2020年12月19日土曜日

予想通り・・・嫁が・・・

 仕事車が壊れ、修理に最低でも明日の晩までかかるとの事で・・・

嫁は息子達を当てにしていた・・・四男からの電話で、当然、彼の妻をボロ糞に罵り出した。

女とは怖いと何時も思う。

敵・味方と直ぐに分類したがる・・・・敵なら、敵を見かたにする等々は意識の隅にも無い・・・敵は、単純に潰す・・・この方向に成る。

四男の妻を潰す、要は、四男に迷惑を与える事に成る。

嫁曰く、大事な大事な子供達の足を引っぱる事に成る。

四男の洗濯物も、当然の様に我家で行っている・・・天候が悪く、コインランドリーに行くのも、近所に出来たが、家族が多いので、自転車で数回、行き来する事に成る。

この様な作業をしている、当然、四男は解ってるから、その為の努力をしたが、それを若妻が認めきれなかったと言うだけの事なのに・・・・嫁は、己がきつい思いをしているからという理由に鬼の様な思いに成っている。

どれだけ愛情を注ぎ、当然、お金に成る・・・それを私はして来たと言う思いが強い、当然、私は何もしない、愛情が無い人間と言うが・・・そのお金は誰が稼いだのか???と何時も、疑問を持つのも私に成る。

当然、それを口にすれば、大変な事に成るので・・・なだめる事しか出来ない立場が私に成る。

嫁は、愛情が無いから、第三者の様に冷静で居られると私は言う・・・私もそうだと思うが、愛情が有るか、無いかは別問題だと考えている。

平常でない事柄が発生する場合が有る・・・その都度、感情的に振舞い・・・パニック的な衝動を起こせば、収拾が付かない方向に成ると私は思うし、その為に、この様な時こそ、冷静で有るべきだと考えるが・・・些細なん事でパニック、之が有以上と言う論法には付いて行けない。

先のブログにも書いて居る様に、昔と比べ、移動する手段が多々有るのが現代・・・己の足も、現状で使える・・・自転車もバイクも有る。

近所には車を数台持っておられるところも多い・・・本当の緊急事態に成れば、当然、それも利用できる立場、環境に居ると言う事に何故、感謝出来ないのか????

当然、今回は、些細な事・・・歩いて2分ほどの距離を歩くか???車で行くかの違い・・・スーパーも有り、郵便局も有り、コインランドリーも有る。恵まれていると思う。

何度もブログに書くが、捉え方に成る・・・私は当初から、勝つ必要は無い、又、勝つ為のブログでも無いと書いてきた。

要は、絶対に負けない・・その為のブログだと続けて来た。

理由は、些細な事で、家族を失い、崩壊させる人が、私の周りで増えている為に成る。

勿論、当事者に取っては重大の事なのかもしれないが・・・それも捉え方に成る。

明石家さんま氏が・・・生きて居るだけで丸儲け・・大事な考え方と私も思っている。

さんま氏は、私の記憶だと、御巣鷹山に落ちた日航ジャンボ機・・その飛行機に搭乗予定だった・・・しかし、何かの理由で登場しなかった・・・この些細な問題の発生で、命を落とす事無く、生き延びられたと、彼が捉えたから、この様な、生きて居るだけで丸儲けと言う、思いに当たっと私は記憶している。

今、自由人として活躍されていると私は見ている。しかし、縁した人達を、全て面倒看たいと言う思いが強いようにも見える。

色んな人のお陰で今が有ると言う、感謝に対しての振舞いだと私は考えている。


私も同じだと思う・・・現代、恵まれた環境に成っている・・・昔から見れば夢の様な世界に成る。要は現状を夢と思えば、腹も立たない・・・幼い頃、夢見ていた世界が現代、目を覚ませば、当然、昔の現実が有る。

