2021年3月28日日曜日

次男が来訪・・・

 次男が、息子の自転車の補助輪取り外しと、サイドスタンド取り付けの為に来訪・・・・・

当然、私のお仕事に成る・・・・

四男・五男と乗り継いだ、スクーターは今次男が乗っている。

燃料がカラだと、私の内緒貯金の500円球を握りしめて、ガススタに向かっている間に、作業を終わらせ、今は、五男をアルバイト先に送り届けて、帰ってきた。

孫が上手に自転車に乗れている・・・すごい勘の良さ・・・ペダルの無い自転車に前は乗っていたので、倒れない為の勘は残っている様だ・・・・

色々、起きるし、刺激が有ることが、今後、還暦を超えた私には、ボケ対策には良い事だと思っている。

心配が有る事は、良い事なのかもしれない・・・・ボケる事が、これから私の場合、一番怖い事の様に感じている。

特に男のボケ老人・・・・対処が難しい・・・又、娘を持たない私の場合、女の手が居る場合、息子嫁に成る・・・これを考えると、当然、怖いと成る。

要は、必要とされている時が幸せと言う事・・・・何の心配も無くなったら、死んだ方が良いと言う事にもなる。

背負っている責任が、結果的に、私を生かしている可能性が有る。

背負っている人にも感謝が出来る、己に向かっていると言う事にもなる。


孫も、大きくなった、来年は小学校一年生・・・・早いものだ・・・・

四男が来訪・・・

 車検書が無いと、騒いでいたが・・・覚悟が決まったのか????・・後の対処方法を考えている様だ・・・・念のために、私の前の商用車の中も探すと成り・・・ダイハツに向かって、再度調べたが無い、その時にダイハツの人に、廃車等々の手続きで、車検証等が無いと言う事を言って、情報を得ていた様だ・・・

彼も、成長している。己の無知を埋める為に、素直に人様に頭を下げて教えてもらっている。

話を聞くと、若嫁の父、義母の父・・祖父に成るが・・・四男の為に色々してもらっている様だ・・・・義父も長男として育っているが、何故か、嫁里の古い方の家に住んでいる。

義父の実家も有るが、その家は弟さんが家長として対処されているとの事・・

隣町に有り、この状態を考えると、義母の価値観に何かが有ると言う事の、察しが付くことに成る。しかし、この様な素振りを見せると、この様な価値観の人は一気に興奮数r可能性が有るので・・・腫れ物に触るように、接し羅れている可能性もある。

その娘、私は、腫れ物に触るを超える、扱い方をしないと、直ぐに感情として目に出るタイプ・・・・恐々接していたが、嫁は、その部分の配慮が欠け、喧嘩になっていたと言う事にもなる。

