2019年12月4日水曜日

師走・・・

今年も、師走に成った。

来年は・・・私の年代は、定年・還暦を迎える・・・・・

同窓の中には・・・寿命尽きた者も出ているし・・・早期退職した人も出て来ている。

第一線で働く・・・・之を早期にリタイヤ・・・今、病院の清掃員をいしている、昔は管理職・・の同窓も・・・今が楽・・・気が楽だし・・・指示に答えれば、仕事と成る楽さを楽しんでいると言っていた。

何が良いかも、色々・・・同じ人間でも、時で変わる。

私も、歳と共に、体力、五感も劣って来る・・・簡単と思える事も出来難く成るし、辛いと感じるようになる。

誰しも、後片付けの、時が来る・・・己自身は当然だが、先人が残した部分も含みで我が年代が、処理しなければ、若い年代は、この様な事に対する、義務感・責任感を学んでいない・・・・

誰しも一人で生きれない・・・何かの集団に属している。
属した集団の後片付けも、当然、我々れ年代までしか、処理しようと言う責任感を感じれる教育を受けていない・・・

勿論、田舎のと都会とは違うと思うが・・・先人・親等の後始末に成る・・・
之は、後継者・子孫の義務と教わっている最後の年代だと思う。

現代は、己の為の人生・・・この教育に成っている。

後片付け・・当然、質素に生きた人なら、片付ける部分も少ない・・・派手に生きた証拠も、後片付けで解る。

この部分も、後継者が居る人なら、良いが・・・現代は居ないと場合も有り・・・それが、地域の荒廃に繋がっている。

解りやすく言えば、若い家族が、土地を買って、家を建てた・・・その当時は良かったが、数年後、隣の家が空き家に成る・・・地権者が亡くなり、後継者へと成るが・・この部分は個人情報法の兼ね合いで解らない・・・隣の家が荒れだす、壊れだす・・・台風が接近、何も感じないで居れるか????・・・
田舎は、この状態が加速する流れに成っている。

この部分の解決も我々年代の、責任と私は捉えている。

空き家、荒廃した街並み、こんな地域に住みたいと思えるようにする為には、当然、処理が必要に成る。

この様な、グレーゾーンが多々残っている・・・現代はグレーゾーンを容認できない世代に成っている。

難しい時代の前には、片付けが大事に成る。

中村哲 氏、亡くなる・・

日本、福岡県人の中村、徹氏がアフガニスタンで思い半ばに亡くなった・・・

YouTubeにも、奇跡・・砂漠を緑と検索すると、多く出て来る、名前である。

医師として、日本に留まれば、安全で楽に生きられた、人でもある。

何故、弾が飛び交う、場所に行き・・・命の水と、水資源のインフラ整備に生涯を捧げられた人になった。

私も、若い時、色んな、組織、ボランティア団体等々に、縁していた・・・若さゆえか、世界が日本がと、大きな事を考えていた時期も有る。

しかし、自分の分の無さに気付き・・・先ずは、足元と考える様になった。
その理由は、親の事業の倒産等々で、背負っている物を降ろす事が出来なかったのも理由に成る。

誰しも、生まれたなら、死ぬまでの時間を与えられる・・・・この間に何が出来るかに成る。

何を残せるか????・・・・この部分が大事だと私は考えている・・・全て己がで終われば、生きた意味が空しく私は感じる。

昼間、後輩が来訪・・・・私に・・・求めている部分は解るが・・・大儀より、私は小儀を今は考えているし、この部分を誰が、処理するか、後片付けをするか???・・・この部分を処理しなければ、大儀が出来たとしても意味が乏しいと私は考えている。

現代は、大事に目が行く・・・マスコミ等々でも、政治や大きな都会の話等々が普通である。田舎に住む私には直接、関係性は乏しい・・・
之が、国民全体の問題の様に、風潮する・・・

今日は、イノシシが・・・・我が地域なら、タヌキやイノシシ、少し車で走れば、当然、出会う可能性が高い・・・田舎ではよくある話・・・歩く、居た程度なら、些細な事・・・作物を荒らす、害獣と成っている。
その対策も行う・・・居る事が当然と言う環境に成る。

以前も書いているが、私の結婚披露宴・・・・私の友達等より、父の関係者が多くの客と成っていた。何の問題も私は感じなかったが・・・私の息子の披露宴なら、当然、息子は問題と定義すると思う。

人で、捉え方が変わる・・・この部分まで、基準化する流れも存在している事に、私は納得できない・・・

色んな、価値観が有る・・・人各々、違う・・・その部分に、介入するように、善悪と言う定義を当てはめて行く・・・この流れが私は疑問を持つ。

又、不思議である・・・ルールは基本、悪を排除する方向に成る・・・悪の存在を無くす方向・・・それなら、環境は安全に向っていると思う・・・・が・・・何故か、危険が存在している。

簡単に書けば、悪人が存在しない、社会をルールで作っている・・・しかし、悪人が存在する。

今より、ルールが少なかった昔の方が、何故か、安心・安全が高い・・・不思議である。

ただ、惜しい人を亡くした・・・バランス感の優れた人だと尊敬していたが・・・肌で直接、感じとる、部分での、考える・・・情報等を信用しない、行動して見て、感じて、どう振舞うか???・・・之を考える・・・人間として、之こそ普通の判断を行っていた人だと、私は考えている。

