季節は、桜の満開時期に成った。
感染症の問題で、花見と言う行事、イベントも中止されている。
しかし、自然は毎年、桜を満開にする季節に、成っている。
平年通りに進む、自然の時間が有り・・・その中で生きる人間は????・・・大騒動の状態になっている。私は、去年から、時間が止まっている様に、人間の時間を感じる。本来進み続けるものだが・・・・
今日は、花の演舞を終わらせるためか????桜雨が落ちている・・・・・
季節は、春が終わり、夏に向かうと言う時に成って来た。
春を目に留めようと・・・・ここ二日・・桜見をいろんな場所で楽しんでいる。
仕事の途中等々・・・・桜な名所と言われる所に伺い、春を味わっている、感謝と考えています。
逝った母は、今年の桜が見れるか???・・・之が口癖だった・・・今年は母の13回忌を行う・・・病院の駐車場に有る桜の花を見られた事が、最後に成る。
桜が散る時期を見届けて、旅だった・・・・
今は、母の望みで、桜が囲まれた、高台の墓苑にて楽しんでいると思う。
私は、母から、覚悟を学んだ・・・・父の仕事を手伝い、その中で、機械に巻き込まれ・・腕の皮膚を剥がれた・・・・結果、血液製剤で出来ている、人工皮膚を使い、治療している。この時に、肝炎のウィルスが入ったと思うが・・・母は、一言もこの事を言わなかった。肝臓ガンとは、言わなくても知っていたし・・・C型肝炎の治療も断っている。
要は、己の人生、悪足搔きをしないと言う、男らしい生き方を私に見せてくれた。感謝している。
我が人生に悔いは無い・・・この覚悟を私は感じていた。
私には、強い母親を演じていたかもしれない・・・逝く三日前まで、己の足でトイレにも行っていた。この事は、私が母に最期まで己で・・これを行ってくれたと感謝している。
要は、桜を見ると、母を思い出すと言う事に成る。
色んな桜の花が有る。それを、最近は見て回る、これが習慣に成っている。
母は、私が駆け付けたその時に、息を引き取った・・・桜の散り方に似ている。あっ気ない散り様を見せられた。
何を私に託したかったのか????・・・・これを、母の死後・・常時考える事に成る。
孫達の生末を心配していたし・・・特に、離婚した長男の子供にこの思いが強かった。
○○家の長兄の血を引く・・・孫達を、最後は引き取れとも言っていた。
又、生まれ変わることが出来るなら・・・この家、○○家に生まれて来て良いかとも言っていた。
嫁として、○○家に入ってきた人だが・・・命から○○家に染まった人だと思ったし、母は嫁として凄い人だったと思う・・・・倒産、膨大な借金を母の采配で、返すことが出来た。
要は、家の大蔵大臣・・その立場を死ぬまで続けてくれた。
要は、○○家に属する人間は、負が有る・・・世間様に対して、迷惑を掛けた部分は当たり前として返済する・・・それ迄は、普通の人では無い・・・返済出来てもその肩書が有るから、未だ普通でない・・・その為に、恩等の迷惑を掛けた部分は、倍返しで、初めて、普通に成れる。これを、孫達、上の二人の孫には確り、語っていた。
結果、悪ガキだったが・・・稼ぐこの部分は、確り行っていたし、当然、家が借金だらけと言う部分の知っていたので、高校を辞める、これも少しは家の為と言う部分が有ったと思う。その二人の兄たちが、三男には、お前は肩書が無ければ、生き抜くことが出来ない・・だから、高校だけは卒業せろ・・要は、生きる能力が無い事を、見抜いていたし・・・その逆に、上二人の兄達は、俺たちは生き抜く事が出来ると思っていた様だ・・・
それを、母親は見ていた・・・母も彼達が辞めると言った時は、私に、認めてやれと言っていたが・・・母は見抜いていたと思う。
母の期待に副う・・・・今に成っている、一国一城の父親と成っている。中卒の市内で有名な、悪ガキ兄弟が・・・・家を建て、地域の為に奮闘している。
しかし、機能、心配が有る、問題が有ると思っている、三男家族が来訪・・・この事は後のブログに書くが・・・大した若嫁と、頭が下がった。アホの三男、分が超える良妻に成る。
次に、四男だが、車の件で奔走している、無駄と思っているが、それも勉強と考えている。
経験・体験等で、近道は知っているが・・・遠道をさせるのも勉強に成るし、己の無知さを知る、機会に成る。
その様な、上の兄達を見て、育った、五男が楽しみである。若し、宿主に成りたいと言う価値観なら、今見ている事は、役に立つ。
逆に、寄生虫に成りたいと言う、価値観なら、多くの事を親たちからしてもらった兄、当然、己もしてもらえると捉えていると思う。
その彼に影響を与えている、社会・国は当然、優秀で一流の人が多い、これを前提に考えると、宿主に成れと教えていると思う・・・・若し、乞食根性の、強さで一流や優秀と言っているなら・・・優秀な寄生虫を目指すことに成る。
父親として、宿主に成れと私は、教えている。私の母も同じだった。
勿論、地域・社会も、この様に教えていると思うが・・・肌に感じる部分は逆の知恵を与え続けている様に見える。
若し、世の中全ての人が寄生虫なら・・・宿主が居ない・・・存続できないと成る。
この部分もバランスだと考えている。寄生虫には成りたくないが、宿主にはそれ以上成りたくないと言う人お出て来る。
之が、個人主義と言う人も出て来る。
全てが崩壊に向かう、価値観と私は考えている。
三流で、劣っている私でも、100年後・・1000年は無理だが、考えている。
人の寿命が80歳・・その二割増し程度が考えられる・・・・しかし、無に成るか、何を残せるか???程度は、能無しの私でも想像できるし、考える事が出来る。
子供達が生きる、世界・・・孫達が生きる世界・・ひ孫達が生きる世界・・と、子孫が増えるに従い、その年数も伸びている。
彼達が生きる世界が、少しでも過ごしやすい環境に・・・之が、私の欲に成るのは当然と思っているし、人間だから思える事だと考えている。
何度も書くが、鬼畜の命を持っている、私が、人間に近付いていると言う事にもなる。
本来、鬼畜が住む世界は、地獄に成る・・・地獄さえも幸せと思える価値観と言う事・・・若し、地獄の環境が不幸と思うなら、そのレベルに成らない様に、努力するのが普通と思うが・・・
私は鬼畜だから、周りから、地獄の様な環境と言われるが、私は、楽しいし・面白いと思えると考えている。
鬼が、人間を育てる・・・之も面白い・・・数百年後、私の子孫が人間に成っていてほしいと願っている事にもなる。
勿論、今の環境も、人間に近付きたいと思っているので、単に浸っているわけでは無い、改善を続けることに成る。
その改善が、私の命の奥にある・・・部分で、方向性が決まると言う事・・・変えると言う事は、善悪の両方に成る・・・・私の命の奥にある、部分が、仏か???・・・・逆の悪は無いと思っている、若し、逆ならこの世に生まれていないと言いうのが、私の見解に成る。
この世に生を受けたと言う事は、命の奥底に仏を抱いていると、信じている。
私は、それを鬼畜が囲んでいると思っている。姿は人間だが、心は鬼畜・命は仏と言う発想にもなる。
雨に濡れた、汚い子犬を助けたいと、幼い時に思う、心・・・そこに命に有る仏が作用していると思っている。
その部分を信じているので、人は全て、尊いと考えているし、生物は尊いと言う事にもなる。最終的に、宇宙全体が尊いと言う事にもなる。
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