2020年7月27日月曜日

すみません・・・ありがとう・・・

感謝の表現に成ると私は考えている。ありがとう・すみません等々の言葉・・・

しかし、最近は、負けた、負が有ったる立場が、使う言葉と思っている人が増えている。

車で、譲って、通しても、挨拶等々しない、顔も向けない人が増えているし、何故か情勢に多い・・・・

少なくとも心は無いが、会釈程度でも何故出来ないのか????・・・私は不思議に思う。

以前も書いているが、人の親として、母親がこの様な振舞いをする人が増えている感じがする。

子は、親の姿を見て、学んでいる。

子供に何を見せるかも、親の責任だと考えている。


人差に頭を下げられる人を私は育てたいと考えている。頭が低い意味を、親が見せて教えるしかないと考えている。


昔から、嫁を貰うなら、親を見て選べと言われていた。
親の育て方の結果が、子供に成る。

要は、子供が巣立つと言う事は・・・親の有り方、姿を世間に見せている事にも成る。
この部分が、今では言われないが・・・家の恥・一族の恥等々と言う事にも成る。

名字には、己を戒める・・・ものが有ったのが昔に成る。

私は、古いのかも知れないが・・・同じ名字で、人様に迷惑を掛けたと聞くと、何故か心が痛む・・・・明治時代に名字を名乗れるようになった人も含め・・・何かの縁が有るかもしれないと私は思ってしまう。

別の視点から考えれば、外国で日本人が迷惑を与えたと聞くと、同じ様に申し訳なさや責任を感じる。

この部分が無ければ、国の意味も無いし・・・名字の意味も無いと言う事、単に名称と言うだけに成る。

この様な考え方も、差別主義者の私だから言えるのかも知れない・・・・

本来、今はオリンピックの時に成る・・・私は、日本人として、日本人が活躍する事を期待しているし、願っている。若し、一等賞に成れば、当然、誉と感じる。

勿論、参加者皆が、活躍してほしいが、私は厳然と優先順位が有る。

命に係わる病なら、仕事より、優先だが、命に係わる可能性が半分と成れば、私は仕事を優先させる。必死に生きている人間は、足を止める事は、死を意味している事を体が知っている。

命が大事だとは、簡単に言える・・・しかし、命を守る事は難儀する。守る立場は、命を奪ったと言われる立場にも成る。

之が解るから、私は死守と思っている。守る事は命がけと考えている。

命を削って、生きている人が居る、之が解るから自然と頭が下がると私は考えている。

何故、自然に頭が下がるか、要は尊敬しているからに成る。
何を尊敬できるか????・・・この部分が教育に成る。

私は、息子達にこの部分は、確り教えて来た。
勿論、効くかは解らないが・・・・

親として、子が聴くかは別で、言い続ける事が大事だと私は考えている。

何度が書いているが、30歳を超える頃から、頭が一気に明快に成る・・しかし、何も頭に無いなら、それ迄、価値観で一生暮らす事に成る。

要は、頭に多々の引き出しを作っていれば、それを利用できる、能力が出た時に大いに役立つし、人生観も一気に変わる可能性が有ると言う事・・・・

人は、変われるか????之は、それまでに得た、知恵の量だと私は考えている。

必要に成る前に、確り、知恵を得る、之が若い時の大事な部分と私は思っている。

体調が悪い・・・

昨日も、一日・寝ていた・・・・

今日も、体が思う様に成らないし・・・・キツイと口からツイツイ出てしまっている。

同級生も、還暦を迎え、早期退職している人以外が・・・定年退職の歳に成っている。
ご苦労さま・お疲れさまと・・・お礼を言いたいしと思う。

しかし、現代は、マダマダ、現役・・・・人を背負い続ける年代に成る・・・お互い頑張りましょうと言うのが、現代の言葉に成ると思う。

何度も書いているが・・・何故、下働き、人を背負う・・これに感謝出来ないのか????

感謝できれば、当然、下働き、人を背負う等々、嬉しい事に成る。

要は、手伝う事が出来て、「アリガトウ」と言う、言葉を自然に発する事が出来る、人間が、一流だし、優秀と私は考えている。
私の三流なので、意識しないと言えない・・・・ダメな証拠に成る。

今の時代、神輿を担ぐ、面倒でキツイ、この様な事から避けたい・・・何が得るものが有れば、手伝うが・・・等々の、思いを持つ、人が増えているように感じる。
勿論、私の息子がこの方向性の人間に成る。

何を得る????・・・私は多々のモノを得ると思っている。表現し難いが、人の考え方、生き様等々・・・この神輿がなければ、縁しなかったと思える人達との縁が出来る。

勿論、多々の得るモノが有るから、そのお礼で神輿も一所懸命に背負える・・・己の力も知っているので、力不足等の問題も、申し訳なく感じるし・・・それでも担がせて貰える誉・・名誉・・・を感じるし、当然、感謝と成る。

現代は、私の息子がそうだが・・・・立場等の捉え方が、一極過ぎる・・・・
楽に・汗を流さない方向が、良いと思っている。
考える事が無く・・悩みが無い方向が良いと思っている。