筋が解る、父・祖父と私は思っていたし、当然、義父は若いが・・・祖父がその部分をカバーすると言う思いが有られたので、結婚を認めた部分も私には有ったが・・・

向こう側で、四男のカバーを周りの男たちが行っていると言う事で、一安心に成る。


彼も、足元が変わった、その場に即した、行動が求められる。要は、昔、婿養子に成る息子に言って居たであろうと思われる・・言葉を掛ける事に成る。

向こうの人達に、可愛がられる言動をせろ・・・要は、その一族・一家の色に染まれと言う事に成る。

嫁と言う部分を強調し、貰い受けに行った私・・・私のこの考えが、相手の祖父にはわかっていると思うし、逆に成れば、当然、婿としての考えも私には有ると言う事にもなる。

四男が、顔を合わすと、「ごめん」と私に言う・・・彼も背一杯の私への表現だと考えている。

勿論、くれた訳では無い・・・しかし、その覚悟が必要に成って来たとも思う。

とうとう・・・・四人の息子を、取られたと成るし、くれると言う、男気が私に有るかを問われている事にもなる。

嫁には惨いと思うが・・・・之も、現代の流れなので、仕方がないかもしれない。

それを、息子たちが、現実として見せてくれていると言う事にもなる。

しかし、考えようでは、私が背負う、人々が減る方向には成る・・これを良しと考えるか???悪しと考えるかに成る。

この様な部分が見える人が、嫁の周りには多いために、我が娘と結婚させたいと言われているのかもしれない。


要は、一人に背負われることは無いと、私の環境は見られていると言う事にもなる。

五人の息子達・・当然、その嫁が居て、孫達が居る、多くの人間が各々の分で背負えると言う事にもなる。

要は、余力の部分で良いと言う事にもなる。

私は、鬼畜と己を思うのも、全てを尽くせ、誰に、当然、相手が居るなら、私にと成る・・・この価値観が、鬼畜と言う事にもなる。

何度も書くが、相互扶助・・・・縁も所縁も無い、人にもと言う事に成る。この部分が私は認めきれない、駄目は人間だし、鬼畜と言う事にもなる。

人様の為に生きれと教えていて、最後は己に、これが私は抜けないで居る。

三流と言う事にもなる。

彼達の生活のホローをしてもらっている、感謝に成る。

これを余計な世話と捉える人が居るが、その様な人の周りにはそれをホロー出来る人が居るから、生きられていると言う事にもなる。

若し、居なければ、大変な方向に向かう事に成る。


四男に、義祖父を大事にと言って、帰って行った。


人間の素晴らしさ・・・イメージできる・・騒動できる・・・

 人様と話すと、色んな知恵を頂ける・・・・その人・その人で歩んだ道のりは違うが、その体験談は当然、有るし、それを聞くことで、当事者として己はどう対応したか等々も、想像が出来る。

身に危険を晒さず・・・他人様の経験を、知ることが出来る、すごい能力だと私は考えている。

要は、その様な、多くの体験等を聞き・・・何に使うかに成る。

之が、その人の、本質と言っても良い・・・・己の為と成る人が当然、多いと思うが、己とは????この答えも、知らないで、何故かその様に思い込む習性が人間には有るようだ・・・

その為に、昔から、大志を抱けと言われる・・・・何の為に、学んでいるのか???

しかし、最近はこのイメージさえ行わない、この様な人も増えている。

何故、他人様の体験等を、求めないのか????その余裕が無いのか????

それ程、日々の生活に追われているのか????・・・私にはその様に見えないが・・・不思議な現象ともいえる。

私の先輩は、体験談より、己で経験する事の方が、現実が解ると言われていた。

私は、三流で劣っているので、想像力も無いと思う、結果、経験で事を学ぶことにしている。

親と言う立場も、経験し、少しは解るようになった。

家長と言う立場も経験する事が、少しは解るようになった。

勿論、人の子として生まれ、この気持ちも少しは解っていると思う。

先のブログにも書いたが、昔は娘をメタと言っていたと書いた・・・その理由は、多くの子が居たと言う、現実が有るし、当然、家と言う単位を守るためには、一人の男子が居れば良い・・・それに嫁を貰い受け、子孫が出来れば、その時は守れると成る。

