昨日・・・・洗濯物を冬場に干す・・・・経験して色んな事が解ったし、勿論、知らない部分も未だ多々有ると思う。
頭が悪い私の場合・・・・身で経験知る事しか知る素手が無い・・・本来なら、聞く耳を確り持っていて、頭が良ければ、直ぐい頭に効くと言う方向に成るが・・・私の場合は、何度も同じ経験をしても、中々、頭に効くと言う方向に成り難い・・・・
昨日、乾ききれなかった衣類が有るが・・・嫁が朝から干している・・・今日一日、干せば乾くだろうと言っている。之も経験から来ていると思う。
本年最後の大晦日と言う日に一つ学んだことに成る。
又、一年、生きられた事に感謝と言う日に成る。私は、生きている事さえ奇跡だと考えている。勿論、生有る姿で生まれ、それも人と言う姿で生まれた・・・之も、奇跡中の奇跡と思うし・・私を選んで生んでくれた親に感謝と言う事にも成る。
我が身も、物質的には宇宙上・地球上に有る物質で出来ている。その物質の集合体である。
しかし、タダの物では無いと私は思うし・・・その部分が命・生きていると言う部分に成る。
この奇跡的事に感謝する事は、当然だとも考えている。
何時、タダの物質に戻るかも判らない・・・物なのか生命なのかで大きく違うと思うし・・・生命でも、人間として存在している事自体も、大きな違いが有ると私は考えている。
要は、恵まれた生命として生まれた、この恵みをどう使うかが問われていると私は考えている。当然、今日も生きられたと言う感謝の思いが有れば、その恩を返す所を探し出そうとすると考えている。
この部分が、四男は理解できていない・・・・己の為に環境が勝手に成ると言う思い自体が、傲慢でも有る。
生きられた事、この当然と思える部分に感謝の思いが無ければ、大晦日と言う年越しの意味を解らないと思う。
全て事に感謝できる・・今日で有りたいし・・その恩を返す為の明日と言う事にも成る。
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