しかし、之を認めきれない嫁が居ると言う事・・・・何も無かった、内湯・・我家に風呂も無い之が当然だった。電話も無い・・・車も無い・・移動の手段は、田舎の為に、自転車・・・自転車で、この地を中心に30㎞等は、普通の距離・・・一時間強で到達できる・・・勿論、汗を流すか???流さないかが大きな違いに成るが・・・

我行政区も、私が幼い頃、電話が有る家が、我家を含め4件・・後は農協が行っていた有線放送と言う物・・・私は小学校の頃、学校等の情報は有線放送で提供されていた、しかし、我家には無く、電話が有る・・・当然、有線放送が優れていると思っていた時期も有る。

又、呼び出しと言うルールが一般的、我家に電話が有るが、呼び出しの要請、近所の人を走って呼びに行くのが私の役目だったので、電話に良い思い出が無い・・・

車も、我行政区で、我家も含め四台だった記憶が有る。

母は若くして免許を取り、車を購入した、しかし、昔の軽自動車が入れる道が無い・・・結果、周りの人達に頭を下げて、道幅と、角の落とす事を、嫌がらせを受けながら行っている。しかし、その後は、誰しもが持つ時代・・・苦労して道幅を広げ、角を落とした事も忘れられ、当然、当たり前と言う事に成る。

一時、毎年、お礼として、地権者の家に、酒を二升持って行っていたが・・・それを利用する他の人は、当たり前と思う道、誰もしない・・・結果、それも続く事は無く、その後、舗装等で、行政に寄付する等の方向に成っている。

車が通る道で無く、人が通る道、それを車が通れる道にするだけでも大変な努力が必要だった時代が有る。

時代は変化している、当然、変化に携わった人は大変な思い、努力をさてている。

しかし、それを昔から有る、当然の者の様に、思い込む人が多いし、之は仕方が無い部分、理由は、教えて居ないからに成る。

仮に、私が小学校低学年・・・共同風呂が地域には有った。風呂番は各家の持ち回り・・・昼から、巻きをくべ・・水を張り・・・風呂を沸かす・・・当然、人間に成るし、各家の持ち回りの為に、家に居る誰かがする事に成る。

