2022年4月6日水曜日

勝馬に乗る・・・泥船から逃げる・・・

 私は何度も書く様に、三流の人間だし、劣っていて力も無い・・・その為に、今の場から逃げる・立ち去る事も出来ない・・・

この様な立場から見れば、勝馬に乗る・泥船から逃げる等々が出来る人は、羨ましいし、力が有ると思っている。

今、私が乗っている船が、沈まない様に、必死に頑張るしかないのが私の立場に成る。

しかし、その様な事を行っていると、己が乗る船を壊したり、かじる取る様な言動をする人が多く、見受けられる・・・己の乗る船から、色々、利に成る物を剝ぎ取っていれば、当然、どんなに立派な船でも、当然、泥船化していく・・・・この状態に成ったら、剥ぎ取った蓄えがある人は、当然逃げる事も可能だし、勝馬・立派な船に乗り換える事も可能に成る。

要は、己の足元から何を得るか、奪うかが生きる目的の人が居ると言う事・・・私は、力が無い三流だから、己の足元を、盤石にしたいと微力と思うが、尽力を続けている。

この行為が、周りから見れば、バカな行動・振舞いと見えているから、バカや変わり者と言われているとも思っている。

何時も思うのだが、得合って生まれた場に対して・・何を残せるかが生きる事だと私は考えている。しかし、この様な考えより、生まれた場から何を奪うかが、生きる目的と言う人も増えている様に感じる。

仮に、船の立場から考えた場合、乗船者が船を壊し、船から利をもぎ取ろうとする人と、乗船者が、船を守り、保守・成長を願っている人・・・居るなら、何方を選ぶか・・・

私は、世が選んだから、私は生れたとの考えている。その為に、世に尽くす・世の為に生きる事が、生きる目的だとも考えているし、使命とも思っている。

しかし、世を選んで生まれたと言う、人間の傲慢な考えの人も増えている様に感じる。

簡単に書けば・・・世の担い手・社会の担い手として生きるのか???・・・世から何かを得よう・社会から何かを得ようと生きるのかの違いに成る。

勿論、得る、何をが大きく関係する・・・負を傷を得る為に生きる人も居ると思うが・・しかし、多いとは言えない。

この様な価値観の違いでも、自由の意味が変わり出す・・・己の思う通り、我儘が言える自由を求める人も居る。

現代は、この方向性の人が、世界中で増えている感じがする。

嘘・・・

 嘘・・・方便なら良いが・・・己の身を守る、保身の為の嘘・・・又は利益を得たい為の嘘・・・これは私は認めたくない・・・

己の正直に表現する。言動をしなくても、嘘は存在する。

何度が書いているが、普通を装う・・・これも厳密に言えば噓である。

この様な嘘が、結果的に誤解を生むし・・・人との繋がりを切る方向に成る。

この結果が、嘘なのか方便なのかで変わると私は考えている。

要は、その様な嘘が結果的に、権力者には利用される・・・・利用されるから権力者に力が集まって来る。

この構図が差別に繋がると私は考えている。

各々、違う・・・この違いを埋める為に、言動が有る。特に集団で生きる人間には大事な部分だが・・・この違いが悪いと言う考えが、今の差別と言う問題に有る。

結果、普通・一般に私自身を置く必要性が出て来る。

人の違いは当然と言う考えと・・・違いが差別を生むと言う考えの違いが、問題を複雑にしている。

私は、人間だが、三流だし・劣っていると、日頃から自称している。人間は失敗も間違いも起こす。このレベルが私は、三流・劣っているので、多いと言う事にも成る。

権力者・独裁者意識に強いのが、己は完璧で有るべき・当然、人間の為に、己の言動は全て正しいと力で持って行くと言う、方向性も出て来る。

権力者・独裁者も当然人間であるので、失敗も間違いも起こすはずであるが、それを認めない方向に成るし、それを力で得る為に、嘘が存在しだす。

西欧的考えに、正義は勝と言う言葉が有る。

勝てば官軍的発想と言う事・・・・本当に勝つ方が正しいのか???これも私は差別だと考えている。

負ければ、悪と成るのか????・・・要は全ての負を押し付けられる事を意味している。

昔から、人が良い事は、己の為に成らずと言われる。逆に言えば、人が悪く、あらゆる、手段を使っても勝つ、事が、利をもたらすし、負は、敗者に追い付けられると言う事にも成る。

