七日・・・従弟が会社の駐車場で車から降り後・・倒れて・・その後亡くなった。
余りに緊急・・・・運転中に意識を無くし、他に迷惑をかけてない・・不幸中の幸いだが・・・・少し、急ぎ過ぎた人生だったと思う。
三人兄弟の、次男として生まれ・・・昔ながらの両親・・・長男とその他の兄弟・次男・三男の育て方は大きく違う・・・・結果、長男はダメダメダメな人生で、今は、一人で国の保護政策で生きている。
しかし、父親が生きている間は、長男と言う事で、大事に・大事にされてきた。
父親、私から見れば叔父が亡くなってから・・・長男の今後を他の従弟と考え、今の保護生活にしている。
私の人の親・・・わが子をと考えると、煩悩もかかるし、国からの配慮等受けさせたくないと思うのも判る。
しかし、他の兄弟、特に、次男は本来、長男の仕事、○○家を守る・・この責任を背負い・・頑張ってきた。
彼も、三人の娘に恵まれたが・・・離婚・・・娘・三人を引取育てたが・・現実は、実母や親の、爺・婆の協力が有ったから、育て上げることが出来たと私は思っている。
又、母が、何時も、我が兄弟の事を心配していたが、一番、心配していたのが、末姉妹の、叔母に成る・・・・
何時も私に・・・難義している、一番、むぞか・・・手を貸してやれ、体を貸せ・惜しむなと何時も言われていた。
不幸の知らせを受けた、瞬間に、申し訳なさ、力の無さを痛感した。
負の連鎖を、私のこの病で切らなければが、何時も祈り続けていた。祈る位しか、私には出来ないからに成る。
しかし、出来なかった・・・ね~ちゃんの叔母の悲しむ顔等、見たくない・・・・
ねーちゃんも、次男が頑張って居るから、これからは良くなると勝手に思っていたし、色んな家の問題も、ここ数年で、処理し続けてきた従弟・・・急ぎ過ぎと思っていたが・・・かなり無理していたようだし、精神的にも、きつく、それをカバー出来なかった、私自身の力不足も後悔している。結果、酒に溺れていた・・・肝臓を悪くして・・・それが元で若くして逝ってしまった。
母から与えられた、宿題・・・合格点で提出が出来ないでいる。
生きると言う事は、先人からのバトンを、後世に繋げる事が目的だが・・・繋げる間も当然、何かを行い続けることに成る。
要は、己が何が出来るか・・・先人が気にかけて人を看取る・・・看ると言う作業が有る。
これを放棄すれば、バトンを受け取る、後継者でないと言う事に成る。
通夜・葬式と終わり・・・己の力不足に、腹が立つし・・・己の責任と捉えきれなくなった来ている、世の無常さで片付ける、ずるい・卑怯な人間の姿をした、鬼畜に向かっていると、再度、気づくことが出来た。
私は、人間だと己を思いたい・・・勿論、人間、色んなレベルが有る。
私に都合がよく、利をもたらす人も居る・・・勿論、その逆の人も居る。これが人間社会である。
私は、全ての人が大事だと思うし、出来るだけ、私が考える平等と捉えたい・・・しかし、先に書いたように、厳然と違いが有り、レベルも違う・・取り扱い方も当然、変わると言う事に成る。
しかし、人で、取り扱い方を変えることを、差別等と今は言う・・・又、人間の姿をしていても、その思想・考え方で、反社会的部分が有れば、その付き合い自体が、問題、要は、その様な人と関わりがダメだと成っている。私は、これが差別だと思う。
何度の書いている、人は色々、己さえ良ければと言う人も当然いるし、利は己・負は他人と言う、価値観の人の当然いる。人を不幸に己は富にと言う価値観・・・間違っているか???・・・今の社会教育等では、この方向に進むのが人間と言う教育をしている。
要は、己以外は、損してかまわないと言う価値観に成れば、反社会的価値観と私は思うが・・・要は、それを社旗的に認定しなければ、問題はない、普通の人と同じと言う事に成っている。
ねーチャンの家も、現代の価値観から見れば、親族で居てもらいたくない立場と成る・・・勿論、その様に考えている、親族・従弟も居る。
しかし、親族だから、出来るだけ、世の中の迷惑を書けないように、親族内で処理する・・この考えが有る、親族・従弟も居る。
私は、何度も書くが、人は、失敗も間違いも起こす・・・これを前提に考えている。失敗もすするから、勇気を出し、挑戦も必要・・・当然、挑戦・失敗も多々ある。
しかし、絶対に、負けない・無いが有っても死守する・・この思いが有れば、生き続けることも出来るし、生きる目的・生きがいも出てくる。
しかし、負を目の前にして、腰が引け、特に、責任問題と成らないように、その場から逃げる・・・背負えば、問題責任を負う事に成るし、失敗する方向性があ高いので、他からの評価は勿論、落ちる方向・・・
要は、バカ扱い・負け組扱いに成らない為に・・・勇気を出し、挑戦と言う方向に成らない・・・耳障りが良い、常識的な問題点を並べて、結局は、その責任を負わないし、責任を大きな方向、国方向に向ける、これが、人々の耳障りに良いと成っていること自体が、私が危惧している事・・・要は、殆どの国民が、この様にとらえていると言う事
・・己は、何の努力もしない・・・しかし、利は欲しい、当然、負は死んでも背負いたくない・・・この様な価値観なら、当然、環境・周りに感謝する思いも無い・・・無間地獄的、価値観で生きる事に成る。
結果、差別はダメだと言いながら、利を上手に貪る、寄生虫としての生き方、価値観に成る。当然、主としての宿主には当然、成ろうとしない・・・
宗教観も含め・・縋る、乞食・信仰が根底に成る。
神・仏が偉いのか???・・・若し偉いと思えば、己もそれを見習い、実践すると言う方向に成らず、己はその力が無いと、縋る、取り入る、寄生虫的信仰が、多いのも、人の心の姿だと私は考えている。
この流れで、社会が有り・・当然、政治もと成る。
人はレベルが色々ある・・だから面白いし・・己に何が出来るかと言う方向に成る。
確りと歩き続けている人には、今は人手は必要ない・・・しかし、倒れている人には人の手が必要と成る・・・その人の手は誰の手か????・・・今は、人でなく、行政や国と言う方向に向かっている。
大陸的、敵味方・・一神教的価値観の世界に、日本も向かっていると言う事に成る。
要は、一部の天国に住める人と・・・搾取される多くの人との集合体に向かうと言う事・・・当然、争いも増えるし、一番は、生きたと言う事に感謝できな、不幸で、悲惨な世の中に成ると言う事・・・
感謝できているなら、社会に貢献できるはずだし、大きな社会では無理なら、目の前の現実に手を貸せるはずである。
母から、くれぐれも己の兄妹を頼むと言われている。
叔父・叔母を看取る責任が私には有るし、それだけの恩を頂いている。
幸せ・幸福感は、何で得るか???・・・恩に答えることに成る。これほど幸せなことは無い・・・