2020年4月10日金曜日

当然化したのか・・・諦め感が・・・

来訪する、子供達や・・・仕事で会うお客さんたち等々の雰囲気が・・・・

感染症に対して・・・・感染者の数等々の増加が・・・何時もの様に続いているので、当然化している様で・・・・諦めムードを最近、強く感じるようになった。

防疫に対して・・・如何すれば????・・・・・合う人全てを疑う、之も苦痛を伴う・・・・しかし、生活の糧を得る為には、人に会う必要が有る場合も有るし・・・当然、何気に会う人も疑っていたら、会えなくなる・・・・

之が意味する事は、生活の為の糧を捨てろと言う事に成るが・・・捨てられないなら、当然、感染症の危険性も高まると言う事に成る。

又、話の中では、一番安全な人・・・・自閉症で部屋に閉じ籠っている人・・・この人なら会っても問題も少ないと成る。

逆に一番、危険な人は、多数の人と会う人・・・又、相手も多数に会う、経済力の有る人と成る。

この様な人が、糧を得る為には、大事な人と言う事にも成る。

野生の動物の様でもある・・・・糧を得る為には、危険な外に出る必要が有ると言う事・・・当然、糧を得る為に、命を亡くす・・・この様な事も起きる。
自然や野生を基準と考えれば、当然の事に成る・・・

この当然な環境に今が成っていると言う事にも成る。

結果、諦めという感じより、当然と言う事に成っていると思う。

生きれる事が、当然で無く・・・偶然の積み重ねと言う事にも成る。

考え様では、私の様な、波乱万丈で何が起きるか、命の危険を感じる、状態に今が成っていると言う事に成る。

波乱万丈も、慣れれば、当然と成る・・・・当然と成れば、それを楽しめる場合も出て来る。

今の状況を、受け入れる事が、今後、大事だと私は考えている。

排除・防疫が出来ている間は、それを進めると思うが・・・・私の周りでは、無理でないかと言う風潮に成ってきている。

無理なら、悪あがきをしないで、受け入れて考える、之も必要と思う様になって来た。

結局は、最初に書いている様に、民度・・・誰の責任でもない・・この国の民度が問題と言う事は、当然、己にも責任が有ると言う事・・・
責任が有れば、当然、背負う義務も出て来る。

何を背負うのか????・・・

孫の守・・・・

昨日もだが・・・午前中から・・・次男が孫を連れて来訪・・・

孫守で我家も忙しい・・・・

保育園も、出来るだけ、自宅で面倒を看てくれとの事・・・・次男は休職中なので・・・我家に二人の息子を連れて、来訪している。

各自が、出来る範囲で、今回の感染症への対応協力をする・・・三流だが、我家族も出来る範囲で、行っている。

廃品回収業の後輩も、仕事に成らないと・・・昼食を食べに来ている。
もてなしは出来ないが・・・・金欠の我家でも、出来る範囲で施しを行っている。

何度が書くが・・・お互い様と言う考えに成る。

勿論、当事者、施しを与える方は、大変だし・・・きつさも増す・・・しかし、誰かがこの処理をおこわ中れば、社会が壊れてしまう。

国難と言われる・・・当然、国民として、難をどの様に分担するかに成る。

私も異端で、魚外観を抱く、社会だが、それに属している為に、国民と成る。
国民としての責務・・・・今は、難の分担だと考えている。

各々、立場も力も違う・・・その分で、責務をどう果すか・・・

当然、三流で異端の私だが、責務が有ると言う事に成る。

どう背負うかと言う事に成る・・・・社会人、当然、色んなものを背負い続けていると思う・・・・しかし、最近は、背負う事より、背負わない方向の考えや知恵が横行しているし、それが正しい、幸せの道と成っているように感じる。
自業自得と成れば、己の家族位は、当然背負う事に成るし、その事が、結果として、稼ぎが減る方向でも仕方が無いと考えている・・・・・・

要は、誰も手伝う人が居ない、状況下を想定して、私の場合、家族を作っているので、我家族内で自己完結できる様に、する事が大事だと考えている。

三流でもこの程度は行わなければ・・・・大きな単位の家族と成れば、国単位に成る。
国内で、自己完結が出来なければ・・・国を越える事に成る。

之を恐れる為に、最近の国家間の状況は・・・閉鎖的に向っている。

要は、小さな単位での自己完結が出来ない為に、大きな括りに、責任が転換されている事に成る。

民主主義国家だと、責任転換を国民が、すれば、それを聞き入れる政治家が良いと成る。

本来、民主主義とは、自立した確りした人が基本であるから、可能である。
自己完結・自業自得を基本に置いて、見えている現実に、疑問を持ち、危機感を持って、どう組み立てるかに成る。
理由は、先に有る、自己完結・自業自得からに成る・・・誰も手を貸さない前提で、どう組み立てるか????之が大事に成る。





