私が幼い頃・・・ペットとして犬を飼える家等、無かった。
ペット???・・・余裕が無かったと言う事・・・犬も人間の生活の担い手としての目的が有って、飼っていたと言う事に成る。
車力屋等・・・・人力で荷を運ぶ業種・・・・行商人の荷車を引く為の、犬等が居た。
確り、目的をもって、人も動物も育てて居たと言う事に成る。要は、飼い主の目的に適う家畜を求めていたし・・・当然、人間もこの流れに成る。
飼い主側が求めていない・・家畜等は潰される・・・要は死が待って居ると言う事に成る。残酷で可哀そうに思えるかもしれないが・・・・己の生きる糧の一部を使い育てる。余裕が有れば、目的から逸れても潰す必要は無いが・・・余裕が無いと言う人々が多かったと思う。
道楽で生物を育てる・・・この様な人立場の人は居なかったと言う事に成る。
競走馬も、世間では馬主は道楽が出来て良いと思われているが・・・馬が勝たなければ死活問題に成る。要は高額な馬でも、目的を果たせなければ、潰される事に成る。
この様な価値観の中で、人間の子育ては???・・・当然、現代とは違うと言う事に成る。
今は、馬主を外部から見るように・・・道楽が出来る立場だから、子育てが出来る思われている。しかし、現実は違う・・・このギャップが問題と、どの方向に近づけようとしているか????これが、一番の問題だと私は考えている。
要は、人の子を、愛玩動物として育ててる事が出来る事が良いと言う流れに向かっている。
結果、ペットの寿命も延びている・・・当然、人間も伸びることに成る。
寿命が延びる事が、本当に幸せなのか???・・・これも本来問われるべきである。
共に労苦を共存し、生きた証が有るから・・・感謝の念も出て来る。
要は、共存したと言う経験が、共に生きた事に感謝が出来る。
今は、赤の他人としての人や命の繋がりに向かっている。
当然、この様な価値観に成れば・・・誰が為に生きる等の考えも無くなり、全て己から始まる価値観と成る。
子育てを経験し・・・子をどう育てたか????私は、男子しか居ない為に・・・婿として育てたつもりである。
私が、好む婿とは????・・・これを考え育てた。
何時までも、私の子で無い・・・これが育てると言う事に成る。
私も子供の死に水と取れる立場でも無い・・・結果、人様の中で生き続ける息子達・・・・
妻帯者と成った時に・・・夫そて婿として・・・この部分を注視して育てた・・・
地域も、一族も順序が有る・・・・座る場所も決まっている。又、最初に頭を下げる場所が、場所場所で有る・・・・
この最低部分だけは・・・親として、息子達に教えておかなければと思っている。
男子の親として、嫁里から、良い婿と思われたい・・これを目的に私は育てた・・・・
理由は、一人前の男子とは・・・私は所帯を持ち・・一国一城の主に成る事と思っている。
その為に、里親や親族等々を守り、担う思いが最低でも無ければ、主とは言えない。
勿論、力が無ければ、結果は出せない・・・しかし、思いが有れば、感謝等の部分が変わって来る。
私の息子が、嫁里から気に入られる一点は・・・単に、家の中心は、仏壇と教えたからに成る。先ずは、先祖に挨拶・・・・この行為だけで・・良い婿と評価される。
何時も逆転の発想とも書くが・・・己が求める嫁は???・・・若し有れば、その様に娘を育てる事に成る。何時までも子で無い・・将来、何に成るかを考えた育て方が求められている。
愛玩動物の、ペットとは違うと言う事・・・育てる側も変化する・・それを踏まえた将来・未来の想像に成ると考えている。