今日は、嫁は夜勤明けで午前中に帰ってくる。
四男・五男は、公休日・・・・・
結果、今朝はユックリと、日頃の身支度をしている。
己の体だけなら、楽だが・・・・その他の方が私の場合多い・・・
今朝も、何時もの事だが、飼い犬のリンを外に出し、彼女の身支度・・・その後は、駐車場へ、水まき・・・・午後は、庭の水まき等が有る。
今日も、長男が出社前と、昼休みに来訪すると思うので、その為の準備も必要に成る。
まだ、まだ、世話を擦る側に私が居られる、これも感謝に繋がる部分になる。勿論、息子達も我家を心配しているので、来訪して来ていると思う・・・・・特に、嫁の体調が悪いと、その傾向が強く出る。
「俺の番」が来ることを解っている、だけでも有り難いと思っている。
「我関せず」これが現代の風潮のように私は感じる。私は好きで無いし、当然、好みで無い・・・・
何度も書くように「生老病死」を避ける事は出来ない・・・しかし、出来るだけ避けたいと言う思いが、人間には強い、これと同じ事で、責務から逃げたいと言う思いも、人間だから有ると思う。
しかし、全てが必ず我身に起きる・・・これを解り、覚悟が有るか???
これが、私は教育だと思っています。逃げ通せる訳がないが、何故か、逃げ続けようとする。この哀れさ・・・何故、気付かないのか????
広く、高い視野で物事を見るなら、見えているはず・・・今は逃げれているがその先は、崖で落ちるしか無い事を・・・・・
今は健康でも将来は解らない、当然、老いるし、病にも患う・・最後は死ぬ・・・この流れを止めることは出来ない。
責務も同じで有る。逃げ仰せたら・・・負が蓄積していく社会に成る。未来に時間は流れ続ける・・・負が蓄積し続ける・・・
仮に、今世は負を残し死んだら、何処に生まれるか????・・同じ、人間として生まれるなら、未来のこの世になる。当然、多くの負が蓄積された世界・・・・この世界で生きる事に成る。
この道理を何故、人は頭から消し去るのか????私は不思議で成らない・・・・・耳の痛い話になるが、私は話し続けている。
当然、息子達にも、全て順送り・・・俺の番に成った時に、どんなバトン・責務を渡されるのか?????・・・当然、怖い・・だから、バトンを受け取る前から、この世、全体という、広い視野で事を見ようとする、努力が必要に成る。
以前、書いているが、遺産の相続・・・お金だと思っているし、当然、利だと思っている人が多い・・・・遺産・利も負も含めて遺産と言う・・・・通帳に有る、三千万のお金が欲しくて、遺産を相続した、結果、金融機関に覗った際・・・支店長から、この位の融資をしていたので、その返済計画をと言われる・・負債額、一億、時々有る話で有る。
バトンを受け取るという事は、遺産相続と同じ・・・私側も後の人を考えて、バトンを託さなければ、受け取って騙されたとなる。
その様にならないためにも、私は、己の事に対しては正直に、表そうと思っています。飾っても意味が無い・・・・
三流で劣っている、己と見せて、どう、後継者が覚悟を決めるか???当然、負が多く見えていると思う。それでも「俺の番」が来ると、覚悟が有るだけでも良い後継者を持っているし幸せだと思っています。