維持管理・・・基本を教える。

今日は、スクーターと自転車の掃除・・・・五男に教える・・・・

こんな事も教えないと解らない・・・・之が我が子に成る。

昔は、リムとスポークを奇麗に一本一本磨いていたし、ハブも布切れを巻いて、入っている時に磨く等々のアイデアも使用して、錆から守る・・・之が常識だった。

しかし、最近は、金属の材質も良く、塗装・メッキも強靭に成っている。
結果、数年、何もしない・・・・之が現代の様だ・・・・

触る回数が、雲泥の差と言う事に成る・・・・結果、構造も知ることが無い・・・・

今回も、色んな所が緩んでいた・・・・自転車のカゴ、グラグラする・・・・当然、五男は放置・・・・

重曹とエンジンクリーナーを使った、洗車を教えた・・・・・

後は、注油と、点検に成る。

本来、昔は、地域の先輩たちが幼い頃から、教えてくれていた部分・・・・タイヤの空気を入れる、この事さえ知らない子供が多い・・・

結局は、全て親が教える事に成る・・・・・

修理が仕事の我が子でも、ドライバーと言っても意味が伝わらない・・・・ネギを緩めろと言っても、言っている意味を理解しないし、回せと言えば、どっちに回すかも判らない。
之ほど、無知と言う事・・・

勿論、スマホ等の扱いは凄いと思う。

しかし、現実で生きていれば、維持・管理等々の作業が必要に成る。
この部分を教えなければ、直ぐに、壊れた・・・新調するこの流れに成る。

何度も書く様に、優秀な消費者を作っている事に成るし、消費できる事が、幸せという価値難を植え付けている事に成る。

若し、消費が出来ない、環境に成れば、不幸と成るし、何よりストレスを多く感じると思う。

この様な、優秀な消費者が、普通と言う世の中に成れば・・・今回の感染症での処置は凄いストレスを伴う事に成る。

己の手で、創り上げる・・・この面白みを教えたい・・・・

息子達が・・・

我家に息子達が・・・朝一集まって来る。

一つの目的は・・・不安の少しでも解消と・・・後は、ハイエナ的に、マスクを奪いに・・・
会社勤めの息子の場合・・・宅配業・倉庫業・マスクが必需品との事・・・しかし、マスク不足で会社からの支給が無い・・・その為に、本来は探し回る必要が有るが・・・当然、その様な時間も無い・・・・

結果、我家に来れば、如何にか成ると言う事で、来ると考えている。

勿論、マスクの確保が、私の肩に乗ることになるが・・・・人間関係等々で如何にか今は手に入っている。

しかし、流通業の息子達・・・社会・地域への荷の流れが、肌で感じる立場・・・・
状況が、尋常でないのを感じている様だ・・・・・

彼らは、勤め人・・・勤めが続けが、当然、その束縛時間で対価を頂ける。
仕事の内容や量が、減り続けても、確り保証されている。

私の様に、自営業から見れば、恵まれていると思う。
自業自得の方向性が強いのが、自営業に成る。

しかし、勤め人は、考え様では、依存型に成る・・・その為に、多くを依存したい、それを得る事が、権利だと考えている人も多い・・・・

勿論、之で出来上がったシステムは、当然の様に権利だと思っている。

システムが崩壊したら・・・・・当然、己に本来は成らなければと思うが・・・何故か、上の国等々の責任と言い出す。


国民が勝手に創り出したシステム・・・崩壊したら、当然、国民が責任・・・
要は、国民の声を、形にするのが、政治家、国に成る。

何時も、書いているが、己で自己完結できれば良い・・・出来なければ、出来るだけ小さな社会、家族に成る・・・家族で自己完結できれば良い・・と・・成る。
次は、一族に成る・・・・

若し、之を考えずに、一気に大きな社会に、属してしまえば・・・小さな個人、誰が気付くかに成る・・・・声を出しても、聞く余裕が無いと成る。

要は、疎外感を感じるし・・・・それが不安を助長させる・・・


本来、自己完結・・・・出来るだけ、己でと考える方向が大事だと私は考えている。

目的は、人間、片道切符・・・最終点は、死・・・・・それまでに何を残せるかに成る・・・・残す為には当然、それを維持・管理できる。人を育てる必要も出て来る。

誰のせい・・・・当然、何事も己のせいに成る・・・