焚きつけ場から、ふろ場は丸見え・・・当然、女湯も男湯もに成る・・・この様な状態で、人々が入浴に行っていた事に成る。

現代では有りえない、セクハラを通り越した、犯罪と思えるかもしれないが、それが普通だった。

以前も書いて居るが、その当時、ヤンチャな青年、入れ墨等を入れる・・・恥ずかしく風呂に入れない・・・結果、子供達が入る時間の夕方、来られて居た。

正直、肩身の狭さを、子供ながらに、その人の背中で感じさせて頂いた。

田舎社会、叔父が居る・親族が回りに居て、その人達が集まり、入浴する場・・・羽目を外し、墨を入れた、その後ろめたさが有ったと思う。

要は、今の己の行動、振舞い、この様な親族・特に親の前で出来るか????出来ない事を当たり前、普通と思ってしていないかに成る。

この様な私は、常識だと思う部分を学べる場が、昔は多々有った。

今は、無い、子育ても、親が主体者で、学校が協力者程度に成っている。

世間の有様を教える場が無い・・・・

この場を祖父母が行っていた時期も有るが・・・之も現代は無くなってきた。

要は、誰が世間を教えるのかに成る。色んな側面捉え方が有る。当然、多くの人間の介在が必要に成るが、それを拒否する人も増えている。

要は、何度の書く、狭い一極の方向に向かう、育て方に成る。当然、それを正しいと思っている人がそれを行う事に成る。

それで育た子は?????・・・狭い視野の狭い価値観の中で生きる人に成る可能性が高い・・・

勿論、この範囲内での幸福、幸せを目指す事に成る・・・之に対して足を引っぱる人等、容認できるか???当然、負必要な人と捉え手う事に成る。

その人の価値観で、必要な人以外は、要らない人と言う価値観に成れば、育てた親の将来も想像が出来ると思う。

私の過去は、40年程前の、我が地域に成る・・・当然、それ以前はまた違ったと思う。

この部分は、経験で無い為に、人様から教わる事に成る。

江戸時代は、混浴だった、それが普通・・・明治に成り、変わりだす。

要は、西欧からの見え方を気にしたからに成る。

誰しも普通と思っている事に対して、禁止する行政指導が有ると言う事・・・・何故と成るが・・・今はそれが普通と成っているし、何故と言う疑問を持つ人も少ないと思う。

要は、日本国は、白人の目を気にし、その目に適えられる振舞いに向かう事に成る。

それが明治と言う時代の一面にも成る。


対面本位主義・・・・

 開国後の日本で福沢冨吉は・・・西欧文化、西欧の言葉を、日本人に解るように、新は日本語を創った人でも有る。

社会主義・共産主義・民主主義等々の、言葉も日本人が作った言葉と言う事に成る。

個人主義と私は何度も書くが・・個人主義は過去から有る、己さえ良ければ、これは動物でも持つ、本能に成る。

当然、人間も有るのが普通に成る。

今回、私が思う、現代の個人主義は、個人主義に有らず・・・要は、奴隷としての搾取される事が、己の思う通りと言う錯覚を洗脳されている事を書きたいと思う。


昔も、己が良ければ生きる人は多かった・・・しかし、分以上の大きな事は求めない、分相応の範囲で、考えていた事に成る。

世間が、どうであれ、己の分は此処と確りした、ポジションを持っていた・・・その為に、些細な扇動等で、動じない人が多かった。

何度か書いて居るが、昔、キリスト教の宣教師が・・・農民に、キリストを信じると天国に行けると言われ、俺だけ行っても意味が無い・・・死んだ祖先はどうなるのか、貴方が言う様に、地獄に居るなら私は地獄に行く事は当然と言ったとの事・・・

私は、地獄の分だし、レベルなら、当然、地獄に居るの必然と言う価値観に成る。

これも、個人主義に成る。己の分が有るなら、その分でこの場に留まると言う、思いも、個人主義に成る。

末法と言う時代は・・・奇麗ごと、之が正しいと言う、全体意識が、人々を支配し、それに従う事が、協調性だし、幸せに繋がると言う、流れに成る・・・勿論、極一部の部分だが・・・

要は、分を越えた、扇動に対して従う・・・それを適えている間が幸せと言う妄想に成る。

誰しも解ると思うが、分を越えた振舞い、運が良いなら別だが・・・破綻に向かっている。

しかし、世間がそれを求めている、要は、世間に対しての対面を保つ事が、最優先に成り・・・その為に、己の分を越えた居るから、人の世話等々出来ないと言う流れに成っていると言う事

