仕事、之が大事だが、この部分を忘れてしまう。

彼も選ばれた人に成る・・・しかし、この部分が解る価値観の人なら、選ばれない・・・難しいと思うが、彼が使命と感じて、徹して、遂行する・・・之が有るか???・・・逆に今の立場を守る為に、対面の方が大事にするか、何を選ぶかも彼に、考えになる。

結論は、民衆側の価値観に成る・・・この人が選ぶ・・・求める人が、リーダーに成る。

昔なら、神輿に担いだ、リーダー・・・担ぎ手が、汗を流して、一所懸命に持ち上げる方向も有ったが・・・

現代のリーダーは、機関車で、皆を引張って行く、存在に成っている。その機関車が、不も無く・可も無くと、行動していれば、失速するのも当然になる。

又、最近は、その機関車・・引張っている量や、スピードを、評価しない傾向が有る・・・益々、不も無く・可も無くの、行動に成る・・・・評価は、機関車自体の姿、格好よさに成っている。

益々、リーダーの仕事をさせない、民衆が増えている事に繋がる・・・

家庭でも同じとなる・・・リーダーと思われている、父は、この様な立場に成っている。

結局、人としての個性・癖・・・之を認めない世界に成っている。この個性も癖も、基準を求めて、それ以外は、悪だと言っている事に成る。

一旦、固定化して、基準は、狭まる方向に向う・・・・・

彼の健闘を祈る事に成る。




困ったチャン・・

大阪の困ったチャンが、最近よく、連絡を嫁にしてくる・・・・

嫁が、良い部分が・・・この様な立場の人の声を聞くこと・・・・勿論、私が電話を取れば、厳しく叱ったりするが・・・何故か、縁が切れないで、続いている。

子供達の友達も、世間で言えば、困ったチャンに属する、子供達と思う・・・・自分の場所が無く、結局、口煩い、私が居る、我家に集まってきていたし、今も続いている。

現代は、自分の身を飾る為に・・・出きれば、肩書きが有ったり、凄いと言われる人と縁を結びたいと考える人が多い・・・・逆に、手が懸かり、身を落す方向の人とは縁を切りたいと考える人が、多い事にも繋がる。

この部分を、身を持って私は、経験が出来た。私がで無く、父の商売の倒産が、何故か、私の周りにも大きく影響したし、潮が引くように、沢山の人が居なくなった。

結論を書けば、私と個人・人としての部分より、私を取り巻く環境で、人が回りに居たと言う事になる。

この私の環境を人を判断している事にも繋がる。

よく考えると・・・環境が良い場合は、人が要らないと思っても、人が寄ってくる。

この環境が、整っていない人は、来て下さいと努力しても、来ない方向に成るという事に成る。


大阪の困ったチャンも、粉飾し飾りたいという思いは人以上強いが、粉飾を続ける、能力が無い・・・
子供も同じで、粉飾に対して、力不足になる。

この粉飾、誰かに迷惑をかけている。身を飾らないと誰も寄って来ない・・・又、不の部分を知られると同じ事で、誰も寄って来ない・・

之が、今の社会だし、世界の価値観に日本国も近付いて来た。

何故、人は、身を飾っている人に、近付きたいと考えるのか????

逆に何故、人を必要と思っている人に、手を貸そうとしないのか????


この価値観が、固定化され、正しいと成れば、人で当然の病気・老いる・・・之も否定している事に成る。

もう少し広げると、子供を見守る・・・之も面倒と否定している事に成る。

もっと広げると、子供を生む・・・・之もキツイ・大変と否定している事に成る。

「生老病死」を意識していないし、見ようとしていない・・・否定している事にも成る。

現代では否定も出来ないので、本来、人個人が行う部分を、国と言う行政が大きく介入してきている。

この事を、人の退化と考えるか、進化と考えるかは各自の考えで変ると思う・・・・

若し、進化と思えば、良い方向、今以上の国からの保護政策を求めて行く・・・・
逆に、退化と考えれば、本来の人としての部分を、確り教育する事に成る・・・

私の周りでは、大病を患い、嫁と子供達が家から出て行ったという所もある・・・
高齢の親里に戻られ・・・親の年金で暮らしておられたが、母の死の後、周りの協力で、隣町の施設に入所されている。

今の私の年齢と同じ位で・・・これから、子供も一人前と成っておられて、全てが無くなった。
同じ、男として、私なら悔しいと思う・・・・

二日前に学友が来て、話していたが・・財産が多々あった為に、裁判等で、親族間の縁が切れたと言っていた。勿論友人は、悲しそうな目をしていた。

何故、今は、この様に人の繋がりを切る・・・方向に向うのか・・・縁を大事にしない・・・・縁を利用しようとする人は多いが・・・縁が有るから、損も厭わないという人が減り続けている。

結局、人は死ぬ・・・何を残すかと私は考えている・・・私は思い・心を残せれば十分と考えている。

思い・心、之を行動に示せる、勇気が必要に成る・・・・最終的には勇気・・・自分の弱さに立ち向かう勇気だと考えている。

この勇気が、無いので、足掻いている感じが私はします。

三流以下の私が、考える部分でも無いと思うが・・・最近、特に思うようになった。