私の年代の同窓には、末子として生まれたが、上に四人の姉が居ると言う、人も居る。

我が年代の頃は、男子を生むまでと、考える親が多かった。要は、くじ引きで例えると、女子はハズレ・男子が当たりと言う事に成る。

又、家を一人の男子で守れるか、人間の為に、寿命が解らない、幼くして死ぬ場合も昔は有ったので、結果的に、多くの子が居たと言う事にもなる。

何度も家を会社と例えるなら、今後の後継者候補が沢山いる、会社が、安心できる。

居ない会社、安心は出来難いと思う。

多くの後継者候補から、選べる位の方が、優秀な人材を選出でき易いと私は思う。

しかし、現代は、家が多々ある・・・会社が多々有る・・しかし、後継者が居ないと言う現実が有る。

当然、後継者は、後世に向かての責任が有るので・・・後継者を輩出できる能力も必要に成る。

男子は子が産めない・・・結果 嫁を娶れるか・・又、後継者が生まれるかも大事な事に成る。

現代は、それにプラスして、嫁に成る女子が、メタと言われていた娘かにもなる。

理由は、よそ様にくれる事が出来ない娘かも知れないと言う位の少子化に成っていると言う事に成る。

若し、家が核家族化に向かって、多々ある・・・・祖父母の家・等々が一人の子に乗っていると言う事も有る。

仮に、祖父母が居る。当然両親が居る、これで、二世帯に成る。二つの会社と言う事・・・

結婚した場合、当然、相手にも同じだけ有ると想像が出来る。

要は、己の会社と、二親の会社・・・祖父母の会社を担う事に成る。

私の従弟に、嫁の里の家・その上の祖父母の家が有り、それを守ってくれと言われていたが、出来ないと嘆いでいた。理由は、己の親の家が有るために成る。

要は分所帯が続くが・・・最後は誰が看るのか???・・・当然、無理に成るし、合所帯と言う事も考えなければ成らないことに成る。特に墓等が、問題に成る、○○家の墓に他の○○家が入ると言う事にもなる。

私の嫁は、周りから、私の娘と結婚してくれ等々の依頼が多々あると言っていた。

勿論、現代、子は自由恋愛で結婚しているので、その様に成らない。

何故、私達の息子が、選ばれているのか????・・・理由が有ると思う。

又、嫁と同じ年齢の奥様達が話す内容は、私たちは葬式もしてもらえない、放置されると言われる人が多いとの事・・・これを不安視してあるとの事・・・・

それを聞くと、私は、親の育て方だから、自業自得だろうと言うが・・・嫁は納得していないようだ・・・

子は育てたが、親の思うようになっていない、子供に対しての影響力は社会の方が多いと言う事を言うし、その為い、親の責任と言うより、社会の責任と思っている、しかし、社会を形成しているのも、己に成る。

動物も同じだが、生き難い環境に成ると、何故か、多くの子孫を残す・・・・要は血を継承する為には、多くの子が必要と言う事に成る。

人間も同じだと私は考えている。私は生き難い世の中と感じている。結果、多くの子孫を残す事に、意味が有ると考えている。

後継者、悪く書けば、背負っていただける人とも成る。

私は、三流で劣っているから、当然、老いれば今以上に劣ることに成る。背負っていただける人が必要と成ると言う事・・・・それが解るし、社会としては、生き難い方向に向かっているなら、多くの背負う人を育て・・・分担させれば良いと考えている。


しかし、現実は、背負っていただける人を育てていない・・・その為に無理しても手に入れる方向も出て来る。

先にも書いているが、多くの背負う人が居ると言う現実に対して、背負ってくれる人を輩出しているか?????

之が有るから、若い時は、甘く考え・・・子も一人で良いと、娘が生まれた、社会の風潮として、女も男も、同じと言う価値観に向かっている。

娘に背負われる事を願う方向に、歳を重ね老いを感じ出したら、思うようになる。

娘に・・・・・娘家族、又、その親と・・・多ければその上の祖父母と・・・

以前書いているが、高寿命化に向かう、日本・・・・少子化と言う事は、人の数を表せば・・・・現役の夫婦二人で、看ていく可能性が出る、人数は・・・・当然、我が子、これは数人か一人・・・・当然、夫婦二人に親は四人いる。祖父母と成れば、鼠算に増えだす。