大昔を歴史等で学んでいると思うが・・・・今に比べて、非常に品疎な生活を行っていたが、子育て、親の介護は出来ていないか????出来て居たから今が有る。

大きな争いが無ければ、人口は増え続けたと言う事は、子孫繁栄には向かっていたと言う事に成る。

分相応の生活をすれば、子育ても親の介護も当然、出来た居たと言う事に成る。

勿論、その部分も含みで生活に成るが・・・・

現代は、分けられた、理由は、国のサービスが良い方向に成ったからに成る・・・

国民としては、恵まれた環境に成ったと言う事・・・しかし、この配慮に感謝の思いが国民には現代無いと言う事・・・・

結果、扇動等の風潮に、己を合わせる事に邁進している事に成る。

個人主義だが、現実は社会主義・・・しかし、社会とは????・・一目と成り、対面と成るので、最終的には他人主義と言う事に成る。

本人は、己が良ければと言う思いだと思うが・・・ラジコンの様に操縦されている事に成る。誰に????当然、それで利を得る立場に成る。

周りが之が良いと言うから、その価値が上がる、何故か、周りの数が多いからに成る、考え様では民主主義に成る。

当然、周りが憧れる物を手に入れる・・・周りは羨望の目で見る事に成り、優越感を一瞬だが味わう事が出来る。言葉を変えれば、勝者の雄叫びが出来る事に成る。

これも、動物の本能としては当然と言う事・・・他に勝ちたい本能・・・仕方が無い部分だが・・・それを利用する者が居ると言う事・・・

勿論、私も生物なので、否定できない行動だと考えている。

闘鶏と言うイベントが有るが、鳥の本能で戦う、勝敗は人間が決め、それで一喜一憂している。誰が、人間がと成る。

要は、現代の個人主義と言われる部分は、己本位主義と違うと言う事・・・

個人がどう思うかを優先したか価値観に成るので、本来は、己の思いを主張し主義出来る事・・・多々の思いが有るし、人の数違うのか、個人主義とも言えるが・・之が同じと言う事・・・

要は、己が稼いだ汗の結晶を己の為に使っていると思うが・・・現実は、他人の為に使っていると言う現実・・・己の趣向で決めたと思っていても、それも扇動や誘導で、出来た事に成る。

私は、色んな趣味も持っているし、色んな世界に属している。

例として挙げれば、RCの世界、ジャイロを私が使うと、邪道と言われ、有りえないと成る。又、その流れで、商品を開発・販売している業者からも言われる。

しかし、ジャイロが一般化すると・・・今度は使わない事が、邪道と言われる・・・又否定していた業者さえ、商品を売り出す。

その様な事が、悪いとは思っていない、人間と言う事・・・・・


要は、流れに乗る事が、優先される・・・それが行き過ぎると、己の分さえ超えた流れに乗る事を求められる世界に成る。

泳げない人間が、泳がされることと同じ・・・苛めや暴力に見えるが・・・それが当然・常識と成っているのが、末法と言う時代の一面に成る。

要は、正しいと言う原理主義に進み過ぎる危険性が有ると言う事、理由は、人間だからに成る。間違いも失敗も今回からは嘘もつくのが人間・・・

この人間が、原理原則と言う方向に進み過ぎると、生きる足場が無く成ると言う事に成る。

現代、己の分で生きる事が許されない時代と言っても良い・・・

分を超える、振舞いをすれば、当然、破綻する危険性が増す。

勿論、分が有れば済む事だが・・面白い事に、分が増せば、その上の環境が出て来る。

永遠に続く、無限の、分を越えた振舞いを求められる世界に成る。

これも、地獄図に近いと私が表現する意味にも成る。

本来、地獄が良いと思える人が集まる場が地獄、窯湯でも良い湯だと思えるレベルと言う事・・・当然、天から差し込む光等、興味も無いし、怖いと思っている。

しかし、この世界で誰かが、あの光に近付きたいと言う、流れが扇動に成り、それに従う人が増える、蜘蛛の糸の話に繋がるが・・・蜘蛛の糸を頼りに上り出す、当然、地獄に居た殆どの者がそれに向かう・・・結局、糸は切れる・・・落ちた者も、本来その場所が住み易かった者たちに成るが、哀れで有ると言う意味に成る。

その命・思いで地獄から脱してた、脱した世界が大変に成る。

今の現代の風潮は、人間と言う部分を無視し過ぎている・・・人間は色々居る。

又同じ人間でも、老いたり・病に成ったりする・・・この様な部分を無視し続けている。

最初に書いて居るが、昔の農民の方が、己の分をよく理解していたし、その分の範囲で生きる、この様な知恵を持っていた事に成る。


しかし、己の分さえ・・・悪いと思う、宿命等と言う言葉で、良いイメージでない方向で考えている。己が居ると言う事は、先祖が居た事だし、当然、父母が居たと言う証・・・

その部分も忘れて、己を考えている。

勿論、考えさせない、扇動や風潮が続いている。

要は、守るべき存在を知らず、競う合う相手しか、己の周りに居ないと言う環境を設定ている。競う合う相手が居ると言う事は、それを扇動すれば、利を得る立場が出て来ること言う事、何処の誰かは解らない人を守って居ると言う事にも成る。

