今日は、朝一、本業の仕事を行ない・・・
直ぐに帰ってきて、10時半からの介護医療の更新手続きで、問診が有る。
今、それを済ませ・・・ブログUPを行なう事が出来ている。
私も、老いぼれた事に成るし、自覚する時でも有る。
私の中に居る、鬼畜の命が・・・弱まり、人間らしい命の成るのが夢だが・・・今日、朝一の仕事で、急いでお客さんに向かう中・・・・
脇道から出る私の車を、止まって出してくれた大型車が有った。当然、お礼のクラクションと身なりでのアクションを行ない、通り過ぎたが・・・その後、何故、この様な配慮等の感謝は直ぐに忘れてしまうのか????
逆に通して成るものか!!とフロンを持ち上げ加速してくる車等には当然、感謝の思いも無いが、その後、頭に悔しさや憎さに近い、思い、鬼畜の命が強いので残り続ける。事に気付いた。。。
多々の配慮や思いやり等で、感謝の思いが有るが、それはその時点で終っている私が居ることになる。逆に、嫌で苦痛の方向は、覚え続けていると言う、鬼畜命が強い・・・結果、善を頂いたことは忘れ・・・苦や憎さは永遠に蓄積して行く・・・これこそ、不幸な生き方だと思えた。
一杯の感謝を覚え続けて、苦や憎さはその都度に忘れていく・・・この方が幸せに私には思える。
勿論、その資格が私には無いから、その様に思えるだと思う。
これも若いとき、先輩から言われたことだが、良い人は直ぐに忘れ去れれる・・・・憎い人は死んでも覚え続けたらる。
人のイメージに残り続けようと思うなら、どちらを選ぶか????・・・・憎まれる立場が、イメージに残り続けると言うことに成る。
勿論、私の周りだけでの世界で、日本国の一般的な事で無いと思うが、善人が多くて、良い人が多いのが日本国・・・・
鬼畜の命を持った人など、日本国には居ないと思うが・・・
少しは、人間に近づくために、感謝は覚え続ける努力・・・憎しみは直ぐに忘れる努力・・・これを自然に出来るようにならなければと思っています。