何を社会や・他人に残せたか????・・・之が生きた証だと私は考えている。
しかし、最近の一流や優秀と言う人は、ある範囲、出来た範囲の、重箱の隅を突く様な言動をする人が、何故か多い・・・
新たな世界・社会を作る為には????・・・この思いが感じられない・・・現状の範囲内での、突き合い・・・悲しい振舞いだと私は思う。

中村医師は、現代の日本的、価値観で言えば、馬鹿な損する行動をされた人と成ると思うが・・・私は尊敬している。


権利の剥奪

最近の論調は・・・最終的に個人の自由と言う権利の剥奪に向かっている。

本来、人は、何度も書くが、グレーゾーンの部分が多い・・・例とすれば、正と悪との間で生きている・・・
しかし、第三者が判断しにくいので、正と悪の二極にすた方が楽である。
その第三者とは、権力側に成る。

権力側は、耳障りの良い、奇麗ごとの方が良いと、当たり前、大袈裟に言う・・・誰しも反対できない・・・結果、グレーゾーンを無くし、正と言う方向に向ける。

個人個人の自由意志・自由な行動を、奪う方向に成れば・・・何が起きるか・・・事を起す事が怖い、理由は、私は人間だからに成る・・・

本来、個人の自由部分まで、ルールを創り出す・・・・之が意味する事は、人民の統制以外にない・・・

何度も書くが、一流で優秀でルールを厳守する、二人が結婚する・・之を理想とする流れが有るが・・・この理想が、結婚生活を維持できるか???・・・又、多々の子供を産むか???・・・等々とは関係ないし、逆に離婚・子供を儲けない可能性が高ったりする。

又、一流で優秀な親は、一流の優秀な子を育てるとは、現実では中々難しい・・・

理由は、人間はロボット機械で無いからに成る。

誘導・扇動の方法は、二極を示し、必ず選ぶ方向を作って、全ての人が之を選ぶから正しいと言う論調に成る。

天気が晴れ・・・「良い天気ですね~~~」と問いかければ「殆どがそうですね~~~」この論調で組み立てる・・・・この問いかけに、「晴天が良いとは限らない」と答えると、一気に、対話は途切れる・・・・

対話の中にも、些細な微細な配慮が有るし、主導権を持っている側で無く、聞く側の配慮と言う部分が有るので、誘導しやすい・・・・

この論法を、営業に利用するのが・・・ハイ・ハイ・イエス・イエスで事を組み立てて最終的に、物を売りつける方法・・・
普通は、優秀なら・・・と言う論調で、責める事に成る。

私は、人間と自分を理解している・・・その為に、間違いも起こすし、正しいと思うものも選ばない可能性が有るし・・・・その全ては自分での自己完結に成る・・・勿論、明日は解らない、死ぬ可能性も有る・・・この部分を忘れないようにしている。
この不確実性が有るのが、人間であるし、人間でも三流だからが、私の基本に成る。
その為に、普通はと言われても、それは私以外の事に成る。

之が何故、一般には出来ないのか????・・・普通から外れる、普通から除外される事を、非常に恐れる・・・之が有るからだと思う。

その為にマスコミ等も、この論調で組み立てる・・・個人としては矛盾を感じるが、これが普通なら仕方が無いと言う、流れに成る。

結果、感じていた部分、自分は人間、奇麗ごとでは済ませられない部分が有る、之を否定してしまう・・これで出来たルール・・・人間はその中で生きる事が、非常に息苦しくなる事に成る。
誰が生き易いか・・・当然、力が有る権力者に成るが・・・権力者も人間は、結果はその人間部分が、問題に成り失脚と成る。最終的には、ロボットが権力側に居た方が良いと言う事にも成る。

正しい、間違いを起さない、完璧な人間・・・神に近い人間等、私は居ないと考えている。しかし、その方向にルールが出来て行く・・・

私は、非人道的人間とも思っているし・・・自己本位だし、差別主義者だと思っている。勿論、立場やレベルは、三流と成る。

私は人間と言う部分を捨てたくない・・・動物の部分も有る・・・しかし、考える頭を、運が良いのか、人間として生まれ、持っている。

この頭をどの方向に使うかは、各々の人間の考え方に成る。

勿論、普通と言われる、人間の生活等々、出来ないと思っているし・・・除外感を得るのも仕方が無い・・・裸の個で生まれ、個で死んで行く・・・この生物の本質も理解している。
基本は、個・・・生合う間に、誰と縁するか???・・・之を楽しむのが、生きると言う事だと考えている。

人の、楽しみ・幸福感・・之も、各々、当然、違う・・・

今朝から、案内状のハガキの印刷を行ったが・・・プリンターの給紙が滑って、9枚失敗した。
之も、縁だし・・・縁を大事に、何が出来るかを考えて行ったが、三流だから当然、失敗もする。
之を楽しむ・・・

毎日が思う様にならない・・・しかし、楽しい・・・之が、人だと私は考えている。
しかし、この部分に、普通を取り入れてしまうと、これも苦痛に成って行く・・・