2021年8月16日月曜日

価値観の多様性・・当然、個性の多様性・・を認めるか???

 私は、何度も優先順位が有る人間と己を自称している。

勿論、個人的、好みも有る・・・之を堂々と言える為にも、優先順位も大事だと考えている。

しかし、現代は、息子達の私に投げかける言葉等を考えると・・・・優先順位も差別と捉えている様に思える。

要は、個人の好みも認めないと、私は捉えてしまう。

私は私の色が有ると思う・・・又、その様に思うので、色んな色が有っても良いと私は考えている。

各自、己の好みを主張しても良いと思うし、個人的に好きだ、この様な事も言えないと成れば、異端児で三流と言われる、今のポジションが私には居心地が良いポジションと成る。

人は直ぐに優劣を付けたがる・・・仕方が無いと思うが、これは個人的、価値観等で決めている。要は、優先順位と同じ事だと私は考えている。

何が劣り、何が優れいるのか・・人で答えが違う事が、私は本来の姿と考えている。

しかし、集団世界では、問題を来す場合が有る。人を殺す事が喜びと言う価値観の持つ主が、その集団に入れば、他の人は、どう思うか????・・・怖いと思うし、その様な価値観の人は必要ないと成る・・・勿論、正確に言えば、社会は求めていないと成る。

結果、社会的罰則等が出来る事にも成る。

社会に属せず・・・一人で暮らすなら、周りに影響も与えない。

要は、社会が許容できる範囲が有ると言う事・・・・

この許容を広げた方が良いか????狭めた方が良いか???・・・之を考えるのが、社会に属している人間の考えに成る。

父がこの地に居た頃・・・我が地域で、犬の糞が落ちていると言う事は無かった、理由は、父は、糞の処理道具も持っていない、飼い主に、喧嘩を売っていたから、父が怖いと言う事で、糞が落ちていなかったと思う。

しかし、父が施設に入ってから・・・糞の処理をしない人が増えている。

何故か????社会的に怖い・嫌われる存在の父が居なくなったからと言う事に成る。

社会に順応できない人も、社会に役立っている場合も有る。

私が、何度も危惧すると言う部分は・・・・社会の許容力を狭める方向に向かっている感じがするからに成る。

人は、人として、育っているのか????又、育てているのか???・・・自由とは???等々に、私は、今の一般と言われる考え方に、矛盾を感じるし、余りにも奇麗ごと過ぎると考えている。

普通と言う生き方を求め過ぎている・・・普通は???と問うと、確りした答えを言える人も居ない。

本来、普通とは、己が思っている普通・・当然、己の価値観等で考える普通・・この生き方をして、良いと思うし、それを社会がどう受け入れるかは社会の問題・・・

当然、貧しい生活でも、それを求めているなら、仕方が無いし、幸せだと本人は思っていることに成る。

己の個性を消し、社会が求める普通を演じて、結果、社会的に普通の生活が出来たとしても、当然、幸せとは思わないと思う。

要は、現代は、幸せの形まで、社会が決めている。

私は、ご勝手にとよく書くことが有る。

各自、それを望んでいるなら、勝手にと成る。

しかし、それを望み求めた結果、不幸だったと言われても、私には何も出来ないと言う事に成る。

その様に成って貰いたくないから、私は、己の思いを言う程度にしている。

不思議だが、人様から、地獄だっただろうと言われる時が、私には充実していた時に成る。

生きていると言う実感も有ったし、今日生き残ったと実感も有った。

今は、なんとなく生きていると言う、感覚の方が多く成っている。本来、之が幸せなのかもしれないが・・・私は、その様に感じない・・・逆に、苦しい環境の時の方が幸せを感じていた感じがする。

勿論、私個人の感覚に成る。



心・命の驕り・慢心が・振舞い等で傲慢が出だす。

 私は差別主義者と自称しているし、家族から言われる・・・理由は、優先順位が有るからに成る。

何度も書いているが、命は全て尊いし、大事だと考えている。しかし、人間として又生物として生きる為には、他の命を殺生して、頂き、生を続けている。

要は、その様な命が有るから、私は生かされていると言う感覚に成っている。

以前も書いているが、勝者が居ると言う事は、多々の敗者を作ったと言う事・・逆に考えれば、多くの敗者が勝者を作ったとも言える。

単純に優位だったと言う事・・・優れていると書くが、何が優れているかは別問題に成り、運だけだったかもしれないし、優しい振舞いをする位と言う捉え方も出来る。

私は先に書いている様に、優先順位が有ると考える、人間である。

勿論、己が勝手に考える優先順位に成る・・・動物より人間が大事だし・・当然、人間でも、血族・親族が大事だし・・家族が大事に成る・・・この様に優先順位が有る。

私が言う優先順位は、誰に優しく出来るかとも言える。

この順位も認めない、平等主義者なら、他人にも当然、家族と同等に優しさを与えていると思うし・・好みで、嫌いと言う人にも行える人達を私は考えている。

しかし、現実に、私の周りにはその様な人は居ない。

殺生をしないと、肉食を断っていても、植物の命は頂いている。

以前も書いているが、虫・・・蚊が腕から我が血を吸っている、之を発見して、どう振舞うか????私は、差別主義者なので、手で叩き・殺す・・・又、蚊取り線香を焚き・殺虫剤を散布している。

又、私のライフワークに成るが、地域の為と、除草剤を散布して、雑草と人間が言っている、植物を殺している。

殺生を多々、行っている人間と言う事にも成る。

要は、己が優れているからで無く・・・他の命を頂き、生かされていると私は考えている。

先にも書いているが、敗者が勝者を作っていると言う考え方に成る。

私は、三流だし、異端児・・当然、人間として最低部分に属していると考えている。

己の限界を、二倍・三倍超えなければ、普通の人間のレベルには成らないと思うし、それが出来ているか??と己に問うと、出来てないと成る・・・出来なければ、当然、人並みな事も出来ないし、それが若し出来ているなら、人様のお陰だとしか思えないと成る。

要は、人様、世間様から生かさせられていると捉えているので、感謝と成るし、恩を感じている。

恩を感じるから、己で出来る範囲は、出来るだけ行おうと考えている・・・しかし、之も思っている事、それ以下しか出来ていないのが現実であるので・・・何時までも申し訳なさが私には有ることに成る。

己の振舞い以上に、富を得ると言う事は、人様から搾取しているか???人様から頂いているか???のどちらかに成る。

本来、この様な立場の人は、世間・人様に恩を感じる筈であるが・・・現代の教育はこれを考えさせない教育に成っている。

結果、命・心の、驕り・慢心に繋がる傾向が有る。勿論、心で済めば良いが、振舞いに現れるから注意が必要に成る。