肌に本来、感じる、守るべき人には意識は向かわず・・・・赤の他人の為に、生きる、個人主義・・・それを、私は、底面主義から、到達点は、赤の他人主義と言う事に成る。

要は、個人主義は本能の為に、否定する事が出来ない、出来ないならそれを、唆して、利を得る、立場が出て来ると言う事・・・・要は、この部分の人達が本当の個人主義の正体・・・それに洗脳され、赤の他人主義に奔走する、自称個人主義と思って居る人達に成る。

世も末と言われる事に成る・・・それが末法と言う時代に成る。

喜んで振舞う行動が、結果的に己の首を絞めていると言う世界に成る。






人間の輩出・・・子育て・・・

 息子達が親に成り・・・子育ての時期に成っている。

長男は、基本、稼ぎ人として振舞っている・・・前妻の時も、今もこの方向性は変らない様だ・・・結果、若嫁が、子育ての頑張っている。結果として、家に己の場所が無いと言う感覚を抱いているし・・・帰宅恐怖症に少し成っている様だ・・・・

次男は、人目も気にせず・・・息子二人の為に、愛情の鞭と言っているが、その様は育て方を行っている。

しかし、私の目からだと、経験が昔の為に、摩っている様な鞭・・・・レベルの差が大きく有る。

しかし、人目を気にせず・・・之は大事だと思う。

子供をガキと言う時がある。本来は餓鬼の性が強いから、ガキと言っているのだが・・・餓鬼とは、喉の渇きが常時起きる、欲しいとバタ狂いする、鬼の様相と言う事に成る。

この様な振舞いを起こす、当然、他の動物にも有ると思うが・・・人間は少しは頭が有る為に、他を利用する事も出て来る。

他人の目を気にする、親と思えば、他人の前で餓鬼の性を出す・・思い通りに成る為には、場所も手段も気にする事は無い・・・・

環境次第で、振舞い方を変える・・・考え様では、賢い子に成る・・・

又、子との約束・・・・子が求めるので、約束を交わし、その求めを叶える・・・当然、この目的は達成された・・・之で、子は終わっている。

しかし、約束を交わした方は、約束が残っていると思っていても、当事者の子は、思っていない。

獲たいからの出た、嘘も方便と言う事に成る・・・・

本来は、方便とは釈尊が残した経典の一つに成るが・・・嘘の様だが真実だと言う意味

もう少し、書くと・・・到底不可能な事を表しているが・・・それが出来るか出来ないかは解らない・・・・それを実践する人で変わると言う事にも成るが、到底不可能なら、実践する前に、嘘として片付ける事が、利口・賢いと言う、人間の思い上がりを指摘している経典だと取る事も出来る。

子との約束・・・子からすれば、到底不可能と思うし、又考えない・取り組まない方が、利口や賢いと成る、事と同じ・・・親から見れば、努力すれば可能だと思うが・・・努力を面倒と捉えている側から見れば、不可能になる。

