2023年2月20日月曜日

文化・風習を・・・・後生の人の考え・・・

 昨日は、父の一周忌の法事を行う事が出来・・・感謝している。

ブログにも書いているが、供養は何時でも何処でも出来る。要は故人を思い出し、その恩に対しての感謝の思いを伝える事・・・

しかし、日々の忙しさでツイツイ忘れてしまう。その為に、ケジメとしての日を決めているという事に成る。仏教の創始者、釈尊は死と言う現象は必然という事、この当然の事をどう過ごすか???・・・残った者の考え捉え方になると言う事になる。

私は、父との関係性が有る、人がどの程度居るかは解らない、しかし、関係が有る人には、父の死を知ってもらいたいし、何か言動が有れば、それを受け入れる場が必要だと思っていたので、葬儀を行った。

当然、法事等も、解る範囲は行ってきたつもりで有る。

勿論、昔の、風習・私は文化だと捉えているが、現代の価値観が正しく昔は間違っていたという風潮が最近耳に付く・・・

私は、過去が間違っていた等々思わないか・・・その証拠に、何時の時が幸せだったかと己に問うと、過去・幼い頃が幸せ感を多く感じていた。

過去の方が幸せだったと、私は感じているが、社会の風潮は過去は間違っていたという流れのために、幸せ感も、思い違い・勘違いなのか???とも思うが、厳然と肌でも覚えている暖かい幸せ感が今も覚えているし、残っている。

勿論、過去の姿・・・今の人の環境と比べると、雲泥の差になるし、何度が書いているが、冬だと、雪が隙間から部屋に降っていた状態の環境で過ごしていた。当然、寒いし、シモヤケが手足、耳、体から離れている部分に出来るのが、当たり前の時代・・・最近は、温暖化が進み、堀が凍ることも無いが、昔は、ツララも伸びていたし・・その寒さの中で、靴下もはかず学校に登校していた。

木造の校舎、隙間風が吹く・・当然、暖冷房等、有るわけが無い・・・

子供は風の子と言われ、薄着で過ごしていた・・・現代なら虐待と言われる可能性が有る。

しかし、この環境だったが、何故か、幸福感が今より高かった。

だから、その時代の風習・文化を私は否定したくない。

幸せと感じたときの環境・・・此を求めるのも私は大事だと考えている。

楽に暮らせる・欲しいものが得れる、此が幸せだとは私は思っていない。

下等な動物の考えなのか、他と比べての優位性で自己満足・・・此では幸福な社会は創ることが出来ない。理由は、多くの負け組を創り出す価値観に成る。

今回の法事で、収支で10万円ほどのお金を使った。この分を損と捉えるか・・徳と捉えて、良かったと思えるかの違いになる。

釈尊が生きた時代と、殆ど変わっていない、人々の価値観・・・

王族の地位を捨て・・・乞食行を行われ・・・結果、仏と言われる、ブッタ・釈迦・・・・

私は、乞食以下・鬼畜の命で生まれた、人間以下の人間だが、何を求めるかに成る。

本性は、当然、人を食らい、人の富を我が富みに変換し楽に謳歌したいと思っている。この状態では、幸福で無いし、人でも無い・・・

最低でも人として死にたいので、己の屏風は程々に広げて生きる事に成る。

嫁の里の母が、義兄の送迎で、列席してくれた・・・感謝だし、嫁は、兄の嫁に少しは解って頂きたいと願って、母を誘っている。

嫁の父の法事等々、最近の流れで、行わないと言う流れに成る。兄が強く言えるなら良いが言えないから、母が可哀想と嫁は言っている。

最近は、法事を行わない、風潮に流れている。又、費用的にお金を出す方向で無い為に、今のお金本位主義の価値観なら、直ぐに蔓延する。

私の妹の、夫も、何も無く、終わっている。当然、私は許せないので、妹の夫の里に、伺い頭を下げ、お墓を訪ねて、手を合わせることが出来たが・・・家でも供養したいと、慰霊に成ると思える、彼が初めての娘の誕生日に写真付きでオルゴールを作っていた。それを頂いたので、我家の仏壇に供養している。

彼との思いを形で残したいと私は思っている。彼が居なければ、我家は父の倒産で、競売で人手になっていた。それを彼が、落としてくれた、当然、その支払いは我家で行ったが・・・恩人でも有る。

それを、我子の息子達にも覚えていて欲しいので、オルゴールの裏に、その記実書いてる。

彼亡き後・・・実家の豪邸・・名家だったが、跡取りが不在という事で、更地になっている。当然、大きな墓は、外に出た親族の方が面倒を看ておられるようだ・・・・本来、妹やその子が、墓守をするべきで有るが、それを、何度も話したが、理解できないでいる。

守るし死闘連続・・・・・破滅は楽の一瞬・・・