2025年2月22日土曜日

私は変わっていると思う

基本変わり者と自覚しているが、何故、一般の人は周りの雰囲気・環境のバイアスを受けるのか???又 従おうとする???己の心・命が何を求めているかが大事だと思うが、それより、周りの雰囲気ん溶け込み、己を見せない方向に成っているように思える。私は人の数、個性も価値観も違うと思って居る、全く同じと言う事は有りえないと考えるし、この違いが有るから未来も続くと言う事だと思って居る。しかし、現実は人の言動を真似する、心・命の声・囁きにも耳を塞ぎ普通を演じられている。何度も書くが、心・命が第一だと私は考えて居る。言動と言う部分は、見せかけで器程度の物、この器は物質であり、有限な物、この様な物に縛られた生き方を人間が行っていること自体が不思議である。今日の透析室も、お通夜みたいにくらい、生き生き挨拶するのは私位、ベットで横に成っていると呻き声が各所から聞こえる。要は救われたい・助けてくれと言う事、何からが表現できない、全て白黒損・勝負論・裏表論・デジタル的な価値観で、生命の本質が解るわけが無い・・・しかし追い込まれると、心・命の虚しさが表に出て来て辛い、この辛い感覚から助けてと成ると思うが、何故、空しいのか???己の価値観に問題が無いのか、特に生物として当然の現象の「生老病死」にも対応できずにそれを隠すために周りと同じ、病人コスプレに邁進されている。

要は、心・命まで病んでいると言う事に成る。身も心も命も不幸と言うより、悲惨と言った方がよいと成る。体は器それが壊れたりするのは仕方が無い、だから器の中に有る、心・命を磨くしかない

寝れなかった!!!

 昨晩はよく眠ることが出来なかった、家に帰った後の事を考えると思案することが多すぎる。世間からの対応・・・前回の退院した後の苦労は大変だった、バリアフリーと言われ続けていたが、障害者になった身では多くのバリアが有ると感じた、物理的にもだが、その現象を起す心・命の問題と私は捉えている。己が良ければ此で物事を組み立てる。要は、心・命の方向の物事を組み立ている。昔に比べ、各々の分に合わせた役割が有ったし受入れる度量もあった。現代は標準化・基準か方向が正しいと言うことになり、これ以外、特に劣っている場合は順応できにくい社会に成っている。善悪論・勝ち負け論・裏表論・簡単に書けばON/OFFのデジタルで、間に0がある程度の、三種類で事柄等々を決める、人間がこの方向に成ると思わなかった。何度か書いているが人間はグレー的存在、白黒論で決めれる存在でないと思うアナログが生命だし、生命だから変化が出来る。生物的判断が優れていたためにその生物が生き残っている。生きるものは生き残ることが勝者で有る。勝ち残る必用はない・・・デジタルに毒された人類だと思う。70年代に卓上電卓が一般に発売された。我家も一〇万円くらいの電卓を購入、大きさはiパットくらいで厚みは3cmくらい・・・八桁表示、液晶でない方式・・・・ルート等の計算は無理、簡単な計算になる、しかし、飛ぶように売れた、デジタル信奉者が増える切っ掛けになる。算術に長けるデジタル。生物は算術で計算できない、不覚的要素の気まぐれ・等々・色んな背景の中で過しているし、瞬時に変化している。これを算術で求めても意味がないし、今後の予想・想定もデーターが無ければ、対応できない・・・・

要はグレー部分、答えがあり、その為には多くの経験・多くの価値観の吸収が必用と持っていまあす。

透析の時間が近づいた。