16人に成る・・・長寿命の現代・・・これ以上に増える可能性もある。

要は、20人が厳然と居る事に成る・・・勿論、短命で終われば、数は減るが・・・それに新たに生まれる、我が子が加わる・・・・

この様に考えれば、核家族の怖さも解り出す。

家に現役の人が居れば良いが・・居なければ、誰かが世話をすることに成る。

核家族の弊害に成るし、現実に輪が住む、田舎・・・独居老人が増えているし、今日も行政区の総会が有ったが、危機管理として、誰が誰を対処していく等々も話された。

昔なら、当然、現役の人が家には居た・・・その為に、各家庭の中に入り込む話等々無くても良かったが・・・現代は、家の管理も出来ない、高齢者が増えている。

周りに生える草等々の撤去等々の問題も出てきている。

当然、地域保全は住民が行う事が本筋と思うが、出来ない人が増えている。結果として税金が投入される方向に向かっている。これが意味することは、昔ながらの生き方をしている人には補填が無いと言う事・・・・勿論、税金の補填と言う事に成る。

家族から放置された高齢者に対して、多額の税金が使われていると言う事も、問題だと私は考えている。

これを各と、全ての人間が、この様に成れば、全て平等と言う人も居るが、家畜として平等が、平等とは私は思わないし、結果として、税金が上がるなら、現役世代の負担が増える事にもなる。要は、子を産むこと自体が、不幸にすると言う事にも繋がって行き・・・少子化に拍車を掛ける事にもなる。

若し、この立場で、血の義務を話せば、怖くて、聴かないと思う。理由は、俺が何人背負えばよいかと、悩みだすと思う。

幼い時から教え続けていても、出来れば避けたいと考えているのが、今は一般的に成っている。

生物として血の義務さえ放棄する・・・生物と言う事からさえ逃げている事にもなる。

要は、恩と言う事さえ、無視する流れも、この部分が原因と考えている。幼いころから多々の人、特に血族の人からの恩を頂いている事は解っているが、それに対して返すことが可能なのかを考えると・・・・無理と言うのが現代に成る。

又、少子化が、多大の恩を与えている。恩を返せと言われても・・・・と成るのは必然と私は考えている。

私は10人近い孫が居る・・・又、私は力も無い・・・結果、恩を与えたいと思っても出来ない。

くそ爺と言われても仕方がないと思っている。

次男の息子二人は、嫁の里の親から見れば、初孫だし、二人しか居ない、その為に色々と買い与えて貰っている。

これに対して、勝ちたいとも思わない・・・出来ない事は出来ない・・・

私の嫁に言わせれば、物で釣っていると言うが・・・之も現代の一コマだと私は考えている。

長男は、完全に嫁里に取られたと嫁は考えている。それに足して次男もと言うのが、母親として、納得できないでいる。

三男も、その方向性に進んでいる。

四男は、完全にがんじがらめに、成ってしまっている。


稼ぎ手の、家へ利を入れる人を、現代求めている・・・当然、男子と言う事・・・・

私の後輩も、期待していた息子が、取られたと嘆き、我が家に来たが・・現代仕方がない。

要は、家の為の稼ぎ手、用務員のオジサンが、必要だが・・・それを外に求めているし、昔と違い、婿養子と言う事に成ると、多大な金額が必要だったが、自由連来で、男も女も平等と言う、部分から、囲い込みをすれば、簡単に手に入れる事が出来る。

特に、最近の男子は、上司に対して、ワンと言って尻尾を振る、男子がモテる様だしそれを、求めている女子が多い・・・結果、男とはそれに向かう事に成る・・・

しかし、それが、良い方向かどうかは、100年後の社会が、生きやすいかどうかで決まることに成る。




嫁の意味が解らないなら、婿入り養子も解らない・・・・

 叔父が来訪・・・幼く亡くなった息子の五十回忌の法事の件で来られたとの事・・・

私は、行政区の総会に参加していて・・・会えなかったが・・・・

叔父に、四男の件を相談したとの事・・・叔父曰く・・・四男をくれて、養子として話して来いと言われたとの事・・・・要は婿入りとして話に行けとの事・・・・

昔なら、嫁里が余りにもしゃしゃりでる・・・介入してくる等々、あり得なかった・・・しかし、叔父の息子の時も、嫁を貰い受け結婚したら・・・嫁里が色々な事にしゃしゃり出てくる・・・要は、何方の所有物化と言う事に向かう・・・・本来、くれたから貰ったと言う形・・・くれた・捨てたものに対してしゃしゃり出る、所有権を主張する等々、昔は無かったが・・・・叔父の子供の結婚の際も、起きたとの事、その為に、息子を婿入りと言う形で、話をつけたとの事・・・・当然、その時代、婿を貰うと言うと、それなりにお金が必要に成る。養子と言う事にもなる。

