2022年9月15日木曜日

世の中に居る・・意味が無くなってきた。

 難病になり・・自宅療養中・・・結果、社会との関わりが当然減る・・私は元々が異端児で・・社会に溶け込めないタイプのために・・社会からの疎外感等々には慣れていたが・・・病になってからは、色んな些細な頼まれ事も減った・・・勿論、私の体調を考えての措置だと思うが・・私は必要性が無くなった・・不必要な人間に成ってしまったと最近、考えている。

以前から、危惧していた部分・・・個人主義が良いと言う、社会の風潮・・結果、言葉的には悪いが、私利私欲を求め、追求できる環境が良い環境だという認識に最近は成っている。

逆に、集団主義等という言葉に、拒絶感を感じる筆も増えている。

私は何度も書いているが、共存共栄が理想と考えている。

人と共に生きる、又、人が居るから生きられる・・この様な価値観で生きている。

間違っても仲間・味方というくくりで無い・・・

簡単に書けば、私利私欲が正しい、これが目標という・・人々が集まる・・・当然、利につながると思えば・・・集団かすして、仲間・味方と成る。利は当然、個人主義・己にもたらす利しか考えていないと言うことにも成る。

私は、敵味方論が大嫌いである。理由は、破滅しか生まないからに成る。

今、個人レベルでなく・・世界レベルで・・・国同士が体力勝負の殴り合い続けている。勿論、仲間・見方を募り、倒れない為・勝つために、色々な策を行っている。

国として、自己保身を求め・・頑張ってる・・しかし、その影響が他国にも及ぶ、大国同士の喧嘩だとなおさらになる。

ある国は、国内の物価高騰を抑えるために・・自国通貨の価値のUPを考え、利上げを行う・・・要は、世界から安く品物を買うため、物価を下げるために成る。勿論、弊害も有る。国内の企業等の金策が大変に成る。

しかし、この策で困る、他国も出てくる。要は、金利を上げなければ、破綻するという国も出てくる。

結果、大国が試みた、策も、効果が無いと言うことに成るし、無ければ、今以上に、金利を上げると言う流れに成る。

要は、利己主義で、個人主義、己だけ、助かると言うより、儲かれば良いという価値観に成る。

簡単に書けば、勝つことしか価値観を持たないというタイプと言うことにも成る。どう勝つのか???当然、己だけが儲かれば良いが基本で、少し余裕だ有れば、己の周りも程度に成る。

勿論、私利私欲が基本の価値観、欲深いので、色んな耳さわりの良い言葉で、他に還元できなかったと成る。

私は、己だけの為という、価値観だと、生きれない人間・・・因果なのか・・・大病を患ってからは・・・他との関わりが一気に無くなってきた。

しかし、大病でも・・人との繋がりが出来る、言葉・文章も書ける・・・この部分も無くなれば・・・今以上に、他との関わりを保つことが困難になると思う・・・要は、現状でも幸せと言うことにも成る。

後は、他人様の振舞になる。

当然、その人たちの価値観に大きく左右される。

民生員等も、田舎のために、名誉職・・高齢者の方がされてる。結果、今までは、細々した部分を、私等の若い立場が動いていたし、役所等とも善意の第三者という立場で、強く要求も出来ていた。

しかし、先に書いたように、名誉職と言う捉え方の役職・・当然、争い・もめ事を嫌う・・仮に、喧嘩になるなら、強い立場より、弱い立場と喧嘩した方が、己の肩書きに傷が軽く済む・・等々が有るので、結果として、事が進まない・・・

要は、私が難病指定の病となっていることは、村内の人は殆ど知ってるが・・誰も対応しようとしないことになる。

私が、危惧することが、この間・・・他の人も困っている人が居たなら、誰が手を貸せるか???・・・この部分も後継者を育成できなかった私の責任となる。

役人仕事は、先ずは、申請をする事から始まる。

書類等も有るし、窓口まで、行く必要性が有る。動けるか???・・動けない人が、本当の意味で困っている。

又、その知識が無い・・・

一生懸命に、手を挙げても・・・最終的に気付かなかったと片付けられる立場が多々有ると言うこと・・

理由は、先に書いている大国の話と同じで、力が無いためになる。

弱い立場に手を貸せる、余裕が有る、当然、一流で優秀な人達と思うし、その様な人が多いと言われる、日本国・・・しかし、何故か私の周りには、自己中で私利私欲に長けている、一流や優秀な人が多い・・・

要は、弱い立場から搾取する立場が、偉いと言う、価値観が蔓延していることになる。

結果、自由を求め、己の思うようになるこれを幸せ、幸福と捉えているなら・・・私利私欲も、耳さわりの良い、当たり前・誰しも思っていることと捉えていることになる。

この様な価値観が蔓延した、世界・・・世界が泥船に乗っている状態・・・沈む順序を競っている状態・・・最終的には、破滅と言うことは変わらない。

隣に居る人と、何故、共々に生きる・・・その人が劣って、手が貸す程度で済まない、結果、背負って行くしか無くても、それを宿命と捉え・・背負い前に進み出せば、宿命も使命と成る。

利を貪る人生ほど、空しく、不幸なことは無いと思うし、悲惨という環境を創りだしていく危険性が有る。

他から見て、不幸に見えるが使命感を感じ、邁進している方が、幸福な人生だと私は考えています。

要は、宿命の捉え方・・・私は宿題と考えている。

当然、宿題の捉え方も各自で違う・・・嫌だと思う人、己の為になると思う人・・色々ある。

何度の書くが、物事の捉え方が、大事に・・・人と同じ捉え方は、考える必要も無いし、人様の声を聞けば済む・・・問題は、己自身の捉え方になる。出来れば、己の為に成るように捉えた方が良いし、それが社会に貢献できるなら、なおさら良いと成る。