2025年4月22日火曜日

今日最後のノルマ!!!

 眼科の検診・・・術後の経過観察になる。裸眼での視力も0.8にUP・・・矯正すれば1.2に現状で成るとのこと 、しかし数ヶ月後まで待つ方が良いと言われた。今後は月一の通院で良いとのこと・・・・安心できた。全てが奇跡的に進んでいる。先月の私の誕生日の二十日に退院、速効で眼科・・・正常な流れなら来月の手術・・・私の免許更新の件を話したら、急遽、サブで出頭されてる医師が担当という事に成り、21日の月曜日に間に合うか確証できないが、ギリギリの日数で対処して頂いた結果、視力の回復も施術後でなければ解らないし、目の状態も白内障のクモリが取れないと、診察できないという賭けになるが、左目は予想以上に回復したことになる。

私が吉兆方向に向うときは、何故か、私が大事に思う人が逝ってしまう。この現象が私の場合続くから生かされていると感じる。先人達の思いで生かされているなら、先人達は何を望んでいるのか????これを、考えるようにしている。己の望み以上にこの部分を重視して考えている。人は責務を背負って生まれてきていると思う。その責務を使命と捉えきれるか・・・足枷と捉えるのかで・・・死に様が大きく変る気がする。私は酢死に際の瞬間の命・心がどの世界かで来世が決まっている考えている。己の来世をどの様に思ってるかは各自の勝手・・・・私は、今世のこの環境が好みと思うので、この世界で人界というレベルは、それ以上の界層にも出来るだけ居たいと心掛けている。もし、三悪道と言われる餓鬼道・畜生道なら、生まれる来世は当然地獄界に近付くか、其れを命が求めているので普通と捉えてしその一つにも十界が有り1000界になる。それに3世間を掛かけて3000世界・・・・どの世間に生まれどの界層を目指すのは各々になる。

叱ってくれる人が減る、悲しい事だし、背筋が伸びる!!!

大事な最後の叔父が逝ってしまった、叱ってくれる人が私の周りから減り続けている。寂しいし、悲しい・・・しかし、シャントしなければと背筋が伸びる気もする。「ありがとう」「ごくろうさま」と感謝の思いが残っているだけ・・・・母の姉弟だが姉は若くして嫁いでその後、母親が亡くなったので、母親代わりで、三人の弟妹の面倒を看ていたので、婚期が遅れ父より年上の姉さん女房で我家に嫁いできている。下の弟妹達は、姉と言うより、厳しい親として慕っていた。長兄の叔父も昨年、逝ってしまい、今度は次男の叔父が逝ってしまった。母をしたい・・・我家の二軒先の空き家を借りて生活され、人の手は借りないという、次男らしし本骨精神で若いときは四角四面は部分が強かったが、五十歳を過ぎた頃から、人が大きく変られ・・・特の実子の長男が嫁を貰い、孫が出来た頃から、考え方が大きく変化したと思う。長兄は全体主義・・次男は個人主義・・・この傾向は一般的には思える。しかし、家族の括りが必然と増えると、全体主義方向に向うのも当然と思う。私の子供の頃、格好よい叔父と思っていた、世間の流行、早急に取り入れる。バイクも車もクーラーも小説等もゴルフも万博前の時代から楽しんで居られた。結婚後も我が校区に家を購入され、子供二人の四人の家族で過されていたときが一番幸せだったと思うし、その後、娘の子・孫の面倒を卒業まで看て居られたが、其れも二度物幸福だと私は考えている。その孫も、今は医師・・・・

私は葬儀の際・・・一人からどの程度、末広がりしているかを見る。叔父は個人主義が強い人だったが、妻子が出来て、人が変り出す。価値観の最小単位が己だけから増え出す。ひ孫も居る。総勢十人へと個から末広がりし、その都度に価値観の最小範囲が広がり続けている。葬儀等も勉強と捉えて参加するのも己の生き方の為に成る。出棺の歳に、誰が持つのか????惣菜状のスタップという時も有る。中には、孫・ひ孫が持つと言う場合も有る。棺を霊柩車に載せる事だが、それに関わる人の顔でも違うと私は考えている。又関心なのが、長兄の実子の次男・・・長兄は亡くなっているが、名代として長男も病の療養中なので頑張っているし、叔母達の送迎を行ってくれている。火葬場にはこの体の為に辞退したが、従妹が送迎を引き受けていた。感謝になる。親等で二親等までは、親・子・兄姉・・・・・少子化の時代、子は居ない・・・当然、親も居ない・・・頼れるは弟妹???弟妹も高齢化になっている・・・これが今の現実・・・四親等まで責務が有ると成れば、甥・姪にその子まで入ってくる。各々の一族の末広がり度が葬儀という場で解ると言うことになる。「ありがとう」感謝!!!・・・追善供養に又一人増えた

バタバタ・・・落着いてから!!!

 叔父葬儀が執り行えなわるそれもこの様な時・・・当然だが、まさかというと気になる。昔から、葬儀には四親等までの参加が基本だった、亡くなった人に賞らを安心させるために、末広がりで有りたいと言うのが、本来、生物の本能・・・・鮭などは子の姿を見ずに死んでいく動物も居る・・・・人間は、子・孫・ひ孫と未来を托すものを見届けて死ねる。幸せと思う。この特徴・能力が有るから、拡げて四親等までは参加すべきが、昔だった。

叔父は、20日の五時頃に亡くなったとの事・・・その日は母の法事を行い、盛り上がり、一段落が付いた時間・・・・因縁深い感覚が有る。ブログにも書いているが、先週、枕元に二人の人物が立った・・・・顔は良く見えないが、雰囲気では父と感じあと一人はその陰になりよく確認できずにいた。何を言いたいのか????気になっていた・・・・色々書くことが多々有るので、今日も本葬で忙しい、後ほど・・・・

又、懸案だった。免許の更新、最終日の昨日、無事に更新できた。感謝になる。