その後、くれた息子、我関せずと言うスタンスと取り続け・・・・結果、離婚・・・孫も成人していたので・・・息子がその家を出てから、又、関係が息子に戻ったとの事・・・・

孫達も、何故か、私の叔父になついているし、何時も、来訪してくるらしい・・・・


要は、くれた側がその様にしゃしゃり出るなら、婿養子と言う方向で、話をつけろと言われたとの事・・・・


しかし、嫁と言う意味も解らない、人達に、婿養子と言う意味が解るのか????

前回、引っ越しの際に来られた、若嫁の父・・・昔なら勘当ものですよと言っても、?????状態・・・出ても、息子さん、親としてお金等は協力してくださいと当然のように言われる姿を見て・・・・婿養子と言う意味を理解できないと私は勝手に思っている。

夫婦別姓が論議に成る現代・・・・・家と言う単位が無い・・・そうなれば、何度も書くが、負と得の捉え方で・・・大変化事に成る。

我が子と受け入れる、要は、会社として家が、人を受け入れたなら・・・負も利も全て受け入れると言う事に成る。

しかし、個としての考えなら、個人には負も利も有る・・・その負を誰が背負うのか????当然、負を背負う事も必然と思う人が多い世界なら、良いが・・・負から逃げる人が多い世界なら・・・当然、個も守り切れない事に成る・・・・

私は西欧的と言うより、大陸的価値観を、良く思わない・・・理由は個が生きこのる価値観を磨いている。

日本国は、家・一族を守る、価値観が個より大事だと言う、価値観の歴史が長い、結果、多くの家・一族が、長い歴史・文化を継承できているし、私は凄い事だと思っている部分に成る。

世界で一番長く続く企業は????答えは日本国に有る。

明治維新後、大陸的価値観が、家に入り込んでいる。結果、家が滅びる方向に向かう、理由は、家より個が大事だと言う価値観に成る。

私は家が有るから個が有る。逆に個が有るから家が有ると言う、バランスした状態が、一番良いと考えている。

個は何時かは滅びる、要は死ぬ・・・しかし、家は残り続ける・・・永遠性が有る方向を私は大事にしたい。

しかし、世間の風潮も、変わってきている。

個を尊重しすぎる為に、集団としての最小単位の、家族・夫婦さえ維持できない方向に向かっている。

夫婦別姓の一つの意味は、自由恋愛で、子をつくれ、少子化対策に成る、個と個が知り合い、子を作り、その後は考えていないと言う流れに成る。

要は、益々、家畜化へと人が向かっていると言う事にもなる。

以前も書いているが、現代、嫁と妻の違いも判らない人が多い・・・

嫁を貰い受けに行くと言う、言葉は残っているが、意味を理解していない・・・

貰うと言う事は、くれる人が居るからに成る。

くれると言う事は、くれたものに対して・・・権利等々を放棄したと言う事にもなる。

勿論、若い青年が、力もなく、貰い受けに行っても、力が無いと、了承を得る事は出来ないと思う、その為に、家と言う単位で、貰い受けしていた。

権利を放棄する側にしてみれば、安心できる力が有る方が良いと成る。

我が地域では、女の子をメタと言っていた、理由は、人様にくれると言う部分が有るからに成る。育てても意味がなさない、要は利を生まないと言う事にもなる。

その為に、女子が学問をする等々、難しくなることは必然と成る。

少子化が、結果として、女子にも投資する親が増えたと言う事・・・投資しているので、当然、配当見返りが必要となる。

その部分を主張する人も当然 出て来ることに成る。

四男の本題に戻るが・・・・若嫁の親も40歳前後・・・・婿養子の件を話しても、当然、意味が解らないと成ると思うし、怖いのは己の解釈で良い方向だけを受け入れると思う。

