2023年3月8日水曜日

柵が無く自由で良いな~~~

 私の知り合い・学友が一対一だとよく言う言葉に、「お前は柵(しがらみ)が無く自由で良いな~~~と言われる。

不思議だ、一対一の時になる・・・人が増える、普通の時の遇い方に変わる。

その姿を見ると、人と合わせるために演じる、大変だと思うし、何故、己を殺し、その様にするのか????私の感覚だと己の人権を放棄して、流れにした勝っているとしか見えない。

一対一で話すと、本来、私の様な価値観で生きると、完全に抹殺されると思っている人が多い、生き残るためには、長い物には巻かれろの精神で居るという事に成る。

一人の人間として、相手は、同じレベルである、比べると団栗の背比べ位の差しか無い、大きく力加減が違うから巻かれろなら解らない事も無いが・・・同じレベル、又、個々に各自と話すと、皆がこの問題を感じているが、当事者が改革・改善を行っていない。。

何時も思うのだが、集団を否定すると、鬼のように反論してくる・・・しかし、集団の個々の人間の癖を話すと、何故か、共に生きているので、渡井以上の問題点を気付いているようだが・・・・それを、同じ集団で仲間なのに何故か、口を塞いでいる。

この様な集団が、改善方向に向かうわけが無いと思うが、何故か、本人達は、脱する事が出来ないで居る。

結局、個人的問題等が起きた場合、手段の中で相談する人が居ないのか????遠い存在の私に相談に来るという流れに成っている。

此も、負の部分が、知られると集団から除外される事が怖いからだと思う。それなら何の為の集団なのか???と私は問いたい。

集団の上で胡座を書いて、親分ぶっている、人の人間であるし、当然、多田の問題を持って居る。この問題を、集団の仲間に背負わせるために、トップの場を守っているという状態・・・親分と子分と言うより、奴隷の関係性に私は見える。

人様のお陰で生かされている、しかし、利用したいは私は思っていない、結果的に、お陰を頂いたと言う事・・・だから感謝となる。

利用したいと思っての振舞なら、利用しても感謝の思いは出ない、利用出来なかったら、恨み・妬みが出る。

利用するためには、当然、力を付ける必要が有るし、その集団の頂点に近い方が良いと言う、動物的な価値観の人間も多い・・・

力が有り、能力が有るなら、人様の問題も背負える余力が有ると言う事になる。

この現実・・・我子にも説明している。

我子が、他人には良く色々与えるが・・・我子には何故、与えない・・・

私の答えは、他人だと最低でも感謝の思い言われる。お前ら我子は、与えても不満・不平しか言わない、様は感謝していない。

しかし、不思議で、縁が強い、強いから子もその様な振舞が出来る。勿論、親も、何度も裏切られても、信用しようとする。

要は、縁を恩と感じているのかに成る。此も捉え方で有る。

現代、親子間の関係性の恩の捉え方が大きく変わっている。

結果、国としての、他国への対応も、捉え方も変わっている。

何時も思うのだが世界標準が本当に良いのか????世界標準の価値観、考え方が、結果的に争いを創っていると思うし、個人としての平等・・・私は解らない、個々に個性が違うし、能力見違う、様は、個々に違うと言うこと、此を同じ扱い方、捉え方、有りえないと思う。

私は、集団としてバランスが保たれて居れば、基本良いと思う。

外から見て、虐げられている等々思えても、維持できているなら良しと思う。それが崩壊し、難民として、押し寄せたら、当然、その様な人は寄生虫的な価値観が強い、今の集団より、待遇が良い集団に属するという意味合いになるし、当然、良くならなければ、不満と不平が出る。

人の本音とは解らない、他人様の顔色を見て、発言するのが人間である。

模し、一般に言われる平等な社会なら、私の場合、死ねと言われているに等しい・・・・仕事も出来ない、己の身の回りの事も出来なくなってきている。一般のレベルの事が出来ない立場・・・誰が手を貸すのか????当然、殆どの人は、国と言い出す・・行政とも言う・・国・行政・・手を貸してくれるのか???国や行政と言う人を見た事が私は無い・・・

国・行政とは皆と言う事だとするなら、この皆とは誰なのか????・・私は解らない。

私は背負えるとき、背負う、当然、背負って貰わなければ成らない時が来るからになる。

人の一生を見て、バランスが保たれて居れば、私は良しと考えている。

一瞬の時間軸・場所での平等は有りえないし、それを求めても人の一生をカバーできない。






下僕の目から見た現実が本質・・

 下僕的に、淡々と処理し継ぐける。弱いから下僕で無い・・・力・能力が無ければ、下僕の作業が出来ない。

能力も無く、生きれる立場が特権階級と言われる。要は馬鹿でも生きれる世界、何が必要かは、粉飾と、己の強欲の達成率・・・西欧諸国や大陸的な一神教的価値観に成る。

しかし、下僕みたいに使える、レベル、力・能力を持って居るが、盾を就かないタイプ・立場に成る。

特権階級も、相手のレベルを見て、指示する。到底、無理と思えるレベルの人には指示しても意味は無い、勿論、失敗させてそれを目的に指示する場合は有るが・・・・

しかし、人間社会には、必要な立場・ポジションでも有る。

理由は、己は優秀・一流と勝手に思い込んでいる人が居る。その人達の存在が有ると言う事は、逆の立場が必要という事に成る。

社会・世界は、このバランスが保たれて居る事が基本・・・よく、悪人が居なくなれば、よい世界という人も居るが・・・良い人が居るという事は、悪い人も居るという事・・・

その為には、この負と思えるタイプを誰が担当するかになる。勿論、嫌と思える価値観の人なら、苦痛と感じるし、最終的に暴力的に対処することになる。

優秀で一流を目指すなら、何度が下僕を目指せと私は書いている。

犬・猫の様な動物的、旨いもの、居たいことで、仕付けをする、当然、旨いものを動物も求める・・・動物的な本能で終わる、人間なのか????