私は、人の数、不可能のレベルも色々有ると思う。

勿論、基準は己に成る人が多いと思うが・・・私自身、三流と思っているし、劣っていると思っている私の基準さえ、不可能と思う人も居る可能性が少数だが有ると考えている。

子育て、私は餓鬼を人間と育て上げる場だと考えている。

餓鬼の性を如何すれば、人間に向かわせる事が出来るか????・・・又育て上げた後は、どの場で生きるのか????当然、現状の社会に成る。

社会の中で生きる・・・先に書いた、寄生虫と宿主・・どちらを選ばせるかも大事な問題に成る。

仮に、寄生虫として育てるなら・・・当然、寄生する宿主がどの様な状態なのかも大事に成る。社会が寄生虫に対して、寛容かが問題に成る。

又、社会としての寛容さが無くなっているなら・・社会の中の組織・・・組織に的を絞り、寛容である組織を目指す事に成る。

要は、寄生虫としても、一流の寄生虫に育て居ている・・・それなら、一流の宿主の輩出も必要と言う事に成る。

社会、組織も、当然、人間で構成されている・・・この人間を育て創る作業が、子育てに成る。

しかし、問題は・・・どちらが、幸福なのか???当然、心や命が捉える事に成る。

一流の寄生虫は、考え様では、一流の餓鬼と言う事に成る・・・鬼の命なら、幸福と感じて居ても、若し、命に人間が有れば、当然、矛盾を感じる事にも成る。

鬼に徹するなら、命まで鬼に成る必要が有る。

要は、現代は、末法と言う時代、中途半端では駄目だと言う事にも成る。

鬼として生きるなら、鬼に徹する・・・しかし、人間という命なら、迷いや矛盾を感じ出す。

その為に、徹底的に鬼に徹する生き方を教えても、命に内在している、人間と言う命、之は無くす事が不可能であると、私は考えている。

要は、身も心も鬼に成れるか????・・・人間なら不可能問う事に成る。

最近は、孫の今後を楽しみにしている・・・当然、彼達が育って行く社会への関心も高く成っている。

彼達が、作る家庭も当然、気に成る・・・・・


しかし、私の周りの、人達、子育ても終わってる人たちは・・・子供達の将来等々に期待していると言う意見を殆ど聞かなくなっている。

要は、仕方が無い・・諦めた・・・と言われる人が何故か多い・・・諦めるだけの努力はしたかは解らない・・・私は、努力したとは思わないし、したと言う事も思っていない、ただ続けているだけ、爪痕だけは残したいと考えている。

しかし、汚れ続ける水に、少量の真水を注いでも意味が無いと言うのが、周りの人の意見に成る・・・要は、この世に対して諦めている事にも成る。

そんなに詰まらない世なのか???・・・夢も期待も持てない世なのか???・・・当然、この世の構成員は己の筈だが・・・之が意味する事は、己にさえ、期待も夢も持てない人と言う事に成る、私は、之を不幸と考えている。

幸を求めない不可能と思っている事に成る。

福・・・さいわい・・とも意味する・・幸福とは、幸が重なる周りも含めてと言う、共栄のと言う意味も有る。

要は、物を得る事で幸を感じる人も居る・・・それなら物を与える事で幸を感じる人が居れば、この形態でも幸と幸が重なる・・・幸福と言う事に成る。

要は、命を貰う人も居る・・・命を託す人も居る・・両方が幸と感じれれば、幸福に成る。

しかし、現代は、己だけと言う限定した、幸を余りにも求め過ぎている・・・結果、幸福には成れないと私は考えてる。

今、連絡が有った、四男からに成る・・・夫なら妻の曽田に居るのが普通と言う価値観の人が居るので、昨晩も、嫁里に向った・・・今日は休み、明日も休み、私の仕事車が無いので、帰って来ると言っていたが・・・向こうの家が反対したとの事・・・

四男の思いに感謝に成る。

彼が乗る車、三男の車だが、嫁の話だと、全て、私が稼いだお金で払ったと言う事・・・当然、車検等も、私が稼いだお金と言う事だが・・・表面的には三男が四男にプレゼントして車と成っている。