簡単に書けば、大金持ちの愛玩する飼い犬のペットとして生きた方が、幸せと思っている事に成る。

飼い主に気に入って貰える・・・様相を先ず気にする。若し、様相が悪ければ、その時点で不幸と言う考えにも成る。

この価値観が、私は不幸な人を創り続けていると私は考えている。

理由は、力が有る宿主を求める為に・・寄生虫として外見を一番位にしている・・・考え様では、奴隷に己から成ろうと、努力している事に成る。

宿主が嫌う・・・様相・外見は、不幸と言う考え・・・しかし、之は己を奴隷といてみている事に成るし、寄生虫の生命レベルにも成る。

この様な価値観を受け付けて、一番得する側は・・・当然、力が有る側、宿主と見える立場に成る。

現代の、不幸な出来事は、基本にこの様な価値観から発した部分が多々に有る様に私は感じている。

今・・・大メーカーの先輩が来訪され・・・・昔話で花が咲いた。

先輩も、己の生きる場所の見失うと、大メーカーでさえ無くなる・・・勿論、その資産・財産は、別の会社が得る事に成るが・・・・

私はよく、上澄みや濁っている下層等の表現をするが・・・・濁っている場所で生きる人も居るし、その場が己の場と頑張っている時は、利益も出て、良かったが、己が上澄みに住む立場と勘違いした為に・・・大きな失敗を起こす事に成る。

同じ、物・事柄も・・・・見る場所で見え方が違う・・・同じ事で、見る側の価値観でも捉え方が変わる。

この部分も一極化に向かっているのが、現代に成る。

元々が、デブ板営業で、業を成した会社・・・又、色んな商材を他の会社に提供していた会社・・・・縁の下の力持ちを目指すべきだったが・・・・縁の上に立とうと、体裁を良くした為に・・・元々の業を成した部分さえ、過去と忘れ去り、又は無い物にする。
之が、生きる場所を間違える方向に成る。

私は、私の子供の頃の事もブログに書く・・・・理由は、今では非常識と思われる事も、昔では当たり前だったと言う事を知って貰いたい。

笑い話に成るが・・・堀で泳ぐ・・・底は見えない、濁っている水・・・しかし、それが普通と思っていたので、泳いでいた・・・すると川上に、馬を連れて洗っておられる人が居た・・・観ていると、馬が糞を堀に落とした・・・この瞬間、汚いと堀から出たが・・・馬の洗い場は昔からその場所・・・泳ぐ前にも馬が糞をしていた可能性も有るとは、その当時は考えもしなかった。

今の環境は、私の子供の時代を基本に考えれば、天国の様な場所に成る。
しかし、心が幸福感を何故か感じない。

若しかすると、己の生きる世界で無いのかも知れない。


テレビ等から出ている、情報は、奇麗ごとばかりに私には見える。
もう少し強く、書くと、己の住む世界で無いように感じる。

生きる事に必死・食う事に必死・・・この方向の方が、何故か幸せ感が得やすい・・・・
勿論、私の場合に成るが・・・・

人様の手伝いが出来る・・感謝に成るし・・・・人様の世話が出来る・・・他の人生を肌で感じる事が出来、見聞が広がり、有難いと成る。

私は三流なので、強く意識し、生きる事に成る。

優秀で一流の人は、必然だし、当然と、意識しないで出来ると思うが・・・私の場合、汗を流す、面倒と思う、キツイと思う方法に、強くほど程・・・有難うと強く思う様に努力している。
努力しなければ出来ない、三流と言う証拠にも成る。

しかし、子育ての面倒・大変さを感じて・・・子供に感謝できれば、他人様にも人は出来る筈だと思っている。

特に、男は己の腹を痛めた子でない・・・妻が貴方の子よと言われたから、我子と思っているだけで、出来る。

この部分も何度も書いている、他人の子と我が子、違いは、嫁が貴方の子と言ったからに成るし、この言葉を信じて、共に暮らし世話をしている事に成る。

要は、共に暮らし、お世話をして、愛情が芽生え、キツイがそれが喜びと変わって行く・・・

人間、知恵も有るし、知識も有る。子育ての大変さは知識として入っている。
しかし、それでも挑戦続けている。

之が出来る、人間は凄いと思う・・・理由は、他人にそれが出来れば・・・に成る。

私の、自慢は、育てた息子が、四人、人様を背負っている事・・・潰れそうになるが、頑張っている事に成る。
この姿を見て、私は感謝している。

現代の評価で、欠点が多々ある人を背負う・・・勇気が必要に成る、時には馬鹿と言われる事にも成るが・・・それに挑戦しているだけで私は誉れだと考えている。

如何にか、一人前にギリギリ育てる事が出来たと言う事にも成る。
後は、何人、お世話ができ、背負えるかに成る。

特に、人間、寿命が有る、賭けても損すると言う部分が有るが・・・それを承知で背負える勇気・・・之が求められる。

唯物的に何も生まない、逆に無くす方向が多いと思える事に対して、勇気を出して出来るか????・・・現代ではバカがする事と成っているが・・・

それが出来れば、先に書いている、自然と感謝の念が出る、人間に成れる。要は一流な人間と私は考えている。

世間には、色んな人が居る・・・己が成すべき場所は????・・・・当然、三流だから、濁っているドブの底だと思っている。

持ち場・持ち場か各自に有る・・・・しかし、最近は、水の下層部分を居場所と定めている人が少なく成っている。

特に、力が有り、優秀で一流なら、何処を目指すのか???答えは解ると思うが。