要は、負も利も含みと言う部分が解っていないと考えている。

その様な、人と話して、意味が有るか????良い様に解釈され、逆にトラブルの種を残すと私は考えている。

負が発生すれば、当然、一家の家長は、四男と思い込んでいる。○○家とは成らない・・・

分社化された、会社と言う事・・・・家長の親はと成れば、当然、私に成る、それが処理することが、普通と思い込むと考えている。

会社に例えると、支店に成るのが、息子たちの家族に成る。

本社は我が家に成る・・・・しかし、本社が変わると言う事が、婿養子と言う意味に成る。

本社が変わっているのに、過去の本社に、負の部分を押し付ける、これが普通と言う価値観が蔓延しだしていると言う事にもなる。

要は、負を誰も背負わない・・・結果、負は世の中に残り続ける、誰も処理しない・・・当然、乱れ・汚れ出す・・・・空気事態も重く感じる世界に成る。


この様な感覚が、無い、親の子が、結婚・・・当然、添い遂げる事が不可能に近づくことに成る。

長男の最初の嫁の親とも似ている・・・私は一流と言う振舞いをされる、当然、頭を下げられた姿を見た事が無いし・・・頭を下げる等々、価値観に無い人と思える。

結果、利は求めるが、負は避けると言う事も、様相を見ているだけで解る。

この様な姿が、自慢・格好良いと思われる価値観だと私は想像する。

何度も書くが、ブランド品で身を固め、格好よく、振舞っている世界は、地獄だと言う事・・・常時、喉が渇き、藻掻いている事にもなる。

家と言う単位で考えれば、子供さんが三人おられたが、全て崩壊している。

昔から、嫁を貰うなら、親の姿を見ろと言われていたが、その通りだと私は考えている。

しかし、人とは不思議だ、色の違うものを求める本能が有る。

之も、バランス・・・いろんな物が混ざり、どうなるか????・・・・

私は、知恵・文化の継承が大事だと考えている。

個が全てに成れば、当然、個は長くても100年未満で滅びる・死ぬ・・・

大陸的な価値観と書いているが、数千年の歴史が有ると言われる、中国・・勿論、物と言う形・イベント等の、事柄は継承が有るかもしれないが、知恵や価値観の継承は続いたか???

中華人民共和国と今は言われる、歴史は、先の大戦後からに成る。

100年未満の歴史と言う事、人の寿命とほぼ一緒・・・・当然、個が大事と言う価値観が蔓延しているので、これ以上に成ると、維持が蒸すかしいと思うし、その維持には多くの犠牲が出だすと考えている。

昔から、三代続けばと言われるが、長くても300年程の成る歴史、又、継承等行われないと言うより、過去を知恵・価値観を全て崩壊させる代替わりで来ている。

その為に、民衆は・・・宿主が変わる都度に、右往左往する事にもなる。

要は、何も持たない方が、対応がしやすいと成る・・・結果、個が優先されることに成る。

要は、今いる人で、一番危険性が有り、信用できない人は???との問いに、己の周りと成る・・・価値観と言う事にもなる。

要は、地獄図絵状態と言う事にもなる。己の場を変えたいと言う、思いが強くなる・・・その為に、頑張り、目指すと言う事に成る。

何処を目指すか????・・・・本来は、今いる足場を改善と言う事が本筋だと思うが・・・他を目指す・・・

之が、現代、我が国の国内で起きている。

要は、亡国の価値観に染まり出したと言う事にもなる。

この様に成れば、当然、締め付けが始まる。要は、全・良い方向と言う題目で誘導しだす。

善悪の二極化・・・本来、同体だと私は考えているが、別にしてしまう。

私の危惧している部分に成る。






今日は桜雨・・・・

季節は、桜の満開時期に成った。

感染症の問題で、花見と言う行事、イベントも中止されている。

しかし、自然は毎年、桜を満開にする季節に、成っている。

平年通りに進む、自然の時間が有り・・・その中で生きる人間は????・・・大騒動の状態になっている。私は、去年から、時間が止まっている様に、人間の時間を感じる。本来進み続けるものだが・・・・

