大樹を例に、書いてきたが・・・
大樹に寄生する生き方しか無いと言う、世界に常態化すれば・・・之普通に成るし、自分の意志で無く・・・強制された、又は強制される世界と成る。
勿論、よい時は、己の力と勘違いしているが・・・悪くなると、寄生している大樹に責任を押し付ける方向にも向かうのが必然と成る。
仮に、周りの風潮や扇動で・・無意識にその世界に足を踏み入れ・・良い時は良いが、悪くなると・・・先の様な考え方をする人が増えているのが、現代の日本国に成る。
本来、風潮や扇動を信じた己が一番悪い・・・この部分が無くなる方向に成る。その理由付けに、周りが悪かった、どう仕様も無かった~強制へと成る。
又・・大樹に寄生するだけで・・・大樹に対して何の大使も抱いていない・・・旨味を吸い尽くす之しか思っていない、寄生虫だらけなら・・・当然、大樹と言えども枯れる・・・
この部分を、大陸の歴史を見て来た、日本国民は、知っている筈である。
勿論、大樹側も、策を考える・・・寄生虫から旨味を吸い取るシステムを・・・
之が行き過ぎた、時代も大陸を等して、日本国民は知っている筈である。
本来、人間として自立すると言う事は・・・一本の木になる事だと思う。幼い頃は当然、寄生虫として生きる・・・親と言う木に守られて・・・その後は、独り立ちして一本の木に成る事を目指すべきである。
しかし、現実は、社会と言う、大きな大樹の森林が有る。
どの大樹の下に入り、根ざすかに成る・・・勿論、寄生虫で無く、一本の木としてに成る。
しかし、木の立場だと、大樹の影響が良い部分と悪い部分と出る。
光合成を必要とするが大樹の陰で、得り難い・・・しかし、強風や自然の驚異にしては守られる。
之を普通と考える事が出来るか・・・目の前には旨味を吸って、自慢している、寄生虫が居る状態でに成る。
昔は、日本国には戒めが有った・・・しかし、その部分が無くなりつつある・・・自慢で居る事が、多いほど、優秀や一流と言う流れに向かっている。
しかし、本来は・・・森が大樹であると言う部分を忘れている事に成る。
各々の木が、共存して大きな森を形成する・・又栄える・・共栄に成る。
日本人は、この価値観が判る筈・・・木として生きる意味・・・しかし、寄生虫として生きる、情報を多く教えている方向に私は感じる。
2019年11月3日日曜日
自己主張・自己啓発・・・
自己と言う・・単語が有る。
自ら「みずから」と己「おのれ」を足した単語だが・・・
この意味を考えると、非常に難しし・・・・当然、三流の私から、難しいと成ると思うが・・・感がると頭が痛くなる・・・奥が深すぎて、哲学方向に向かう・・・
理由は、自己とは各自で違い・・・余にも沢山あるからに成る。
自ら、己の主張をする。自己主張に成るが・・・・何を主張するかも各自の価値観で違う・・・
先のブログにも書いているが、仮に夢と言う題材でも・・・・我欲を夢と捉える人も居るし、大志を持ちそれに向かう事を夢と言う人も居る。
私の孫・・・保育園児に自己主張させれば・・・略、我欲しか言わない・・・欲い物が変わるだけで・・・本性は同じという事・・・
しかし、聞く側は、急に金額が安くなった、こちら側を配慮する能力が出来たかと勘違いを起す事も有る。
若し、自己主張が大事・自己啓発が大事・・・之を、孫の価値観で捉えれば、我欲の主張が容認された・・・我欲を持って、吟味して、今一、欲しい物を探す方向性を身に付けると成る。
モンスターベービーを創り出す事に成る。
絶対に手に入れる・・・この考えで・・・仮に他人に依存型・・子供に成るが・・・色々な策を考える事に成る。
私も孫と買い物に行くと、珍しく・・小さなお菓子を手に取った・・・之だけで良いかと尋ねると、よいと言う・・・可愛そうに思い、モット、大きい物をと口から出した瞬間、おもちゃ売り場に向かう・・・孫の策に、ハマった事に成る。
爺・婆は孫には甘い・・・・要は、過保護に育てる事に成るし、之に味を占めた、子供が大人に成ったら・・・怖い世の中に向かう事に成る。
昔は、子供が我欲を主張・・・我家でも、地域でも、この振舞いをすれば・・・大人たちから叱られていたし・・・棒を持って、追われていた。
この様な経験が有るので・・・自己の中には我欲も含まれるが・・それを出来るだけ無くした主張が、自己主張と考える様になった。
勿論、余りにも周りを気にして、奇麗ごとだけの主張なら、意味が無い・・・この部分も経験から来る、バランス感覚に成る。
この経験が、若し、偏っていると・・・先に書いた、モンスターベービが大人となって、生きていると言う世界に成る。
この様なタイプは、我欲主張・又は我欲啓発・・・と成る。この我欲を隠すために、周りは普通は等々の単語を多く使いだす。
子供が駄々を捏ねる時と同じ、友達皆が持っている・・之を持つ事が普通だし・持たない事は非常識等々を、言いう・・・こんな、大人を増やす事にも成る。
