2013年12月29日日曜日

走らせる物・・・・・私の価値観では・・・向かいみたい・・・

昔から、転がす車・バイク等の操作が性格的に好きで・・・小さい頃から色々していた・・・・・
勿論、孤独的に成る方向に成るが、その部分が又楽しかった・・・・

私の価値観では、走らせる車との勝負的考えが強い・・・その車を乗りこなす、その部分に魅力を感じてしまう性格の様である。

その点アスリート的部分は欠如していると思う・・・・RCの分野でもパーキング族的、走行が多く、基本、孤独・・・・その中で自分が納得できる走りが出来れば、直に車を変えるか、パワーUPの方法で楽しいでいたし、飽きない為の一つの方法だった・・・・・何の世界でもそうだと思うが、一人で練習を重ねて、有る日、他の人と絡み・・・欠けている部分が見えると、又練習・・・・・・・しかし何で練習するのか、スピード・・いや違う最終的に自分の技量が劣っていると気付く為・・・・操作技量のUP・向上を考え練習することになる。

RCドリフトの世界で、新たに確認できた・・・・・・スピードに拘り・アングル等の形に拘る・・・勿論この拘りがドリフトの世界だと私も考える・・・・しかし・・・と私は成った。この様な物は形、誰かとの比較に成る・・・・・特にドリフトの世界、個人の主観的部分が強く影響する。誰かがこの角度、格好よいと考え、同調者が多ければ、之が正しいと成る・・・・何か、教習場の八の字走行・クランク走行みたいで、何処でハンドルを切る等の決まり事をすれば、正解みたいな感じがする。
行き着くところ、形は綺麗だが、心が無い動き・唯の物が走っている感じがしてならない・・・・操作者の心・思いが車から出る、怖いオーラでなく・・・いい意味のオーラが出る感じがしない・・・

言葉を変えると、車に乗せられているか、車を操作しているかの差だと思う・・・・車が強いと、操作者の個性・思いが見え難い・・・車以上に操作者が強いと思いが見え出す・・・この違いだと私は考えています。
その為にレベルに合う車が必要になる。その点私の場合、癖を少なくしたフラフラの車に成る。ギリギリ操作できる、そのギリギリの部分を練習で詰めて行く・・・・

ドリフトの世界では、異端児的・・・車のセットを昔からしている・・・・軽自動車以下のパワーと言われ・・・トラクション能力が低い車と・・・・・しかし、こんな車でも私のレベルでは、乗りこなす技量が無いし、モット鍛錬が必要と考える部分が見え出す。
その為に、車も癖を無くす方向にしてからは殆ど触ることも無い・・・・車の戦闘力を上げるだけの技量が無い私の場合、先ずは練習・・・之に尽きると何時も考えている。

基本は、自分自身との勝負・・技量部分を鍛錬・・・・・そのレベルを確認する為に他人との絡み・・・・一流という人との絡みも大事だが、如何しても勝負事の意識が強くなる、得るものが有れば良いが・・・・・・・・今の私は、初心者との絡みの方が得るものが多い・・・・・特に難しいのが、相手に嫌な思いをさせない、絡み・・相手も絶対に事故をさせない様に、絡む・・・・仮に事故っても相手に嫌な思いをさせない・・・・私の出来の悪い頭をフル回転させて、相手の車の特徴・操作の癖全てを考えて操作する。その中で性格を見抜く・・・非常に勉強に成る。
勿論、相手の初心者が今後も、ドリフトを鍛錬したいという気持ちがUPすれば、理想だが・・・

操作を真剣に考え、真面目に走行してあるこの様な人が私は好きです。その為に上手・下手の垣根は無い

しかし、見栄や権威等を考え操作している人も多い、その分操作に真剣み、正確に言えば真面目さが感じない・・・・・私の場合、走っている車からこの様な部分が見える・・・・
その為に、自閉症気味になるのかもしれないが・・・・・

純粋に走りが・・・走行が楽しい、之が目的という初心者が増えること期待しています。

隣の息子・・・・

昨晩、急遽・・・お通夜が有った・・・・お昼から本葬・・・
西隣の息子さんが、亡くなった・・・・・47歳若い・・・・田舎の為、遠縁にあたる・・・・・
若い時に、病気に成り、難病指定で、だんだん、体力が落ちて行く病気だと聞いていたが、最近まで、おばさんの送迎で、仕事を頑張ってあった・・・・受け入れている職場も凄いと感心していた。

心配の種が、減ることは無い・・・隣もおばさんも、娘が残っている・・・彼女も色々有る・・・何時も死ぬ訳にはいかないと気丈に頑張って有るが・・・・

一般的に言われる、エリート・一流と言われる若者は、この地域を去り、都会に・・・・・・又その事が親たちの自慢だし、子育ての目標になっている。
田舎に残る・・・私みたいな二流以下・・・・・・・・・高齢化が進み・・・人の手が居る年代の人が多い・・・・・・・この事は当然だと私は考えますが・・・・
しかし自分の足で立って、行動できる、普通の事、当然と考える人が多いし、自立出来ない人が悪い、関りたくないと考えている様だ・・・
人生の目的も自立して裕福に悩み無く、楽しく生きる・・・・・・
私は若い時からこの事に何か矛盾を考えていた。

人・・・動物・・・命・・・この部分を考えると、人も必ず、幼い頃は、人の手が居る、老いて行けば又人の手が要る、その間の期間も、人の手が要らない人は居ないと私は考えている。

絶対に人の手を借りずに、自立出来る、この事は不可能に近いと私は考えています。

生物・・特に人間として、恩・義理を忘れたり、否定する人は、動物以下の存在だと私は考えています。

難しいが、私は受けた恩・・・又気付かない恩等を、返して行く事が生きる目的だと考えています。出来れば、受けた恩・・以上に返す、之が目標です。今年の流行語の「倍返し」・・・私も、恨みや悔しさ等の嫌な事は直にこの感覚になる・・心が汚いが・・・この感覚を恩を受けた人に返す方向に持って行きたいと考えています。

国の政策で、介護医療等は、人の生き方等の原理から行けば、可笑しな話・・・・・その位、国民の心が濁っている事になる。
昔、掲載したことが有るが、人としての自立は、子守・親守・地域守・親族の守・最後に墓守が出来ている事が自立の最低条件・・・・最後の最後が自分の守だと私は考えています。之が出来ていない事は、誰かに負担させている。その事は恩が発生している・・・最後には恩を返す事になる。

有る意味、損しない生き方、得する生き方が理想・・・・得るものを得て、その分の努力等をしない方が偉い等の考えが蔓延する、結果、今の国家の有り方になる。