今日は、花の演舞を終わらせるためか????桜雨が落ちている・・・・・

季節は、春が終わり、夏に向かうと言う時に成って来た。

春を目に留めようと・・・・ここ二日・・桜見をいろんな場所で楽しんでいる。

仕事の途中等々・・・・桜な名所と言われる所に伺い、春を味わっている、感謝と考えています。

逝った母は、今年の桜が見れるか???・・・之が口癖だった・・・今年は母の13回忌を行う・・・病院の駐車場に有る桜の花を見られた事が、最後に成る。

桜が散る時期を見届けて、旅だった・・・・

今は、母の望みで、桜が囲まれた、高台の墓苑にて楽しんでいると思う。

私は、母から、覚悟を学んだ・・・・父の仕事を手伝い、その中で、機械に巻き込まれ・・腕の皮膚を剥がれた・・・・結果、血液製剤で出来ている、人工皮膚を使い、治療している。この時に、肝炎のウィルスが入ったと思うが・・・母は、一言もこの事を言わなかった。肝臓ガンとは、言わなくても知っていたし・・・C型肝炎の治療も断っている。

要は、己の人生、悪足搔きをしないと言う、男らしい生き方を私に見せてくれた。感謝している。

我が人生に悔いは無い・・・この覚悟を私は感じていた。

私には、強い母親を演じていたかもしれない・・・逝く三日前まで、己の足でトイレにも行っていた。この事は、私が母に最期まで己で・・これを行ってくれたと感謝している。

要は、桜を見ると、母を思い出すと言う事に成る。

色んな桜の花が有る。それを、最近は見て回る、これが習慣に成っている。

母は、私が駆け付けたその時に、息を引き取った・・・桜の散り方に似ている。あっ気ない散り様を見せられた。

何を私に託したかったのか????・・・・これを、母の死後・・常時考える事に成る。

孫達の生末を心配していたし・・・特に、離婚した長男の子供にこの思いが強かった。

○○家の長兄の血を引く・・・孫達を、最後は引き取れとも言っていた。

又、生まれ変わることが出来るなら・・・この家、○○家に生まれて来て良いかとも言っていた。

嫁として、○○家に入ってきた人だが・・・命から○○家に染まった人だと思ったし、母は嫁として凄い人だったと思う・・・・倒産、膨大な借金を母の采配で、返すことが出来た。

要は、家の大蔵大臣・・その立場を死ぬまで続けてくれた。

要は、○○家に属する人間は、負が有る・・・世間様に対して、迷惑を掛けた部分は当たり前として返済する・・・それ迄は、普通の人では無い・・・返済出来てもその肩書が有るから、未だ普通でない・・・その為に、恩等の迷惑を掛けた部分は、倍返しで、初めて、普通に成れる。これを、孫達、上の二人の孫には確り、語っていた。

結果、悪ガキだったが・・・稼ぐこの部分は、確り行っていたし、当然、家が借金だらけと言う部分の知っていたので、高校を辞める、これも少しは家の為と言う部分が有ったと思う。その二人の兄たちが、三男には、お前は肩書が無ければ、生き抜くことが出来ない・・だから、高校だけは卒業せろ・・要は、生きる能力が無い事を、見抜いていたし・・・その逆に、上二人の兄達は、俺たちは生き抜く事が出来ると思っていた様だ・・・

