2024年3月18日月曜日

少し、やる気が~~~~

T先輩からライン・・・・今、Fシャーシで二駆を楽しんでいるとの事・・・情報では、D-likeがこの様なシャーシを使って出すとの事だが、以前、先輩、F-103シャーシで、二駆のドリフトに挑戦されていた。

その際、ジャイロが必要と、元々が空の人、ヘリ用のジャイロを搭載すると面白い様に出来るが、問題が操作感、面白みがない・・・

安定を余りに意識しすぎると、当たり前の事だが、操作していて面白いと成らない・・・ノルマ的に走る、又は競争相手を探して、常時、戦うと言う思いが無ければ、続けることが難しいくなる。

結果、相手を求める競技に成るし、己だけでは面白みが感じ難いから、物や道具に拘るように成って行く・・・・

本来、走らせて面白い、組み立てて面白い・・・改造を色々考えて面白いと思うが、一番大事な、走らせて面白いこの部分を私は求め続けていた。

先輩が、今回作った、Fシャーシの二駆は写真で見る範囲・・・バッテリー・サーボー等を、高い部分に上げて、荷重の移動を大げさに示す方向に成っているし、当然、その為のシャーシ重量も軽い、これが意味する事は、軽い車、想像は誰でも付くと思う。

私も、MシャーシのTB-01を考えていた。軽いし、トルクの少ない、400系のモーターも使える・・・駆動も、ミット・フロント・リアと色々モーター搭載場所が選べる・・・・勿論、重量的には軽くなるし、これが意味する事は、当然、誰しも解ると言う事に成る。

よく、RCドリフト界では重い事が良い様に言われている。何故なのか????理由は、単純、多大過ぎるモーターのトルクが影響している。空回りをしやすい為、重さで、面荷重を増やして、駆動力を増すと言う発想で、何度も書いているが、蒸気機関車の考えと同じ・・・・

よく考えて戴きたい・・・玩具のRC・・・安い車はプラスチックのタイヤの場合も有る。当然、グリップ力は無い、それに操作も、右・左と二極の操作・・・アクセルも、ON/OFFの二極・・・それでも凄いスピードが加速する・・・しかし、千円くらいのラジコンで出せるスピードが、何故か、高級なシャーシだと出ない・・・理由は、何なのか???

考えれば誰しも解ると思う。

先輩からのライン・・・少しやる気も出て来た。

可なり古いが、F-103 50周年記念モデルを持っている。

今後、色んなシャーシも、組み立てず保管しているので、徐々に何かを考えたいと思っています。

先ずは、己の事・・・将来の生活の安定も含めて、安心できる状態に成るまで、頑張りたいと思います。

先輩には感謝しています。

壊れた!!!!・・・除草剤散布・・・

今日は、天候も良い・・・嫁を職場に送り届け・・・その後、除草剤の散布を考え、水をタンクに貯めようと、井戸水のノズルを握っても水が出ない・・・・給水ポンプが壊れたのか???他の井戸水の蛇口をテスト、散水できる・・・・・問題は、水の出ないノズルが壊れている事に成る。

調べるが、分解が出来ない部分に、井戸水の為に、コケ等が詰まっているようだ・・・・

ノズルを外せば、給水できるので、暫くはこの状態でと考えている。

又、除草剤も、散布できた・・・・後一回分、散布できる量が余ったが・・・後から散布する事にする。


プライベート????

 私は人のプライベート等、気に成らないし、私に何の関係性も無いと考えている。

昔は、女性の井戸端会議で・・地域の人々のプライベートな部分を各自が話して、情報を共有していたが、何故か、この様な集団、何が良いか・悪いかを決めたがる・・・要は、己の都合・価値観に合わせた善悪論に向かうが、これを人々は、一般的には普通にはと、己で無く、周りがと言う方向性で事を進める、しかしよくよく考えると、この様な事を持ち出し勧めている立場が居るし、その人たちが何故か、一般的・普通と言う言葉で、人々を誘導しだす。

今、仕事・本業以外での言動が問題と、色々、言っている事柄が有る。

私は、昔、研修旅行と言う形で、多くの海外に行かせて頂いた。勝ち取ったと言う人も居る。何故か????理由は、メーカー等、キャンペーンで優秀な個人成績を出した褒美として、この様な研修旅行が有った。当然、大騒動のどんちゃん騒ぎ、遣りたい放題・・・バルブが終わりかけた時代ななので、アメリカも円が強くて、何もかもが安く感じる。傲慢な振る舞いをしていたと思う。

しかし、私の現実は、親の借金で首が回らない・・・この様な褒美を貰うより、お金が欲しいと思ってた。又は、仕入れ値が下がれば、お客さんに還元できるとも思ってたが・・・要は、大量仕入れの業者と己の都合を強く言える・・・一般の販売会社は、メーカーが有るから商売が出来る立場、要は、メーカーの思う通りに働けば、それに似合う褒美が与えられていたと言う事に成る。

