2021年12月31日金曜日

主婦失格・・・・

 大晦日と言うのに・・・家の中は散らかり放題・・・・主婦業の私の責任と成る。

車等の清掃は出来たが・・・家の中は手を付ける事が出来なかった・・・体調も良くないし、その為の、息子達・・・五男・四男も遊び呆けている・・・・

手伝おうという気持ちが無いと言った方が良いし・・・それを強く指摘する元気も今の私には無い・・・・若い時の子育ての重要さが身に沁みる・・・・高齢での子育て・・・体が持たない部分が出て来たと言う事にも成る。

今の私の状態は、吹けば飛ぶ様な体調に成っている。簡単に書けばフラフラ状態と言う事・・・・当然、期待も持てない身と言う事に成るし、人様もこの様な評価をしていると思う。

上の子供達も、私の事を知っているので・・・嫁里に常時、通っている様だし・・・・孫を看る・・・この体力も現状では私には無い・・・・・

勿論、嫁が居れば違うが・・・・嫁は仕事・・・・今日も、年始に向け入所者を迎えに来る家族が多く、その対応で判る職員が居ない為に・・・今も残って、準備等を行っていると連絡が入った。

何時もの事だが・・・・したいと思う、秒熱が結果的に出来る様に己をする。出来るから結果、その仕事をする事が当然とみられる様に成る。

それが対価に繋がらないのが現代のシステムに成っている。

同じ職種、同じ対価と言われるが・・・同じ職種でも行っている量や重さ等々の部分は各々違う・・・・・要は、キツサ大変さと言う部分に成る。

勿論、この部分が有ると成れば現代はブラック企業・職種と言われる為に絶対に自ずから表面化させない・・・結果、この様な職種・企業で起きている、現実が、謳い文句の様に振舞っている人と・・・全てを背負おうと無理して頑張っている人の二極化に成る。

当然、対価は同じだし・・逆に不満等々の愚痴は、背負って頑張っている人が言うので、問題者としてみなされる事にも成る。

要は、会社側、雇用側に耳障りの良い事を、言える雇用者と・・・その逆の人が居ると言う事に成る。

嫁も、施設側の雇用側に問題点を多々、投げかけている様だし、その為なのか、キツイ時間帯や時期に勤務が集中している。

仕事人としては正しいと思うが・・・・勤め人なら正しいかは別問題に成る。

要は、見ている場所が違うと言う事にも成る・・・嫁は入所者やその家族に成る・・・しかし、殆どの職員は、雇用側を見ていると嫁は言っている。

雇用側も、腫れ物に触る様に職員に接しているが・・・嫁には無理を言っても見えている場所が違うのを理解しているので承知してくれると思っている。

以前も書いているが・・・今の様な価値観が蔓延し常態化すれば・・・生死を彷徨っている人を放置して、定時が来たからと帰る医師が出て来ても不思議でないと言う事に成る。

現実に、ケガ人が目の前に居ても医師の資格を隠して、通り過ぎる人も大勢居るとの事・・・勿論、手を挙げれば全ての責任を背負う事に成る・・・勇気が有るかに成るが、勇気より安全が第一の現代の考え方・・・

要は、人は何様なのか???と最近よく思う様に成っている。

先のブログに書いているが、生きる目的は何なのか???どうせ最終的に灰に成る身・・動ける間に無いが出来るかだと思うが・・・その部分の考え方が大きく、変わりつつある様に思える。

散らかり放題で・・嫁が帰って来る。叱られると思うし、申し訳にと思っているが、行動が出来ない、情けない亭主に成る。

経験しないと解らない・・・・

 昨日・・・・洗濯物を冬場に干す・・・・経験して色んな事が解ったし、勿論、知らない部分も未だ多々有ると思う。

頭が悪い私の場合・・・・身で経験知る事しか知る素手が無い・・・本来なら、聞く耳を確り持っていて、頭が良ければ、直ぐい頭に効くと言う方向に成るが・・・私の場合は、何度も同じ経験をしても、中々、頭に効くと言う方向に成り難い・・・・

昨日、乾ききれなかった衣類が有るが・・・嫁が朝から干している・・・今日一日、干せば乾くだろうと言っている。之も経験から来ていると思う。

本年最後の大晦日と言う日に一つ学んだことに成る。

又、一年、生きられた事に感謝と言う日に成る。私は、生きている事さえ奇跡だと考えている。勿論、生有る姿で生まれ、それも人と言う姿で生まれた・・・之も、奇跡中の奇跡と思うし・・私を選んで生んでくれた親に感謝と言う事にも成る。

我が身も、物質的には宇宙上・地球上に有る物質で出来ている。その物質の集合体である。

しかし、タダの物では無いと私は思うし・・・その部分が命・生きていると言う部分に成る。

この奇跡的事に感謝する事は、当然だとも考えている。

何時、タダの物質に戻るかも判らない・・・物なのか生命なのかで大きく違うと思うし・・・生命でも、人間として存在している事自体も、大きな違いが有ると私は考えている。

要は、恵まれた生命として生まれた、この恵みをどう使うかが問われていると私は考えている。当然、今日も生きられたと言う感謝の思いが有れば、その恩を返す所を探し出そうとすると考えている。

この部分が、四男は理解できていない・・・・己の為に環境が勝手に成ると言う思い自体が、傲慢でも有る。

生きられた事、この当然と思える部分に感謝の思いが無ければ、大晦日と言う年越しの意味を解らないと思う。

全て事に感謝できる・・今日で有りたいし・・その恩を返す為の明日と言う事にも成る。