自分の我欲を叶える、之が幸せだし・・・幸福につながる道だと印字ているし・・・その為には、耳障りの良い、言動で・・・誘導・得る方向に成る・・・勿論、汗を流し、努力した結果と違い・・・他から施しを願っている事に成る。
施しを受けやすい、ポジションを狙う事成るし・・・それがレベルが高いポジションと思っている。
レベル差を大きく感じ入る世間と言う事にも成る。恨み・妬みが増大する社会とも言える。
要は、汗を流さず・・対価を得る・・之が幸せと思っていると・・・「隣の芝はよく見える」諺の様な価値観に成る。
日頃、保守管理等々の、下働きをしていると・・・奇麗に保つ努力も解るから・・単純に良いとは感じない・・・逆に大変だな~~~と成る。
この部分も、各自の価値観に成る・・・・勿論、経験が一番、身になる事に成る。
現代の日本国は、大陸系の一神教的、価値観が蔓延してきていると私は危惧すると書き続けている。
多神教文化の日本・・・色んな神が居ると成るはず。下働きの神も居る事に成る。
要は、色んな価値観が有るから、社会が潤滑に動くと言う事に成る。
しかし、唯物的に得る事が、目的と言う価値観に染まれば・・・当然、一神教的世界に向かう・・・大きな大樹が一本と言う世界に成る・・・その陰で寄生虫として生きる人間の姿に成る。
しかし、人間の為に虫と違い、頭が良過ぎる・・・遠くに有る大樹が良く見えたりもする。
又・・今寄生している大樹が、隣の大樹からの圧力で、借れそうになると解れば・・・中には、隣の大樹の抹殺を願う方向にも成る。
一神教の怖さは・・・規制している大樹が・・・世界に一本しか認めていない部分・・・他に木が育つことが、寄生する大樹の危機に繋がると考えている。
又、何故、この方向に進むのか????・・・・寄生虫の立場なら・・・当然、寄生する大樹が、美味しいか???・・・永遠性があるか???・・・等々の、損得勘定で考える。結果、信仰もこの様な、損得勘定で改宗する人も居ると言う事に成るし、この傾向性が強いか弱いかが、その集団の特性と成る。
その為に、誰しも解ると覆うが、単純な己の損得勘定だけの価値観の人は、簡単に改宗が出来る事に成るし、又、それをネタにいた布教活動等も有ると言う事に成る。
本来、国と言う存在も、大樹的な部分が有るし、その様に考えている人も多い・・・
この大樹の集合体が・・・世界の国々に成る・・・・勿論、大樹も色々ある。
又、国の中にも色々な、大樹が有る。それが集まり、森と成る・・・しかし、森を認めないと言う、流れも有る。当然、世界も同じで、大樹の森を認めない流れも有る。
この流れが、一神教的価値観に成る。
日本国は、今、紅葉の季節である・・・森を見て、奇麗だと思える環境を持っている。
色んな、木々が、各々に紅葉する、勿論、針葉樹は紅葉はしないが・・そのバランスが奇麗に思える、瞬間がこの季節である。
各々の立場や力で、一所懸命に行きくぬ、結果が、森としての紅葉を創っている。
人間が作為的に、計画したもので無い・・・敵対していても融和が有ると言う事・・・
自然豊かな国・・・四季が有り・・・自然の猛威も常時感じる国が、日本国に成る。
形あるものは、何時か無くなる・・・之も経験で判っている。
しかし、殺伐した環境の世界も有る・・・その世界で、この方向がユートピアと手を上げると、信じる人も多々いる事に成る。
私は、日本人として生まれた事より、自然豊か、良しにせよ・悪しにせよ・・この地に生まれた事に、感謝している。
簡単に書けば、土地に感謝している事に成る。
自ら「みずから」と己「おのれ」を足した単語だが・・・
この意味を考えると、非常に難しし・・・・当然、三流の私から、難しいと成ると思うが・・・感がると頭が痛くなる・・・奥が深すぎて、哲学方向に向かう・・・
理由は、自己とは各自で違い・・・余にも沢山あるからに成る。
自ら、己の主張をする。自己主張に成るが・・・・何を主張するかも各自の価値観で違う・・・
先のブログにも書いているが、仮に夢と言う題材でも・・・・我欲を夢と捉える人も居るし、大志を持ちそれに向かう事を夢と言う人も居る。
私の孫・・・保育園児に自己主張させれば・・・略、我欲しか言わない・・・欲い物が変わるだけで・・・本性は同じという事・・・
しかし、聞く側は、急に金額が安くなった、こちら側を配慮する能力が出来たかと勘違いを起す事も有る。
若し、自己主張が大事・自己啓発が大事・・・之を、孫の価値観で捉えれば、我欲の主張が容認された・・・我欲を持って、吟味して、今一、欲しい物を探す方向性を身に付けると成る。
モンスターベービーを創り出す事に成る。
絶対に手に入れる・・・この考えで・・・仮に他人に依存型・・子供に成るが・・・色々な策を考える事に成る。
