叔母から電話・・・・母の法要の日の送迎の依頼に成る。
法事の準備も、あと少し残っている状態で・・・・淡々んと事を進めている。
当然、お金も必要に成る・・・この部分は、私たちの力加減に成るが・・・
私が所帯を持った時は、母から、この様な事柄に対しては、子供が準備・お金も含みで行う事と言われていた。
理由は、後継者が確り育っていると言う、証を親族に見せる場に成る・・・当然、上座に座るお客様の感覚で無く・・・・下働き・女中の様に、振舞える後継者を見に来られている部分も有る。
子供を授かり、育てたが・・・私の場合、私が叔母等々の送迎を直接する可能性が高い・・・・要は、期待していないと言う事・・・・
その為に、現代では、法事と言うより、法要と言う感じに向っている。
故人の供養の為の事柄と言う事に成って来た。
昔は、この様な場を借りて・・・人を育てていたし、当然、学びの場だったが・・・この部分に価値を見出す事が出来ない時代ともいえる事に成る。
人を育てる・・人間を創る場として、考えるから、損得勘定等は入らないと成る。
お金を出して学べる部分でもない・・・しかし、誰かが教えなければ成らないと私は考えている。
仮に、私達夫婦が、一緒に死んだら、誰が処理をするのか????
処理方法を、教えているか????又は、経験させているか????・・・之が無いと成れば、当然、行政に迷惑を掛ける事にも繋がる。
母がこの世に生きていた・・・その事は、多々の人達のお陰が有ってと思うし、その関りが有るから、母は生きられたと思う。
その恩に応える・・これも後継者の義務だと私は考えている。
当然、身の丈に合う、事しか出来ないが・・・最低でも母の兄妹だけはお礼のする為の場だと考えている。
之も、力がない三流だからに成る・・・一流で優秀な人なら、当然、恩に対して、何十倍もお礼を返せると思うが・・・・力がない私には、母の法事さえ、見に重く感じている。
結果、私が身を使って、処理できる部分は処理する事に成る。
現代は、イベントや・葬儀屋等々に、依頼すれば全て、行ってくれる・・・しかし、お金もそれだけ高くなる・・・力が有れば、依頼すれば済む話だが・・・
私は、それが出来ない・・・・
しかし、環境は、感染症の問題で、人の集まりを敬遠する方向に成っている。
その為に、したいが出来ない・・と・・・諦める人も出てきている。
勿論、人間として当然と思うが・・・
私は鬼畜の命を持っているので、この目から見ると・・・良かった、しなくて良い理由が出来たと思っている、人の姿をした、私と同じ鬼畜の人も居ると思う。
同じ、結果だが、思いが違うと言う事・・・
要は、何度も書くが、思い通りに成る・・誰しも求める事だと思うが・・・この基本に在る命が、若し仏なら???と考えれば、思い通りも違うと思うし、若し、私の様な鬼畜なら、当然、思い通りも大きく違うと思う。
13回忌、生かされた事に、私は感謝している。母を忍ぶ人が居る事に、感謝と成る。