嫁の怒りが始まると思うが・・・仕方が無いと私は考えている。

バイクが有るし、昔に比べれば、自転車も有る・・・移動の手段は整っていると私は考えている。

又、歩ける足を持っている、幸せだと思う瞬間でもある。

何事も捉え方に成る。出来ないと予想していた事に対して、四男は果敢に挑戦した。凄い事だと私は褒めている。

二十歳の彼、今の時代の若者のしては、凄いと私は考えている。

勿論、己の思いとは違う、この違いは誰が悪いのか???当然、社会を構成している、己自身に責任が有ると言う事に成る。

責任を全う出来れば、当然、問題も感じ難い・・・この部分を多々感じると言う事は、全うできないレベルと言う事、何度も書く、劣っている三流の身と言う事に成る。

若し、この責任も感じないなら、この世に属していない、構成員と成っていない、部外者の人と言う事に成る。

社会に居ながら、世捨て人に成っていると言う事にも成る。

マスコミ等に出て来る、自称、文化人と言われる人達と近いと言う事にも成る。

世の中の全てに、当然、関係しているのが己・・・責任が有ると言う事・・・

後世の世を託す、後継者・・・それを輩出する、責任と義務が当然ある。

現代の日本・・先の大戦での題目の一つ・・・共存・共栄・・・敗戦した為に、無意識に否定的な捉え方をする人が多いのも現実・・・しかし、思いは正しいと私は考えている。





「話せば解る」・・・・・学べる。

 私の事に成るが・・・当然、変り者・三流で一般とは違うと思うが・・・

私は幼い頃から・・・私と私以外・・・この二極の壁を大きく感じる子だった。

人様に溶け込むことが出来ない・・・人見知りの子と言ってもよい・・・・

又、それが、親も含め・・・親族にも有った。

己以外の他人をどう思っていた????・・・単純に言えば、敵と思っていた事に成る。

この様な子なので・・・当然、浮く存在・・・孤立化する・・・

保育園等々の集団生活が向かない子に成る。

今の私が考えると・・・・浮く存在だが、集団と言う中で生きる立場でどうすれば・・・他との垣根を低く出来るかと、自然に行っていたのが・・・・話・・・・対話に成る。

幼い頃からの習慣に成る・・・話して相手の思いを知る・・・

当然、喧々諤々に成る場合が有るが・・・価値観の相違が多ければこの形に成り、それは己が無知・知らないと言う証拠とも成るし・・・良く捉えれば、学べると言う事にも成る。

私は、物事等の捉え方を、逆から考えるのもこの様な部分から来ている。

要は、集団と言うものも、創り上げて行くものと考えているし・・・厳然と有るものだとは捉えていない。

小さな単位・・夫婦も、先の感覚なので、嫁は敵・解らない存在・・・少々の縁では理解できないので、結婚したとも言える。

最初から、敵と共に住む・・・問題が出るのが当然と言う考えにも成る。

大きな集団・・・社会も同じだと私は考えている。

当事者として創り上げる立場・・・何を、当然、己が思う、理想に成る・・・

しかし、社会の捉え方が、違う人も居る・・・悪い社会で暮らす私は被害者と言う価値観に成る。当然、この様な人も、己が思う、理想が有る。

その理想とは、社会から奉仕を願っているし、奉仕できる社会が良いと思っている。

要は、社会等を親だと思っていると言う事・・・強く書けば宿主と言う事に成る。

己以外の部分を宿主と捉える価値観が有ると言う事・・・・宿主以外は、求めていない・・・之が意味する事は、己は寄生虫と言う事に成る。

自立した確固たる、己が無いと言う事にも成る。

結果、周りの風潮等で振り回せることに成る・・・勿論、情報を選ぶ・・・耳障りと利に繋がるものしか、求めない人と向かって行く事に成る。

この様な人の場合・・・物事に対して、こう有るべきと言う・・・・己は部外者・又は被害者を装う・・・当事者としてのスタンスを取らない・・・・

要は、不味い物・美味い物・・・誰しも美味い物を取ると言う、論調に向かう・・・誰しもが思うが・・・好みが各々違うと言う、部分は無い・・・・

この論調で、物を限定しだす・・・カレーが美味い・・・反対者が少ない方向へ向かい・・・最後、このカレーが美味しいと言う論調に成る・・・

私は、言葉とは、お互いが分かち合う為のツールと考えている。

何故か、先に書いた様に、私以外は敵と言う感覚の人だからに成る。要は相手の思いが解らないから敵に見えている事に成る。

なぜ必要か・・・人には表向きの部分と、本音の部分が有る。要は、本音が解れば、表向きの言動は、見せかけと捉える事が出来るので、仕方が無い・又か~~~程度で済ませる事が可能になる。