日本国の場合、先の大戦で、西欧的・価値観等を身で得たと思う。

東京裁判の、敗者に対しての、苛め、負の押し付け・・・・今の国連の常任理事国の価値観に成る。

その、理事国の戦い、戦争が今、起きている。

負ける事は、破滅を意味し、全ての負を押し付けられると成るなら・・・当然、勝つ為には手段を選べないことに成る。

要は、勝つ為の戦争と成る。

日本国は、生きる為・負けない為に、事を起こしたと私は考えている。徹して守ると言う、思いが基本に有ったから、大きな国力の違いの戦いでも、善戦したと考えている。

要は死守に徹して、命を燃やしたことに成る。

勝ち負けを論ずれば、大国に誰しも完璧に勝てるとは思っていなかった戦いと言う事に成る。

要は、生きる為の権利を認めてもらう為の戦いだと私は、思っている。

イエローモンキーと言われる、動物が、人間として認めてくれと願った戦いに成る。

その思いが、結果として、戦後の日本国の将来に繋がっている。

今、民間人の殺害がマスコミ等で言われている。先の大戦の日本国内、又は、他の国に居た邦人の民間人・・何故か、多くの民間人が死んでいる。

その原因は、日本軍人が足手まといと考え、虐殺したと成っている。

簡単に言えば、民間人が多く住む、町に、一人の日本軍人が居たから、攻撃した・・結果、数十万人の民間人が死亡した。之が通用する事が西欧的、価値観に成る。

南方の島で、防空壕に避難していた民間人、数人の日本軍人が、邪魔だと捉えて、全てを虐殺した・・私は????に成る。

勿論、軍人、野獣の様な人も居た可能性が有るし、それは否定しない・・・しかし、全手がとは思わない。

先の大戦の終戦は8月15日と言う、日が一般的だが・・・国が変わると・・・日が違う。

終戦時に、軍人は武器を放棄した、その後に攻め入って来た国も有る。当然、戦勝国の扱いに成っている。

誰が、邦人の日本の民間人を守るのか???当然、保護したとその様な国は言っているが・・現実は???それを、本来、日本人は知っていなくては成らないと私は考えている。

要は、勝てば、正義・・正義とは、己の好き勝手な我儘が出来ると言う価値観が、有る人々が居る、その為に、宗教、それも強弱で強い、一神教的、道徳が必要となる。

しかし、人とは、追い込まれると、本性が出て来る。

世界の警察と言われていた、国の、アニメ・漫画に・・・髑髏で飾った、ジープで走り回る、この様なシーンが、昔は当然の様に、流れていた・・・髑髏は、当然、負けた国の人と言う事に成る。その時は、日本人だと私は思っている。

その様なアニメを、日本国でも流していた。

その時の、理屈は、日本人は人間以下の動物、悪い事をしたから、この様な仕打ちをされても良いと言う考えに成るが、死人に対しての冒涜だと私は思っていた。

若し、今になって、その大国が、奇麗事を並べても、それを知っている別の国は聴く耳を持っているとは思えない。

要は、力で押す、力相撲に向かう事に成ると私は考えている。

要は、何度も書くが、勝たねばならないと言う、価値観・・・・これが問題を複雑にする。

勝つ必要はない、負けなければ良い事である。

しかし、我国の国民も、西欧的・一神教的、価値観に染まっている人が増えている。

何の為の、力なのか????人を背負う為の力だが・・・己の身を楽にする力だと思っている人が増え続けている。

要は、武士道精神が無くなって来たと言う事に成る。

武士・棋士と力有る者を尊敬していると騙されると言う事にも成る。

要は、鬼畜・野獣が力を求める、この当然の方向性を、人間が行っていると言う事にも成る。