当然、人間でも優秀で一流なら違うはずで有る。

下僕の立場だと、勝つ必要な無い・・当然、相手は特権階級になる。このタイプ、裏と表が大きく違う・・・・己の欲見せたいという欲が強い、結果、人間の前だが、善人を装う・・・・しかし、人間以下と思っている、下僕に対しては、本心を見せる・・・・

私は、三流で変わり者、蔑視される立場に居ると何度の書いているが、この立場が、人を観察できるし、本心が良く見えるからになる。

問いたい・・・・今の優秀で一流の人達だけの世界に、己が居る・・・・綺麗事を何時も吐いてある人々、己が今困っているので、当然、背をかし担いで言ってくれるのか???・・・それとも、軽蔑され馬鹿にされるか????・・・私は、知らない振りをされ、無視されると感じている。

己の言動に対して、嘘で無い、気付かなかった・見えなかったと言えば、己の言動が嘘とは成らない。このレベルが、今の世界の優秀で一流の立場に成る。

それを出来るポジションが、国の格が高いと思っている人も居る。

結果、先進国となれば、己の思うようになると言う事にも繋がる。要は特権階級の国という事・・・

一番、馬鹿な方向が、特権階級に居ると思い、思い通りにならない相手も馬鹿・罵り・否定する・・・私の個人的に、この仕打ちを多々受けてきた。愚の骨頂だが、それに気付いていない、我は一流・愚人に教えていると言う捉え方をしている。

世界の超大国と言われる、国・・私の目には、肩書きだけで今は存在している。求心力が低下し続けている。その為に、昔は己のスペックをストレートにアピールしていた。ニクソンショック依頼・・・力をスペックが一気に無くなってきた。

今回の争い、戦争で再度、中心的求心力を得ようと画策しているように見える。正直、ヨーロッパ諸国は、現場の近隣だが、ある程度の距離感を持った対処を行っていたが、大国の理屈の綺麗事で、巻き込まれ出している。

大国も歴史が無い、国民も、富を求めて集まった人達、当然、他国からになる・・・この方向性が有る人々で構成されている。要は、国の力に魅力を感じて、その国に留まっている。本当に力が有るなら、隣国からの移民も自由に入れるはず・・・しかし、移民の国が、移民を限定している。

勿論、受け入れている。富裕層で、その国の銀行に大金を預金し、家を買い、生活するとなれば、ウェルカムな状態に成る。

要は、富を与える国が、富を得たいと成ってしまった、、国となる。

下僕的立場の、日本国・・・このポジションから他国を見ると、矛盾が多々見える。勿論、矛盾を感じさせない為にも、一神教的な価値観を、日本国民にも植え付け、綺麗事・耳障りのよい、個としての個人に利が正しいと言う・・・この価値観が植え付けているので、矛盾が多々有るが綺麗事を素直に聞入れてしまう。

要は、何の為の人生なのか???・・この捉え方だと私は考えている。

だから、勝つ必要も無い・・・ましてや勝たないと生きれないと言う、戦国時代でも無い・・・・

今の生活・環境をどう改善していくか???・・・此が生きるという事だと思う。小さな器で、己だけ・で・無く・・・全てが如何すれば良くなるのか、幸せとなるのか???・・・此を問い続け、何が出来るかを考え続ける事だと思う。

最後に、私がブログ上に改善と言う言葉、よく使う・・・理由は、私の本業の修理人・・・部下も居たし、後輩を育て様と思うが・・・・何故、修理するのか・・・この目的が、最近の人は、現状復帰程度の認識しか無い・・要は、新品状態に成らない・・・新品を100とすれば・・・敬遠変化も有る為に、60位に治せば・・此を修理と思っている。

物作りで発展して国の日本国、その国民がこの程度の認識・・・私は、修理人・職人として・・・基本的価値観が違い過ぎる。私が考える職人の育成は難しいと感じていた。

私が手を出すなら、新品より、良くしてみせる位の、気持ちが欲しい・・・新品以上に、今後、長く使える・・・当然、商品の買い換えは無い・・・製造メーカー的には、求めている修理人で無いと言う事になる。

以前、書いているが、修理人がトラブルを複雑にする・・・機械を壊す・・・この傾向が強くなっている。結果、メーカー側も、誰しも出来るユニット交換に成っていくが、此が意味することは、資源の無駄と言う事・・当然、その無駄が、製造メーカーの利益になっている。

人は、己が決めた、最高のレベルを目指す・・・勿論、殆どがその以下のレベルで終わる。修理のレベルを60を考えている人なら40位で終わっているという事・・・仮に、120のレベルなら新品以上という事・・・当然、120は難しいが、それでも100には近いとなる。

此も以前書いているが、機械には公差がある±0.02なら・・・昔の日本人の感覚だと0.00を目指す、計測器の限界が高い物で計測して0.009なら0.000に成るまで、挑戦啜る。

この制度が、結果として商品の品質に繋がる・・・勿論、公差があるから、スムーズに動くという場合も有るので、商品の知識もあって、職人が経験で、この程度という、己のプライドで行っていた。

しかし、現代の人は、公差が有るなら、その範囲内はOK・・・何問題も無いと言う捉え方になる。勿論、この様なやり方の商売が成功するが・・・職人気質と言う部分も無くなってきた。

要は、平等という事は、人間の無力化・無能かだと私は考えている。

気質が強いからの問題・トラブルが面倒という事、気質が無く、無能で無力だと、トラブルも遇える。