ブログ開設当時、グーグルブログで始めた!!爺の能書きとして始めた。将来を危惧した動画になる。日本は世界基準の競争力を高める此が資本主義だし民主主義・・世界が指標にしている。数値は何度書くが。国の権力側・支配層に都合が良い方向に成っているし、その数値も自己申告、改ざんも粉飾も勝手にしようと思えば出来る。この数値を目指す庶民の先導・誘導が行われ続けてきた。鞭を振わずとも勝手に各々が競争し、競い合いその結果。数値が上がり、対価として本人に少し分けてあげると言うシステムを作り上げてしまった・人を洗脳し誘導する事は容易い目で見える数字等の優劣を示し、其れが幸福への道と思い込ませる為に、富豪と言われる人達それも、成金、一代で財を成した人の、豪華な生活を情報で教えこのレベルに成る競争をさせ続けた社会である。富豪自身は幸福だと思って居るかは別だが。この様な境遇にしたことを幸せと思うように努力するが思えない自慢し・飽きて、次の欲が出てくる。日本国は1980代に、このルールシステムでトップと言われるまで上り詰めた経済戦争と言われた時代、勝ち続けたが、何かを忘れていたことに気付いたと思う。人が求めている幸福は唯心論的物で無く唯心論的もので有ると言う事・・・心の安らぎ、肩の力を抜いて生きれる。今は家族内でも肩に力が入る家庭も多いが、それはこの当時の社会も含め教育が現実主義と物に縛られる方向に差し向けたとも言える。優秀な消費者として沢山稼いで沢山使う・・此が国の指標には良いが、現実は心という事が解ってきたと思う。
同じ、物を作ることだが、対価目当てで形姿が整っていれば良いと言う考えも有る。己が作った物が人様の役に立てるように命を込めて作るというのが日本の職人・技術者になる。己の利より、相手の利を尊重する、此を日本人も忘れて、経済戦争の最前線の兵隊として尽くしたが、所詮。捨て駒に歩・・・勲章・肩書きは色々有るが、心の安穏には繋がっていない事に気付き、安心・安全な環境を作る方に、バブル崩壊後向っていると思う。私が小学校の頃、男の立ちションは当り前、女さえ、オバさんクラスは畑で行って居られた。タバコのポイ捨て・痰を歩きながら吐く・俺は強いんだと肩で風切り、頭を大きく持ち上げようとする人が多かったし、それが正しく格好よいという認識・の久留米の一番街を歩くのも、完全武装の肩に力を入れてというが私の若い時代・・国自体もそれいけドンドンと言う時代背景と同じ、世は世紀末の殺伐とした時代・環境になる。数値・指標は優等生だが・・・・国民の殆どが幸福とは思えない方向に向かし出す。新たな価値観を求めてに成る。白い目で見られていたボランティアや、無料奉仕等々の大切さを、その後多々起きる国の大難、天災も人災の想像も出来ない大事件が起き、人の繋がり、心の大事さ等々、人として何が大事なのかを忘れ去ろうとしていた日本人に再認識させることになる。無料で安心・安全が保証される国、推知的には落ちていく国だが、何故か訪日客が増え続けている・・・観光資源が豊かさもあるが、心の平安を求め、安穏と意味大事さが海外にも広がっているという事・・・何も無い、プラスでもマイナスでも無い世界。唯物的には表しにくいギリギリ「わびさび」の茶道の世界に成る。日本人も困難を乗り越えながら成長を続けている。成長する前の己も確り認識が居る。
父が結核患者だったので、取扱、特に世間の・・・・幼い頃から身に染みている。この仕打ちを怖がり、隠す人が多かった。関わりたくないと自己保身に走る、しかたが無いと思うが。今もそれが続いている。病の身にとって天使に見えるのが、看護士になる。全ての人がこの様に見える世になれば、本当に幸福な安穏な世という事に成る。