それを、母親は見ていた・・・母も彼達が辞めると言った時は、私に、認めてやれと言っていたが・・・母は見抜いていたと思う。

母の期待に副う・・・・今に成っている、一国一城の父親と成っている。中卒の市内で有名な、悪ガキ兄弟が・・・・家を建て、地域の為に奮闘している。

しかし、機能、心配が有る、問題が有ると思っている、三男家族が来訪・・・この事は後のブログに書くが・・・大した若嫁と、頭が下がった。アホの三男、分が超える良妻に成る。

次に、四男だが、車の件で奔走している、無駄と思っているが、それも勉強と考えている。

経験・体験等で、近道は知っているが・・・遠道をさせるのも勉強に成るし、己の無知さを知る、機会に成る。

その様な、上の兄達を見て、育った、五男が楽しみである。若し、宿主に成りたいと言う価値観なら、今見ている事は、役に立つ。

逆に、寄生虫に成りたいと言う、価値観なら、多くの事を親たちからしてもらった兄、当然、己もしてもらえると捉えていると思う。

その彼に影響を与えている、社会・国は当然、優秀で一流の人が多い、これを前提に考えると、宿主に成れと教えていると思う・・・・若し、乞食根性の、強さで一流や優秀と言っているなら・・・優秀な寄生虫を目指すことに成る。

父親として、宿主に成れと私は、教えている。私の母も同じだった。

勿論、地域・社会も、この様に教えていると思うが・・・肌に感じる部分は逆の知恵を与え続けている様に見える。

若し、世の中全ての人が寄生虫なら・・・宿主が居ない・・・存続できないと成る。

この部分もバランスだと考えている。寄生虫には成りたくないが、宿主にはそれ以上成りたくないと言う人お出て来る。

之が、個人主義と言う人も出て来る。

全てが崩壊に向かう、価値観と私は考えている。

三流で、劣っている私でも、100年後・・1000年は無理だが、考えている。

人の寿命が80歳・・その二割増し程度が考えられる・・・・しかし、無に成るか、何を残せるか???程度は、能無しの私でも想像できるし、考える事が出来る。

子供達が生きる、世界・・・孫達が生きる世界・・ひ孫達が生きる世界・・と、子孫が増えるに従い、その年数も伸びている。

彼達が生きる世界が、少しでも過ごしやすい環境に・・・之が、私の欲に成るのは当然と思っているし、人間だから思える事だと考えている。

何度も書くが、鬼畜の命を持っている、私が、人間に近付いていると言う事にもなる。

本来、鬼畜が住む世界は、地獄に成る・・・地獄さえも幸せと思える価値観と言う事・・・若し、地獄の環境が不幸と思うなら、そのレベルに成らない様に、努力するのが普通と思うが・・・

私は鬼畜だから、周りから、地獄の様な環境と言われるが、私は、楽しいし・面白いと思えると考えている。

鬼が、人間を育てる・・・之も面白い・・・数百年後、私の子孫が人間に成っていてほしいと願っている事にもなる。

勿論、今の環境も、人間に近付きたいと思っているので、単に浸っているわけでは無い、改善を続けることに成る。

その改善が、私の命の奥にある・・・部分で、方向性が決まると言う事・・・変えると言う事は、善悪の両方に成る・・・・私の命の奥にある、部分が、仏か???・・・・逆の悪は無いと思っている、若し、逆ならこの世に生まれていないと言いうのが、私の見解に成る。

この世に生を受けたと言う事は、命の奥底に仏を抱いていると、信じている。

私は、それを鬼畜が囲んでいると思っている。姿は人間だが、心は鬼畜・命は仏と言う発想にもなる。

雨に濡れた、汚い子犬を助けたいと、幼い時に思う、心・・・そこに命に有る仏が作用していると思っている。

その部分を信じているので、人は全て、尊いと考えているし、生物は尊いと言う事にもなる。最終的に、宇宙全体が尊いと言う事にもなる。