2020年3月7日土曜日

孫守・・・

今日は、次男の上の子が熱が有ると言う事で、保育園が受け入れてくれない・・・
上の子は、病院・・・下の子は、我家で看ている。

病院から帰って来た、上の子も・・・昼から看ている状態に成った。

何時もの事だが・・・爺・婆の役目は・・・孫守・・・この部分は生物学的に、成っている事で・・・個人の意思や思いで、如何にか成る問題でない。

何度も書くが・・・哺乳類の中でも、子育て期間が長い人間・・・又、一人で看る等々が、不可能に近い為に・・・集団化している。

当然、集団を維持する稼ぎも必要に成るが、その部分は、若手の稼ぎ手に成る。
この稼ぎ手に・・・集団全員で行えば、当然、子育て不可能になる。

又、何度も書くが、動物は基本的、寿命は、生殖能力が無くなる時と重なる・・・
しかし、人間は、生き続ける・・・理由は、役目が有ると言う事に成る。

要は、集団と言う意味が有ると言う事・・・・・最小単位が家族に成る・・・自己完結できる集団か????・・・・この部分を考えなければ、当然、子育て等々不可能になる。

先のブログに書いているが・・・己の為が強い、集団の形成か???・・・後継者・子孫を残す、生物としての本能部分の為の形成なのか???で考え方が大きく変わる事に成る。

しかし、最近は本能は良い様に、イメージされていない・・・文化の反対語位の捉え方を本能と言う単語を思っている人も多い・・・・

しかし、本来の姿と思うが・・・孫守は大変だ・・・・若くとは言えない、体が孫達の動きに付いて行けない・・・疲れも仕事、異常に感じるし・・・静菌的にも仕事以上に成る。

之を、キツイ・嫌だと思う部分も有るが・・・私は、何故か幸せ感が有る。

嫁を見ていると、背一杯の施しを、湯水の様に孫達に注いでいる・・・又、顔は幸せそうである。

之を、見れる、亭主は当然、幸せと感じる筈と思う・・・・

しかし、その分、私は、ほったらかし状態に成るが・・・・仕方が無い部分に成る。

集団・組織の捉えた・・・

集団・組織の捉え方・・・幼い頃かの環境・教育で大きく変わると私は考えている。

己以外の、人の集まりを、集団・組織と考えれば・・・最初の環境・経験は基本、家族と言う組織に成る。

この家族にどの様に己のポジションを作るか????・・・之が捉え方等に繋がる。

当然、最初は、言葉は悪いが、他から施しで生きている事に成る。その後は、己の欲を叶えてくれる為の存在に成る。宿主と寄生虫の関係性に成る。勿論、その間の色々な経験・教育で・・・寄生虫がどう育つかが・・・・大事な部分に成るし、この部分が有るから、将来の展望も出来るし・・・期待・夢・等々を託せる人と成って行くと私は考えている。

昔は、学校教育でも教えていた・・・しかし、道徳・等々は学校で教えるな特に、義務教育ではと言う論調が、増え・・・出来なくなっていた。
又、昔は、社会・地域・等々の部分でも、色々な事が学べたが・・全てが、人間の心・思い等々を排除した、機械的な流れに成っていて、教育も出来ないでいる

怖いのは、個の寄生虫の状態で、社会に入って来る人が増えていると言う事に成る。
当然・・・宿主も何を求めるかは解ると思う・・・・

又、社会の中の集団・組織に属しているが・・・・他の集団・組織も同じ流れと思ってしまえば、属する集団の上層集団が何かでも変わるし・・・当然、上層集団の又上等々も同じ様な捉え方に成り出す。

要は、家族で寄生虫として生きる・・・しかし、その家族が寄生虫を養う能力が無いとすると・・・・その家族が属している集団の責任と思ってしまうタイプと言う事に成る。

簡単に考えれば、寄生する事を権利と思っている。しかし、その思いに答えられない宿主をぼろ糞に言って、宿主が属している集団に保護を求める・・・・之が永遠に上層へ向かう捉えかた価値観に成る。

寄生虫を、家族内に止める事が出来なく・・・地域にその責任が移行する・・・当然、地域も止める事が出来ず・・・行政・市・県・国と言う流れに成る。

もっと書けば、社会に昔、冷戦時代と言われ、世界が二極化していた。
当然、国もどちら側かに属する方向に成るし、そのトップが、アメリカと・ソ連と言う事に成る。
先に書いた様に、国でも寄生虫を制御できなければ、その属する国の連帯の責任と成って行く・・・・その都度、先に書いた様に・・・・・家族はぼろ糞言う・・・次は地域をぼろ糞言う・・次は市をぼろ糞言うと言う流れで・・・・・最簿は己の国さえぼろ糞言う事に成る。世界の連帯、属している国の組織が有るので・・・
当然、その組織の宿主側の国が、ぼろ糞言われる方向に成る。

之に、何の矛盾を感じない、人が最近増えている気が擦る。

環境が、不幸や幸せを支配していると言う考えにも成る。
不幸と思えば、当然、環境が悪いと成る・・・そのを打開する為には、その環境が属している上の集団の環境の責任と言う捉え方に成る為に・・・当然、今居る環境をぼろ糞言って、上の集団に、助けを求めている事に成る。

奏前、括りでは大きな集団の一人だが・・・縁が薄いので、聴く耳を立てない・・・縁が強い、宿主はぼろ糞言われながら・・その寄生虫の思いを叶えてあげる事に成って行く。

要は、幼い・自己保身だけの、価値観で、物事を捉える事の怖さに成る。

人は、奇麗ごとを信じると、勝ち負け論が支配し・・・それを基本した原理主義方向に加速すれば、当然、集団を崩壊しだす方向に成る。

何度か書いているが、お客様は神様だと本当に思っている人も居る。
その為に、客は大様、独裁者と勘違いしている人までいる。

買う方も勝手なら、売る方も勝手・・・之が基本に有ると私は考えている。

要は、先の様な、物事の捉え方、組み方なら・・・当然、無限な貪欲さが幸せと思っていると言う事に成る。私は、無弁地獄の、環境を幸せと言っている様に見える。

何度も書くが、己の分で、確りと己の足で立つ・・・この部分を最初に意識した方が私は幸せに繋がると考えている。

勿論、私は三流・・・分を超えるものを背負っているし、当然、何度も倒れるし、死にかける事も有るが・・・・結局、誰かのお陰で、立ち上がる事が出来ている。
当然、感謝に成るし、恩を頂いたと、そのお返し迄、背負う事に成るが、それが生きると言う事だと考えている。