私も孫と買い物に行くと、珍しく・・小さなお菓子を手に取った・・・之だけで良いかと尋ねると、よいと言う・・・可愛そうに思い、モット、大きい物をと口から出した瞬間、おもちゃ売り場に向かう・・・孫の策に、ハマった事に成る。
爺・婆は孫には甘い・・・・要は、過保護に育てる事に成るし、之に味を占めた、子供が大人に成ったら・・・怖い世の中に向かう事に成る。
昔は、子供が我欲を主張・・・我家でも、地域でも、この振舞いをすれば・・・大人たちから叱られていたし・・・棒を持って、追われていた。
この様な経験が有るので・・・自己の中には我欲も含まれるが・・それを出来るだけ無くした主張が、自己主張と考える様になった。
勿論、余りにも周りを気にして、奇麗ごとだけの主張なら、意味が無い・・・この部分も経験から来る、バランス感覚に成る。
この経験が、若し、偏っていると・・・先に書いた、モンスターベービが大人となって、生きていると言う世界に成る。
この様なタイプは、我欲主張・又は我欲啓発・・・と成る。この我欲を隠すために、周りは普通は等々の単語を多く使いだす。
子供が駄々を捏ねる時と同じ、友達皆が持っている・・之を持つ事が普通だし・持たない事は非常識等々を、言いう・・・こんな、大人を増やす事にも成る。
自分の我欲を叶える、之が幸せだし・・・幸福につながる道だと印字ているし・・・その為には、耳障りの良い、言動で・・・誘導・得る方向に成る・・・勿論、汗を流し、努力した結果と違い・・・他から施しを願っている事に成る。
施しを受けやすい、ポジションを狙う事成るし・・・それがレベルが高いポジションと思っている。
レベル差を大きく感じ入る世間と言う事にも成る。恨み・妬みが増大する社会とも言える。
要は、汗を流さず・・対価を得る・・之が幸せと思っていると・・・「隣の芝はよく見える」諺の様な価値観に成る。
日頃、保守管理等々の、下働きをしていると・・・奇麗に保つ努力も解るから・・単純に良いとは感じない・・・逆に大変だな~~~と成る。
この部分も、各自の価値観に成る・・・・勿論、経験が一番、身になる事に成る。
現代の日本国は、大陸系の一神教的、価値観が蔓延してきていると私は危惧すると書き続けている。
多神教文化の日本・・・色んな神が居ると成るはず。下働きの神も居る事に成る。
要は、色んな価値観が有るから、社会が潤滑に動くと言う事に成る。
しかし、唯物的に得る事が、目的と言う価値観に染まれば・・・当然、一神教的世界に向かう・・・大きな大樹が一本と言う世界に成る・・・その陰で寄生虫として生きる人間の姿に成る。
しかし、人間の為に虫と違い、頭が良過ぎる・・・遠くに有る大樹が良く見えたりもする。
又・・今寄生している大樹が、隣の大樹からの圧力で、借れそうになると解れば・・・中には、隣の大樹の抹殺を願う方向にも成る。
一神教の怖さは・・・規制している大樹が・・・世界に一本しか認めていない部分・・・他に木が育つことが、寄生する大樹の危機に繋がると考えている。
又、何故、この方向に進むのか????・・・・寄生虫の立場なら・・・当然、寄生する大樹が、美味しいか???・・・永遠性があるか???・・・等々の、損得勘定で考える。結果、信仰もこの様な、損得勘定で改宗する人も居ると言う事に成るし、この傾向性が強いか弱いかが、その集団の特性と成る。
その為に、誰しも解ると覆うが、単純な己の損得勘定だけの価値観の人は、簡単に改宗が出来る事に成るし、又、それをネタにいた布教活動等も有ると言う事に成る。
本来、国と言う存在も、大樹的な部分が有るし、その様に考えている人も多い・・・
この大樹の集合体が・・・世界の国々に成る・・・・勿論、大樹も色々ある。
又、国の中にも色々な、大樹が有る。それが集まり、森と成る・・・しかし、森を認めないと言う、流れも有る。当然、世界も同じで、大樹の森を認めない流れも有る。
この流れが、一神教的価値観に成る。
日本国は、今、紅葉の季節である・・・森を見て、奇麗だと思える環境を持っている。
色んな、木々が、各々に紅葉する、勿論、針葉樹は紅葉はしないが・・そのバランスが奇麗に思える、瞬間がこの季節である。
各々の立場や力で、一所懸命に行きくぬ、結果が、森としての紅葉を創っている。
人間が作為的に、計画したもので無い・・・敵対していても融和が有ると言う事・・・
自然豊かな国・・・四季が有り・・・自然の猛威も常時感じる国が、日本国に成る。
形あるものは、何時か無くなる・・・之も経験で判っている。
しかし、殺伐した環境の世界も有る・・・その世界で、この方向がユートピアと手を上げると、信じる人も多々いる事に成る。
私は、日本人として生まれた事より、自然豊か、良しにせよ・悪しにせよ・・この地に生まれた事に、感謝している。
簡単に書けば、土地に感謝している事に成る。
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