スポーツの世界でも優勝に対しての褒美で、どんちゃん騒ぎとなっているなら良いが、形として研修と名を付けたら、周りから何を言われるか解らないのが、今の日本国に成る。

怖い・怖い、普通や一般の言う方向に、人々が入って居なければ、人として認めてもらえない世界・・・これを怖いと私は捉えている。

色んな人が居るのが、世界だし、社会だと私は考えている。

その人・人が、己が正しいと思う方向を目指しているし、その為に仕事をしていると言う人も居る。

私の息子達は、遊びたい・特に博打事・・・パチンコ等がしたいと言う思いが強いから仕事をしている。仕事はした結果パチンコと言う価値観でない、パチンコがしたいから仕事と言う順序の価値観・・・

これが間違っているとは、言えないし、それが良いと思うなら、それで良いと思う、勿論、私は、私の価値観が有るから、私の思いは伝えるが、それから先は相手次第と言う事に成る。

無理やりでも私の思う通りにしたいと思うこと自体が膨満だし、独裁者的価値観だと私は捉えているので、この方向に成らないように、少しでも己の為が出だしたら、怖い・怖いと言い聞かせている。

今は、諸先輩方から、己の事を考えろと何時も言われている。しかし、己に執着できない理由が有る。私の本質は鬼畜である。

人に負けなくない・・・人より・・己の思う通りにしたい、この命が強すぎる・・・この逆の方向を目指すと、当然、苦しいし、キツイし大変でも有るが、それを行わいと私は人として生きられない・・・・理由は何度も書く様に「生老病死」を解決できない立場に居る・・・・人様の手を必要とする、人様のお陰で生かされている、大きく言えば、地球・宇宙が有るから、生かされている・・・この当然の事さえ、己が為に地球が有り、宇宙が有ると捉えだし、最終的に人様まで、己の為に存在すると捉えて、思う通りに成る事が当然だと成れば、「生老病死」から脱していない立場、当然、精神的に崩壊に向かうのは、誰しも解ると思う。

己の思う通りに周りが動いているが、それさえ信頼できず・人の首の据替を始める。

結局は、個に向かっている・・・昔書いているが、思う通りに成る人々で形成され、誰もが驚く、お城の様な家に住み、世界で一流と言われる全ての物を手に入れて・・何不自由無く、生きられているが、当然、イエスマンしか居ない、世界、誰しも耳が痛い事は言わない・・・これが幸せとは私は思わないし、逆に不幸で寂しい人生と私は思う。

沢山の嫌な言葉を投げかけられ、中々、足も一歩も出せない世の中だが、その中でも、如何にか生かされている、この様に捉えた方が、幸せだと私は考えている。

人の言動は、人に任せるしか出来ない・・・しかし、方向性を少しでも変える事が出来るなら、己の言動も注意して発しして行かなければと思ってる。

仕事等は、ルールが有る・・そのルールに乗っ取り、一所懸命に振る舞った。一般的には戦ったと言われるが、スポーツと同じ、この部分の評価である。しかし、最近は、プライベートの部分まで、人々が監視し、その部分まで、善悪論・勝負論を、誰のルールか解らない常識と言う言葉を付けて、攻めている。

再度、書くが、私の研修旅行と言う名で、どんちゃん騒ぎ・暴れた場に居た経験が何度も有る。

勿論、ボランティア団体の研修旅行でも同じであるし、この団体から卒業した人々が、政治家に成っているし、与党・野党、両方に居る。

苦しんでいる国々が居ると言う俵の表題で・・・行っている内容は、どんちゃん騒ぎ・・・当然、それでお金を集め、このお金が恵まれない国に行く、その為に、どんちゃん騒ぎの大パーティ、女も多々居る・・これが普通の世界も有る。

私は、人とし三流の立場だが、この様な部分も見て来た、一流や優秀と言う人々の振舞の現実を観られた。感謝している。

しかし、己は劣っている、私の真似をしない方が身の為と言っていた、お世辞にも格好良いとは言えない・ボロボロに人が私は凄い人に思えているし、叱咤って色々教えて戴いた。

何が大事なのか???何が人を幸せと思わせるのか??要は、捉え方・・・この捉え方を濁らせるのが今の常識、結果、何時までも満足感が無く、貪欲な底なし沼の消費者に成っている。

この立場、消費が出来ない、これを不幸と捉えているので、一生、馬車馬の様に働き続けて、消費を続けるこれが生きる、人間と思い込んでいる。

人は、飯も食えなくなる時が有る。目も見えなくなる場合が有る。耳も聞こえなくなる時が有る。要は全ての物が必要でない状態でも生きている可能性が有る。その時、どう思うか、己は幸せで死ねると思うのか、不幸で、後悔し恨んで死んで行くのか・・・

要は、感謝か恨みかこの二極に成る。

人は、生まれたなら、死ぬために生きていると捉える事に成る。

死ぬために何が必要なのか????これを真剣に考える事に成る。

死ぬときの一瞬が大事!!!!・・・生きた一生の最終の答えに成る。