しかし、現代は、この部分のバランスが、大きく、表向きの方向に向かっている。

私は嫌われ者・劣っている三流の人間だから、色んな組織・グループにも属して来た・・・その中で、対話・喧々諤々を続けて来た。

この行動は、当然、現代なら、異端児の行動に成る・・・しかし、それで敵が、己と同じ思いがある人だと言う部分を知る事にも成る。

勿論、表向きは違う・・・この部分が面白いし、それが人間だと言う事が、この歳に成って容認できる様になった。

簡単に書けば、泥棒が悪い、それを検挙する警官が、泥棒だった・・・之が人間であると言う事・・・・

何故、言えるのか、要は、リーダーや力を持つ人たちも、結局は、社会の中から育つ・・・その社会を構成している、人間は~~~~・・・間違いも失敗も起こす、又、嘘つきでも有る。之を基本に持つ人が、リーダーや権力者に成ると言う事に成る。

要は、ある議員が言っていたが、バッチを外せば、タダの人間・・・要は、人間と言う部分を脱する事が出来ないと言う事にも成る。この件は、議員が人様から言われ、頭に来たらしいが、よくよく考えればその通りと思ったから私に言われた事・・・

しかし、レベルが低い、よくよく考えないと解らないレベルが、国等の舵を任せている事に成る。之も、仕方が無い、その基盤に有る社会が、このレベルだからに成る。

強く言えば、個人個人のレベルが、このレベルと言う事に成る。

要は、昔から書き続けている、確りと自立する・・・この自立の意味を模索し続けないといけないと言う事に成る。

現代の価値観では、寄生虫といての自立程度の、思考で止まっている。

その為に、寄生している相手に、色々求めだす・・・要は宿主に欲を求めだすと言う事・・・子供と同じで、周りの友達が持っている。他の家はしてくれる・・・普通はこの様にしてくれるのにと言う、餓鬼の論法に成る。

自立とは、全責任は己に有ると言う、命に成る・・・・要は徹して守る、壁に徹する事に成る。

私は、三流の為に、論争等の経験も少ないと思う・・・しかし、少ない経験で得たのは、人間は同じだと言う事・・・些細な違いが何故か大きく成っている。

又、大志が本心の本心、命の中に有ると言う事・・・要は、解っているが出せない、その理由は社会が悪いと成るし、その様なタイプに、表と裏との差が大きい人が多い・・・

精神的に大変だと、私は心配する事に成るが・・・・要は、心・命と、大きく違う振舞いが求められる、この様な世界に成れば、頭が割れそうに苦しむことに成る・・・・

頭を痛めない為には、心・命の部分を忘れる方策に成って行く・・・・これは、己を殺す作業に成る。可哀そうだと私は思う。

要は、社会構成員の己と知る事・・・社会が悪いと思った時は己が悪いと言う事・・・

若し、多数側、社会や集団・組織が悪いと言う、構成員だったら・・・寄生虫の価値観が強いと成るし、何故か、その様な教育・又はそれを学び過ぎた事に成る。

奴隷化に向っていると、書き続ける理由にも成る。優秀な寄生虫を輩出し続ける社会は????当然、宿が必要だが、宿を崩壊へと向けている事に成る。

要は、優秀な筈の、国のリーダーの、論戦・・・餓鬼が騒いで居る・・・当然、餓鬼の価値観が強い社会なら、それが正しいと捉える。この傾向を知る、マスコミ等はこの部分を過大に報道する。要は、国民が求めていると言う前提が有るからに成る。

中学校、低学年レベルの、寄生虫の論戦に成る・・・・可哀そうで有るし、それに同調している人々も居るのが、今の社会と言う事に成る。

構成員の私は????・・・当然、出来る範囲の事はする事に成る。