2021年2月3日水曜日

客観的な目・・・他人様の目・・大事だと思う。

 嫁が、精神障害・介護のお手伝いの仕事を始めた。

私の父も、この病が有り・・・協調性に劣る・・・実子の私でも対応が出来なかったが、嫁は対応が出来た。

又、近状の困ったチャン・・最終的に私が面倒を看る事に成ったが・・・・精神科に診療させ・・高齢の医院長から言われた事が・・・何故、近所・地域社会が、この人に関わっていないのか???・・・親は、我子は正常と思いたいと言う思いが強い・・・・周りに居る他人の客観的目が、この様な人の場合、速めの処置が出来たが・・・・50歳に成るまで、放置していた。結果、その親も高齢・・当然、野放し状態に成る・・・この時点で、地域の人々が困り出す・・・要は、地域の怠慢だと言われた事を、今でも思い出す。

本来、地域以前に、昔は親族・一族と言う、目が有った。しかし、この部分も核家族化に従い、気薄くなっている。

当然、近くに居ない・・・問題等も見え難いし、問題が発生しても、我関せずと振舞える。

要は、家督制度が崩壊・・・・結果的に、住んで居る、地域社会の問題と最終的に成る。

保護者が、確りしている時は、嫁が務めている、施設等に、依頼が出来る。

しかし、嫁の話だと、普通と言われる人・優秀な人は、この様なタイプの対応力が無いと感じている。

要は、普通と思っている人が普通の言動をしても、怒り出す・興奮しだす、人達を看ていると言う事・・・直ぐに限界と成れば、施設は受け入れないと成れば、当然、家庭に戻ることに成る。家庭に確りした保護者が居る間は、問題が地域に広がらない。

当然、保護者も高齢化に向かうし、最終的に死ぬと言う事にも成る。

昔は、病院が受け入れていた。しかし、三ヶ月と言う縛りが、今は有るので・・・預け続ける事は不可能・・・・


結果、地域社会がどう処理するかに成る。

昔から、子は社会が育てると言われていた・・・之が現代は、無くなり、個に向っている。

要は、親が、第三者的な目で、我子を見れるかが問われている。

昔は、他人の子も、叱り飛ばしていた・・・私の場合、叩かれたり、棒で撃たれたり、釜を持って追われたりもした。

要は、地域社会の中で、分を越えた振舞いをすると、多々の人様が、それを指摘していたと言う事にも成る。要は、社会人として人を、地域が育てていたとも言える。

今の子は、一個を分ける・・・意味が解らないと成る・・・昔は、多くの子に対して、隣のオバサンが、それ以下の数の、ミカンをくれたりもしていた。結果、分けると言う意識が自然に出て来るし・・・一個も割れると言う事も普通と言う事だった。

要は、切る・割る・・この様な事も可能だし、その為には、道具を使えなければ成らないと言う流れに成る。

その様な子供の振舞いを、通目で看ていた、地域の人が居たし、問題を感じた場合、社会人とする為に、地域も協力していた。

要は、子供で対応を変えていた・・配慮と捉えるか???差別と捉えるか????・・・之を差別と捉える流れに成ったので・・・結果的に、社会的には悪い個性を、修正する事が、地域社会では無理に成る。

私は、差別主義者と自称しているので・・・この個性で、対応を買える・・・悪ガキと感じたら、その様な対応を取る。

しかし、地域が子育てを放棄した状態・・・・親だけで、子育てが出来るか???・・・私は疑問が有るし・・・何度が書いているが、自転車等の壊れた、調子が悪いと、私が他人様の子の面倒を看ている。

父親は???と尋ねると、居ないと言う子も居る。タイヤに空気がぬけている、空気入れは???と尋ねると、その物自体の存在も知らない子が多い。

親として、自転車に空気を入れた経験が無いと言う人も出て来ている。

要は、地域の人々から教わっていない、見せられていないと言う事・・・・

之を望んだのも、人間と成る。

結果、子育てが楽で、楽しい事なのか???・・・最終的に、損なのか???得なのか???

当然、損と捉えたなら、少子化は加速しかない。

子は、地域の宝だし・・・社会の宝・・・当然、日本の宝と私は考えている。

この数、個性が違う・・それを平等に接する、私は不可能と考えている。

昔は、駄菓子屋のオバちゃんが、子の環境で、対応を変えていた。

お菓子はタダで貰ったり・・・お金が無い家庭に対しての配慮等が有った。

結果、地域に対して、恩を一杯、感じて育った・・・勿論、お金持ち等の子は感じなかったと思う。結果、私は、地域が大事だと思うし、恩返しが当然と考えている。

私は、恩義理が大事だと考えている。

恩には恩で返す・・・義理には義理で返す。

勿論、子供は力が無い・・・力が少しでも付いたら、恩を返す事を最初に考える。

しかし、之も書いているが、仮に自転車を修理する。当然、親と顔を合わす事が有るが、その事を、親は知らない・・・子に聴くと、人様に迷惑をかけない事を親が求めているので、言わないと言う・・・・迷惑と、恩とを同次元で考えている事にも成る。

恩を頂いと、迷惑とかけた、違いが有る。

私は迷惑とは感じていない・・・可愛そうと思うし、出来る部分で行っているだけに成る。それを、迷惑と感じたと捉える、方向に、最近の子は成っている。

本来は、恩を頂いと、感謝と思うのが普通だし、先に書いた頂いた恩を、何時か返す、この思いが成長に繋がると私は考えている。

私は、一杯の恩を頂いて、今が有る。当然、恩を返そうと思うが、その人、自体は存在しない・・それなら、後継の者に恩を繋げるしかない。

今後ますます・・・負の部分は隠され続ける・・・表面化した時は、大事と成る。

得した、儲けた、この部分だけに、日が当たり・・・それを、人が望み、当然と思う方向に成れた。世は末だと言う事にも成る。

私は、差別主義者に成るとも思う。恩を頂いた、その人は覚えている。多くの人と縁してきたが、私自身の中で、区別しているし、違いが有る。

結果、対応も変わる・・・・これも許されない世界なら・・・私は差別主義者と罵られても、良いと考えている。

物事の捉え方も、各自で違うし・・多々有って良いと思う。しかし、何故か一極に向い、それが正しいと言う後書き迄、出て来る。

結果、正しい事に対して、相反する事を言う、異端児と成る。

私は、多くの子とも関係してきた。同じ方向性の子と思うと、当然、指摘するが、私位しか居ない様だ・・・結果、予想通りの方向に成り、刑務所等に入所する事に成る。

有る物は、その上を行く、策士・・・大物と言われる、立場に成るが、叩けばホコリが多々出る生き方、知らない人の前だと大物ぶるが・・・・知っている人の前では、ビクビクしている生き方に成る。

要は、ビクビクする人が多いから、虚勢を張り、優雅さを見せる方向に走る。

最終的は、人は、死ぬ・・・この時に何を思うかに成る。